まちみちふうけい

四角い枠に切り取られた風景は一瞬のもの、そんな一瞬を追い求めてこれからも相棒と走り続ける・・・

No.1495 松永久秀vs筒井順慶

2021-01-15 10:16:46 | まち
よろしくお願いします。








いよいよ大詰めを迎えた大河ドラマ『麒麟がくる』、長谷川博己演じる明智光秀のキャラがこの後本能寺の変を企てると言うのは何か余程のことがあったから、と言う感じもしましたが、織田信長との確執を松永久秀の平蜘蛛から起因させるのはうまい持っていき方だと思いました。今回の大河では戦国時代のドラマではあまり浮き彫りにされない大和の状況をいろいろと取り上げてくれました、その大和に関わった武将が上の写真にある2人、おっさんずラブと笑福亭鶴瓶師匠の息子・・・昔鶴瓶がパペポTVでよく「うちの太郎が」と言っていた太郎も今では立派な役者さんです・・・ですね。今回は奈良県内にある松永久秀と筒井順慶の所縁の地について巡って行ってみようと思います、まずは松永久秀が築城した奈良市内の北部にある城跡から↓↓↓














場所は平城京で言えば一番右上の位置に当たる所、一条大路の北側には山が連なって見えるが、その右側にある山にあった城が多聞山城、ちなみに左側は山ではなくて聖武天皇陵です。山の裾は上り坂になっていてその上り詰めた所にあるのが若草中学校、城跡はこの中学校の敷地にあるが正門は閉まっていて入ることが・・・ややっ、先に来ていた人たちが正門を開けて入って行ってるではないか、これはいかんやろ~。行ったのはちょうどドラマで松永久秀が自害したその翌日だったので見たくなる気持ちはわかるが、休みとはいえ門を開けて入るのはな~、と言うことで自分(一人称)は正門前で折り返し。振り向くと小高い丘の上から奈良県庁、興福寺の五重塔が見えている、東大寺の大仏殿は家の影になって見えないが、往時は松永久秀がここから奈良の町に睨みを利かせていたのだろう。





















このゾーンにあるのは筒井順慶に関わる城があった所、まず上から6枚目までは辰市城があった所の町並です。平城京で言えば八条、九条辺りで東の市があったところ多あった所、多聞山城からはそれほど離れていないこの場所で松永軍と筒井軍の戦いがあったとのこと。その舞台となった辰市城は写真3枚目、4枚目にある幼稚園の場所にあったと言うことだが、辰市の町並は今はそんな騒動などあったことなど感じられないほどのどこにでもある風景です。7枚目以降の写真にあるのは筒井順慶が城主を務めた筒井城があった筒井の町並、近鉄橿原線筒井駅から東へ行ったすぐの所に城があったとのことだが、今はその痕跡をうかがうことはできない大きな規模の環濠集落となっている。この城については何度も争奪戦が行われたとある、現在も鉄道と国道で交通の要所となっている所だが、往時は松永久秀が拠点としていた多聞山城と信貴山城の中間点にある筒井城を手に入れたかったのも分かる気がする。何度も合戦の地となった筒井城、上記の辰市城で行われた合戦に勝利した筒井順慶がこの城を取り戻すことができたが、その後織田信長の「大和一国破城命令」により廃城とされてしまった。奈良には天守閣が残っている城は全くない、もし信長がこの命令を出さなかったら県内にも壮麗な姿の天守閣が残ってくれていたのかも・・・。












そんなわけで松永久秀の自爆シーンは前回分のドラマで描かれていました、最後は信貴山城でした。まあこのドラマでは必ず取り上げられるだろうな、と思って信貴山へと行ってきた記録についてはこの間までここで3回に渡ってお送りさせてもらいました。でも信貴山城までは行けなかったんだよな~、朝護孫子寺までが歩きだったし結構山の上だから体力も気持ちも折れてしまった。この自害の後、松永久秀の遺体は筒井順慶によって達磨寺に葬られたとのこと、その達磨寺は王寺町のJR王寺駅から歩いてすぐの所にある、ここでは以前聖徳太子の愛犬についてお送りしたときに取り上げたことがありました。境内には立派な本堂や古墳、雪丸の像があるが、その傍らの目立たない所には松永久秀の墓が立っている。大和の国でやりたい放題騒動を繰り広げた武将はやはりヒールだったのか、こんな目立たない所に目立たない墓標とは何とも寂しい感じです、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。          まちみち