よろしくお願いします。
愛知の旅本編は残すところあと1回だけとなってしまいましたが、この時の走りの目的のひとつが万葉歌碑巡り、今回はその歌碑巡りの模様をお送りしていこうと思います。多分3回に渡ってのお伝えとなりますが、まずはこの度の一番最初に立ち寄った一宮市にあった歌碑を巡って行くこととしましょう。
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名鉄尾西線が通るすぐそばにある萬葉公園、その一角にある住吉神社内にあるのが写真2枚目、3枚目↓↓↓
「春霞 たなびく今日の 夕月夜 清く照るらむ 高松の野に」(作者不詳・巻10ー1874)
その後萬葉公園へと入り園内をぐるりと回って大きな歌碑をいくつか見つけました↓↓↓
「我が衣 摺れるにはあらず 高松の 野辺行きしかば 萩の摺れるぞ」(作者不詳・巻10-2101)
「雁が音を 聞きつるなへに 高松の 野の上の草ぞ 色づきにける」(作者不詳・巻10-2191)
3つの歌に共通するのが「高松」と言う文字、次のゾーンで並べた写真の歌碑があるのがここからすぐの所にある一宮市萩原町高松にある萬葉公園高松分園なので、ここにある歌もご当地にちなんでのものだろうと思ったのだが、歌の解説を見るとどうもそうではないらしい。とある解説のページをみると3つの歌にある高松は奈良にある高円山のことだと訳されている、ただ2番目の歌にある「萩」は萩原町につながっている感もある、どうもモヤモヤが解決しまいままに次のゾーン、問題の高松分園へと行ってみることとしましょう。
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「淡海の海 夕浪千鳥 汝が鳴けば 情もしのに 古思ほゆ」(柿本人麻呂・巻3-226)
「ことさらに 衣は摺らじ をみなへし 佐紀野の萩に にほひて居らむ」(作者不詳・巻10-2107)
公園の入口に写真3枚目~6枚目にあるように小さな歌碑が立っている、上の歌はその中の2つで、残りの2つも1番目のゾーンにある歌が記されているのですが、1番目の歌の「淡海」は琵琶湖のこと、2番目の「佐紀野」は奈良の佐紀に通じる感じで、どうもこれもご当地には関係ない歌が並べられているだけという感じ。実はこの公園の開園に関しては『高松論争』と言うのがあり↓↓↓
【昭和三十年、詩人の佐藤一秀は、「高松」を詠んだ萬葉歌六首(巻十)は、故郷の『萩の原』の風情を詠んだ歌である、とし、万葉公園設立を要望した。しかし、万葉学者から、「六首のうちの二首(二二三三、二三一九歌)は、当地と歌との結びつきは薄い」との指摘があり、いわゆる「高松論争」が繰り広げられた。】
と言うことです。6つのうちの2つが下に挙げた歌↓↓↓
「夕されば 衣手寒し 高松の 山の木ごとに 雪ぞ降りたる」(作者不詳・巻10ー2319)
「高松の この嶺も狭に 笠立てて 満ち盛りたる 秋の香のよさ」(作者不詳・巻10-2233)
下の歌が記された歌碑は高松公民館の前にあるとのことでその場所に行ってみたのですが、その場所が写真下4枚にある風景、何か丘の上にお地蔵さまや石碑が無造作に突き刺さっていて、何とも不気味な場所でした。で、目指す歌碑は・・・見つけられなかったんだよなあ~、で後で知ったのですが、公民館改装の際に歌碑は高松分園に移設されたとのこと、そんなの知らなかったからスルーしてしまった。しかしこの2つが当地にちなんだ歌でないとすると、1番目のゾーンに挙げた3つの歌は奈良に関するものではないと言うことになる、となると今まで頼りにしていた解説のページの信憑性も薄れてしまうことになるのだが・・・、まあこれまで通り、薄く軽くで進めていくこととしましょう。
2つの公園では上記の他にもいろいろな歌碑を巡りました、歌碑と言っても看板みたいなものですが・・・、その模様はフォトチャンネルでのお送りとしておきましょう↓↓↓
万葉歌碑・愛知県一宮市
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今回最後にお送りするのが一宮の中心部を通り過ぎた所にある浅野公園、公園の由縁については愛知の旅本編でお伝えしております。曇天の下でつつじが映える公園、しかし感染症禍の影響で人の出はまばらと言った感じ、まあその分落ち着いて園内を巡ることはできたわけですが。さて、お目当ての歌碑はと言うと写真2枚目~4枚目、公園の入口前ですぐに見つかりました。
「天地の 神も助けよ 草枕 旅行く君が 家にいたるまで」(作者不詳・巻4-549)
九州に赴任していた役人が奈良の都に帰る時に、その時の仲間が無事の帰還を祈るために詠んだ歌だということです。長い旅路です、往時は今みたいに新幹線や飛行機などもちろんないから、旅の無事を祈りたくなるのもごく当たり前のものでしょう。何気ない気遣いがうかがえる歌でした・・・なのですが、そんな歌がなぜここに歌碑として立っているのかは謎やな~、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち
愛知の旅本編は残すところあと1回だけとなってしまいましたが、この時の走りの目的のひとつが万葉歌碑巡り、今回はその歌碑巡りの模様をお送りしていこうと思います。多分3回に渡ってのお伝えとなりますが、まずはこの度の一番最初に立ち寄った一宮市にあった歌碑を巡って行くこととしましょう。
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名鉄尾西線が通るすぐそばにある萬葉公園、その一角にある住吉神社内にあるのが写真2枚目、3枚目↓↓↓
「春霞 たなびく今日の 夕月夜 清く照るらむ 高松の野に」(作者不詳・巻10ー1874)
その後萬葉公園へと入り園内をぐるりと回って大きな歌碑をいくつか見つけました↓↓↓
「我が衣 摺れるにはあらず 高松の 野辺行きしかば 萩の摺れるぞ」(作者不詳・巻10-2101)
「雁が音を 聞きつるなへに 高松の 野の上の草ぞ 色づきにける」(作者不詳・巻10-2191)
3つの歌に共通するのが「高松」と言う文字、次のゾーンで並べた写真の歌碑があるのがここからすぐの所にある一宮市萩原町高松にある萬葉公園高松分園なので、ここにある歌もご当地にちなんでのものだろうと思ったのだが、歌の解説を見るとどうもそうではないらしい。とある解説のページをみると3つの歌にある高松は奈良にある高円山のことだと訳されている、ただ2番目の歌にある「萩」は萩原町につながっている感もある、どうもモヤモヤが解決しまいままに次のゾーン、問題の高松分園へと行ってみることとしましょう。
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「淡海の海 夕浪千鳥 汝が鳴けば 情もしのに 古思ほゆ」(柿本人麻呂・巻3-226)
「ことさらに 衣は摺らじ をみなへし 佐紀野の萩に にほひて居らむ」(作者不詳・巻10-2107)
公園の入口に写真3枚目~6枚目にあるように小さな歌碑が立っている、上の歌はその中の2つで、残りの2つも1番目のゾーンにある歌が記されているのですが、1番目の歌の「淡海」は琵琶湖のこと、2番目の「佐紀野」は奈良の佐紀に通じる感じで、どうもこれもご当地には関係ない歌が並べられているだけという感じ。実はこの公園の開園に関しては『高松論争』と言うのがあり↓↓↓
【昭和三十年、詩人の佐藤一秀は、「高松」を詠んだ萬葉歌六首(巻十)は、故郷の『萩の原』の風情を詠んだ歌である、とし、万葉公園設立を要望した。しかし、万葉学者から、「六首のうちの二首(二二三三、二三一九歌)は、当地と歌との結びつきは薄い」との指摘があり、いわゆる「高松論争」が繰り広げられた。】
と言うことです。6つのうちの2つが下に挙げた歌↓↓↓
「夕されば 衣手寒し 高松の 山の木ごとに 雪ぞ降りたる」(作者不詳・巻10ー2319)
「高松の この嶺も狭に 笠立てて 満ち盛りたる 秋の香のよさ」(作者不詳・巻10-2233)
下の歌が記された歌碑は高松公民館の前にあるとのことでその場所に行ってみたのですが、その場所が写真下4枚にある風景、何か丘の上にお地蔵さまや石碑が無造作に突き刺さっていて、何とも不気味な場所でした。で、目指す歌碑は・・・見つけられなかったんだよなあ~、で後で知ったのですが、公民館改装の際に歌碑は高松分園に移設されたとのこと、そんなの知らなかったからスルーしてしまった。しかしこの2つが当地にちなんだ歌でないとすると、1番目のゾーンに挙げた3つの歌は奈良に関するものではないと言うことになる、となると今まで頼りにしていた解説のページの信憑性も薄れてしまうことになるのだが・・・、まあこれまで通り、薄く軽くで進めていくこととしましょう。
2つの公園では上記の他にもいろいろな歌碑を巡りました、歌碑と言っても看板みたいなものですが・・・、その模様はフォトチャンネルでのお送りとしておきましょう↓↓↓
万葉歌碑・愛知県一宮市
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今回最後にお送りするのが一宮の中心部を通り過ぎた所にある浅野公園、公園の由縁については愛知の旅本編でお伝えしております。曇天の下でつつじが映える公園、しかし感染症禍の影響で人の出はまばらと言った感じ、まあその分落ち着いて園内を巡ることはできたわけですが。さて、お目当ての歌碑はと言うと写真2枚目~4枚目、公園の入口前ですぐに見つかりました。
「天地の 神も助けよ 草枕 旅行く君が 家にいたるまで」(作者不詳・巻4-549)
九州に赴任していた役人が奈良の都に帰る時に、その時の仲間が無事の帰還を祈るために詠んだ歌だということです。長い旅路です、往時は今みたいに新幹線や飛行機などもちろんないから、旅の無事を祈りたくなるのもごく当たり前のものでしょう。何気ない気遣いがうかがえる歌でした・・・なのですが、そんな歌がなぜここに歌碑として立っているのかは謎やな~、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・まちみち
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