まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.1572 万葉歌碑巡り・・・香川県坂出市編

2021-05-24 09:33:33 | 万葉
今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。



















昨年の末に香川を走った時は雨に風に雪にと苦難何でもありの旅となりました。朝方降っていた雨が岡山に着いた時には止んでいて、青い空が見えていた時は勝利宣言を掲げて四国入りや~!!と思っていたのですが、そう甘くはなかったですね。弱い雨と強烈な風に苦しみながら番の州の工業地域の中を進んで瀬戸大橋記念公園へとやって来ました、その公園から更に先へと進んで行った所にあるのが東山魁夷せとうち美術館、建物の横の道の両側には万葉歌碑がズラリと並んでいました。そのほとんどが写真にあるように看板にはっきりとした文字で書かれたものだが、ひとつだけ石の碑に文字が刻まれたものがありました↓↓↓

「香久山は 畝傍ををしと 耳梨と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古へも 然にあれこそ うつせみも 妻を 争ふらしき」
(中大兄皇子・巻1-13)

この歌については前にも取り上げたことがありました、大和三山を三角関係のように例えています。なるほど、畝傍山を女性に例えているんだ、ってことは天香久山と耳成山が男ってこと、でも三山の中では畝傍山が一番背ぇ高なんですよね、2つの山は大きな女性を妻にしたかったんでしょうか・・・。
























美術館から更に奥へと進んで行くと沙弥島、ここは元は離れ島だっただったのを本土とくっつけたようになっている所。島に入ると急な坂を越えて瀬戸大橋が見える公園へ、そこで相棒君を止めて遊歩道を進んで行くと波打ちギリギリの所に万葉歌碑がズラリと並ぶ所へとたどり着く。人の姿は全くなく、波は風に煽られて遊歩道を乗り越えるくらいの勢い、遠くに見える瀬戸大橋も強い風に揺らされているかのよう。グレーの雲の下に並ぶ歌碑はまるで墓標のようで、風と波音だけの場所は不気味な雰囲気を漂わせている、その中にあるのが大きな石碑に刻まれた万葉歌碑↓↓↓

「玉藻よし 讃岐の国は 国からか 見れども飽かぬ 神からか・・・」(柿本人麻呂・巻2-220)

この歌には更にこのように歌が続く↓↓↓

「ここだ貴き 天地 日月とともに 足(た)り行(ゆ)かむ 神の御面(みおも)と 継ぎ来る 那珂の港ゆ 船浮けて 我が漕ぎ来れば 時つ風 雲居に吹くに 沖見れば とゐ波立ち 辺(へ)見れば 白波騒く 鯨魚(いさな)取り 海を畏(かしこ)み 行く船の 梶引き折りて をちこちの 島は多けど 名ぐはし 狭岑(さみね)の島の 荒磯(ありそ)面(も)に 廬りて見れば 波の音の 繁き浜辺を 敷栲の 枕になして 荒床に ころ臥(ふ)す君が 家知らば 行きても告げむ 妻知らば 来も問はましを 玉桙の 道だに知らず おほほしく 待ちか恋ふらむ はしき妻らは」

歌の最初の部分はこの地の美しさを讃えているが、途中からはこの場所に行き倒れた旅人の姿を見つけて、そのことを憐れんで詠んだものだと言うことです。後でこの歌の意味を知った時に、まさかその旅人に自分(一人称)がなってしまっていたのかも・・・と変なことを考えてしまったが、昔は旅もそれだけ命がけだったということでしょう。そして歌碑にはこの長い歌の後に反歌が2首、続けて刻まれている↓↓↓

「妻もあらば 摘みて食げまし 沙弥の山 野の上のうはぎ 過ぎにけらずや」(柿本人麻呂・巻2-221)

「沖つ波 来寄する荒磯を 敷栲の 枕とまきて 寝せる君かも」(柿本人麻呂・巻2-222)

「うはぎ」とは嫁菜のことで、これと言われたら、ああ、それのこと、って言うくらいに道端に何気なく咲いている花のこと。上の歌では死んでいた旅人のために摘んであげようにも、もう時期は遅すぎた様子が詠まれています。今となっては、どうもこの場所に漂う暗い雰囲気はこの歌が醸し出していたものだったのか・・・などと思ってしまうが、それは真冬のこんな状況の時に行ったからでしょう。まるで墓標のように・・・と例えてしまいましたが、ここにずらりと並ぶ歌碑については例の如くフォトチャンネルでのお送りとしておきましょう↓↓↓

万葉歌碑・・・坂出市








「霞立つ 長き春日の 暮れにける わづきも知らず むらきもの・・・」(軍王・巻1-5)

今回の最後に紹介するのは坂出市の中心部からはかなり離れた所にある塩釜神社に立つ歌碑、舒明天皇が讃岐の国に行幸した時に付き添った軍王が歌ったもので、この歌も点々のあとに長く続いています。旅になると地元に残してきた人のことを思うのは常なのでしょう、夜になって眠る時になるとどうしてもその人のことを思い出してしまう、この時代の人たちは歌にその寂しさ表してきたのでしょう。まあ自分(一人称)には残している人も寂しく思う人もいませんからね、この先ものらりくらりと旅を続けていくこととしましょう、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。・・・・・・・・・・・・まちみち


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