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まちみちふうけい

間もなく10年目も通過点

No.1619 過去旅・・・2018年、尾道

2021-08-16 16:59:22 | まち
よろしくお願いします。















さて、今回は過去旅シリーズで尾道・・・確か前も尾道はやったことがあったけど、今回は緊急事態なので・・・をお送りしていきます。巡ったのは2018年の秋のこと、と言うことはこの時のデータは残っているということ、2019年以降の記録が前のパソコンに残ったまま眠りについてしまったということです。しばらくは2018年以前の過去の遺産を引っ張り出してお送りしていくこととなりますが、早くデータを復元してもらえるのを待つばかりです。
写真にある尾道の風景は福山から走ってきた後、相棒君を駐輪場に置いて徒歩で巡ったもの、坂の町尾道となると自分の足で巡るのが一番です。この時はフェリーの時間と照らし合わせてじっくりと時間をかけてあちらこちらを歩き回りました、目の前をそそり立つ急な階段も坂道も平気だったもんねえ~、楽しいひと時でした。まあ今更尾道がどんなところだとか説明は不要でしょう、ここに並べた写真を見ればどんな所かは分かっていただけると思います。尾道、しまなみ海道も足が遠のいてしまってもう3年か~、そろそろ旅の渇きがヒリヒリしだしてきたなあ、そろそろ一句ひねりに行ってみようかな~。



















雨に呪われたお盆休み、自分(一人称)は11日から休みだったのでその日は滋賀へと走りに行ってきたが、翌12日は雨で1日出ずじまい、これではいかんと思い13日、14日は午前中に止んでいる合間を縫うようにして・・・と言っても途中で結構降られてしまったが・・・近辺をチョイ走りしてきました。そして15日、ノーゲームも含んで3日連続で中止となった甲子園もこの日は3時間遅れでの試合開始、そして自分(一人称)もそれに合わせて走りへと出てきました。甲子園を耳にして走るのはやっぱり気分がいいですねえ~、とは言っても今日(15日)は雨上がりで終始曇りっぱなし、真夏のギラギラ太陽がなかったのが物足りなかった。今回が今年の盆で最後の走りとなりそう、本来なら遠出したいところを予定縮小で奈良県内にとどめたものの気分良く走ることができました。その甲子園は開始が3時間遅れだったものの、何とか4試合やり遂げましたね~、これ以上中止にはさせられないと言う関係者の執念が見えたようでした。特に阪神園芸のグラウンド整備はもう神業レベル、自分(一人称)も実際に甲子園で見たことがありましたが、雨と阪神園芸の対決で新たな名勝負となりそうな1日でした。

・・・・・・・・とここまでが15日記、次のゾーンの文章は16日記のものとなってます。















日にちは変わって16日の今朝、パソコンを持っていってもらいました、後は無事にデータが戻ってきてくれることを祈るばかりです。自分(一人称)の盆休みは今日まで、雨の方はポツポツ程度なのでまたどこか近くを走りに行こう・・・と思っていると、あれれれ?何か揺れてるなあ~。どうも今朝早くから滋賀の方で地震が続いているみたいで、さっきも第1試合を見ている時にグラッと揺れました、あれほどはっきりと揺れを感じたのは2018年6月のあの地震の時以来だったなあ。甲子園は大丈夫なんかな~?まあプレー中の選手には地震が来ても熱中しているから気づかないでしょう。昔、漫画『ドカベン』で明訓の試合中に大地震があってスタンドがざわついた中で、ただ一人捕手の山田太郎だけは里中のボールをど真ん中でキャッチしたまま微動だにしなかったシーンがあったのを思い出した。審判が見ていなかったのでその投球はノーカウントにされてしまったが、あれくらいの大きな地震なら中止になるレベルじゃないかと思ってしまった。今大会は感染症禍、雨といろいろと呪われているから、もうこれ以上の奇禍はないことを祈りたいところです。そんなわけで今回もほとんど写真とは関係ない話をしたまま締めることとなってしまいました、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・・・まちみち



No.1617 Go To 東大阪(2)

2021-08-13 16:06:33 | まち
よろしくお願いします。


夏の甲子園が感染症禍に続いて雨にも呪われています。昨日(12日)は雨の中で第1試合は始まったもののノーゲーム、まあ日程上なかなか中止にできないのもありますが、選手にはやはりいいグラウンドコンディションでプレーさせてあげたいです。その第1試合に登場した明桜の球打君、評判どおりの投球を見せていましたが、どうもイメージが2年前のろうき君と重なるんやなあ~、まあどこまで行けるかってところでしょう。どこまで行けるかとなると智辯学園、1回戦は何とか勝つことができました、倉敷商の監督が先発投手を降板させなければもっと苦戦していたはず、7点差があっても楽勝とは言えない感じでした。2回戦の相手は・・・横浜かあ~、智辯とは10年ぶりの対決、あの時は9回に8点取って逆転勝ち、奈良県勢が初めて神奈川県に勝った試合でした。広島新庄との試合はラジオで聞いていましたが、最終回まで2点ビハインドであと1人のところ、ここで雑音が入って聞こえなくなって、やっと聞こえたと思ったら横浜の校歌が流れていた。何がどうなったかと思ったがまさか1年生がサヨナラ本塁打とはねえ~、やっぱり横浜強いわ!怖いわ!果たして智辯学園、勝つことができるでしょうか・・・。

























さて、本文、今回は東大阪方面を巡った記録の後編、走ったのは2月のことだったもう半年も前の話になるのですが、記録はキッチリと終わらせておきましょう。前回は柏原市から東高野街道を進んで東大阪市へと入り、変わり果ててしまった花園ラグビー場界隈を抜けて再び東高野街道へと入りました。前回も書きましたが東大阪のこの辺りは親戚が住んでいる所で昔はよく来ていたのですが、その時の記憶も定かではなくなり、記憶に残っていた風景もさっぱり変わってしまいました。ローカルな風景の中にあったラグビー場も今や世界の大会が行われるようになって、東大阪市も発展を遂げたと言ったところでしょう。走りの方は東高野街道を北へと進んで大東市へと入りました、市に知名度はなくとも大阪桐蔭でよく知られている町、その校舎の前を通り過ぎて旧街道へと差し掛かる。たどり着いたのは野崎観音、これまで何度も通っていたところですがそのたびにスルーしていたので今回はちょっと寄ってみることに。長い石段を上って境内へと入り一巡りしてみたのですが、まあよくありふれた感じの寺院で自分的にはあまり見所はなかったですね、写真にある通りの風景と言ったところでした。























さて、この先からは陣取り合戦が如く、東高野街道を北へと進んで行くこととしよう。まずは大東市を抜けて四條畷市、旧街道は国道170号線と合流してその先からは狭い道にバスも通るので、市の中心部に近い所ではなかなかスムーズに行かせてもらえない。国道163号線との東中野交差点を越えると大阪と奈良を結ぶ旧街道が横切る部分を過ぎて、その先にあるJR忍ヶ丘駅へとたどり着く。旧街道は府道20号線となってやがて寝屋川市へ、この辺りからはちょっとした上り坂となり、JR学研都市線に沿って進んで行く。JR星田駅の手前で交野市へと入るが駅前を抜けるとすぐに枚方市へ、かと思えば第二京阪の下をくぐるとまたすぐに交野市に逆戻り。その交野市の中心部はここでも何度か取り上げたことがある逢合橋から砂子坂交差点、この辺りでは旧街道の雰囲気はほとんどうかがえなくなっている。京阪交野線の踏切を渡って府道18号線を進んで行くと再び枚方市と入る、浄水場の給水塔の下、製パン工場のいい匂いがする所を通り過ぎると、やがて京田辺と枚方を結ぶ田辺街道が交差する四辻交差点へとたどり着く。そろそろ帰りの時間も心配しなければと言うことで、今回はここを右へと曲がって東高野街道とはおさらばすることになったわけだが、な~に、またすぐに来ることになるさ~、と思いながらもう半年近く大阪へも行けない状態が続くことになるとは。最近になってやっと大阪府内へと入る走りは行けるようになったのですが、大阪市内となるとまだちょっと怖さがあります、今回もご覧いただきましてありがとうございました。・・・・・・・・・・・まちみち



No.1607 日本で8番目くらいに小さな町、前編

2021-07-18 21:20:22 | まち
よろしくお願いします。




















またまた中途半端なタイトルとなってしまっているのですが、8番目というと入賞レベルですからね、まあいいでしょう。そんなわけで今回お送りするのは川西町、大和平野の中央部にある小さな目立たない町ですが、どんな所なのでしょうか、行ってみることと・・・ってまあいっつも何かの折に通っているし取り上げたこともある所です、改めてその町をディープに巡ってみることとしましょう。
この間までは日本で2番目に小さな三宅町を取り上げていましたが、川西町があるのはその隣、三宅町巡りの時にもちょっとだけこの町にもお邪魔してました。これまでにも古墳巡り、環濠集落巡り、川巡りといろいろなテーマで取り上げたことがありましたが、近隣には三宅町、河合町、安堵町が接していて、自転車で走っていても一緒くたになってしまう所。それならもうひとまとめに合併してしまえばいいのに・・・とも思ってしまうのですが、各町にはそれぞれのプライドみたいなのがあるんでしょうねえ。一時期平成の大合併で奈良県でも奈良市、五條市が近隣の自治体を吸収したり、宇陀市、葛城市が誕生したが、生駒郡、磯城郡、北葛城郡の町は結局そのままとなってしまった。おかげで日本で小さな町ランキングでは上位にいくつかの町がランクインすることになったわけですが・・・、川西町もその中で10位以内に入っているから、まあ何らかの形で名前は残しといて良かったのかも。
















wiki引用ですが↓↓↓

地理・・・「町域は大和川を北限とし、寺川・飛鳥川・曽我川などの河川が大和川に合流する地点にある。町の全体が平坦な地形である。」
歴史・・・「古代の大和国城下郡三宅郷の地であり、倭(やまと)屯倉に比定される。町域には糸井神社(結崎)・比売久波神社(唐院)の延喜式内社が鎮座する。唐院には全長195メートルで周濠付きの前方後円墳、島の山古墳(5世紀前半の古墳時代の古墳)があり、倭国造の墳墓と見られる。また面塚は室町時代に空から降ってきた能面とネギを観阿弥が授かったという伝説から、能楽観世流の発祥地と呼ばれており、現在ネギは結崎ネブカとして町の名産品となっている。」
経済・・・「貝ボタンの生産については、日本国内においてはトップシェアとされ、市場占有率は80パーセントを占めるとされる。」

と以前にここで取り上げたことも書いてあります、目立たない町だと言っても・・・すみません、近隣の町に比べるとそんなイメージしかないんです・・・探せばいろいろと特徴はあるものです。大阪桐蔭からその後巨人(G)に入団したものの一軍での登板はなしに終わってしまった辻内崇伸投手が川西町出身、通学は近鉄で高の原駅まで出てそこからスクールバス・・・って普通は寮生活だよな。奈良の学校に入ってくれていたら旗を持って帰ってくれたかも、とまあそれは良しとして、プロで大成できなかったのが残念なところでした。
















さて、巡りの方は県浄化センターのでっかい玉ねぎの横を通り過ぎて、大和川を渡って川西町へと入り、その後は川の近くにある環濠集落を巡りました。その後は京奈和道の下をくぐり抜けて川西町唯一の駅で玄関口でもある結崎駅へ、町の中心部にも当たり近くにはスーパーや銀行、駅前にはロータリーも整備されてスッキリしたが、そのロータリーのど真ん中にはポッコリとした古墳が存在している。しかし町で賑やかな所はここくらいなもの、駅周辺の住宅地を抜けると寺川へと出て風景も緑が目立つようになってくる。寺川と近鉄橿原線と京奈和道が交わる所は畑のど真ん中、道路は高架化とともに整備されていても一歩外れると車が通るのが精一杯の狭い畦道となってしまう。寺川を右手側に見て畑の向こうはもう三宅町、お互いの町はライバル意識があるのだろうか・・・などと思いながら川西町巡りは次回、後編へと続きます、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。・・・・・・・・・・・・まちみち




No.1600 沈んだ気持ちで吉野まで・・・

2021-07-05 08:51:45 | まち
よろしくお願いします。




















GWの連休中、前日、愛知の旅から戻ってきてまだ休みが2日残っている、この日は吉野まで走ろうと思って朝早くに自宅を出発、途中で写真を撮ろうと思ってカメラを取り出したら・・・本体を地面に落としてしまった・・・。この顛末については前に書いたと思いますが、結局この後同型のカメラをすぐに購入して、3時間後には再出発、ただ気持ち的にはもうかなり落ち込みながらの出発となりました、ここで余計な出費とはなあ・・・。

と言うことでこの走りでの目的は昨年からずっと行ってきた吉野川分水巡りと万葉歌碑巡り、分水の始まりを見た記録については前にここでもお伝えしました。万葉歌碑巡りについてはまだまださきになりそうな・・・、と言うことで今回は吉野川分水、万葉歌碑以外の吉野での巡りの記録をお送りしていこうと思います。まずは御所市、と言ってももう南の外れの方、JR和歌山線の掖上駅から曽我川に沿って国道309号線へと出る。近鉄吉野線葛駅付近を通る国道309号線は町中の普通の道でおよそ国道には見えないが、新道となる国道がJR線の西側を通っていて、2本の国道309号線は吉野口駅の南にある交差点で合流して吉野へと向かって行く。緩やかな上りに沿って今木と言う名の小さな集落を通り抜けて、いよいよ上りは急となって行く。自転車に乗り始めた頃この道を走ったことがあって、その時は頻繁に変速をするとチェーンが外れるものだと思い込んでいて、平地を走る時と同じ段でこの坂を越えたのだった。帰りもその段のままで折り返したから、今思うと結構無謀なことをしたものだったなあ。














急な上りを終えた所が車坂峠交差点、国道309号線は右に曲がって今度は急坂を下って行って大淀の町へとたどり着く。この辺りが町の中心部、国道を外れて商店街を通り抜けて行くと近鉄下市口駅へとたどり着く、駅名は下市を名乗っているが駅があるのは大淀町、しかもこの駅は特急も止まり吉野の玄関口ともなっている駅、大淀町の人にとっては隣の町名が駅名になっているのは面白くないのでは・・・と思ってしまう。昔は吉野川の対岸にある下市が林業が盛んな所であったのに対して、こちら大淀は農業主体の田舎村、それが鉄道が通り駅ができたことによって町の規模が逆転してしまった。駅ができた当時は町として栄えていた下市に敬意を払っていると言うことだろうか、この駅名にも慣れてしまっているせいか、特に大淀町からも駅名変更の動きもなさそうだと言うことです。


















吉野川に架かる橋を渡って下市町へ、ここでの目的は万葉歌碑巡り、その目的も終えて国道309号線にある札ノ辻バス停へとたどり着く。札ノ辻と言うと旧街道にある町の中心部を思い出してしまうが、国道309号線も吉野の南部へと続く道だから元は旧街道だったのだろう。ここから吉野川に架かる橋までは上の写真にある、両側を建物が押し迫ってくるようにある道を通り過ぎて行く。この狭い道が国道309号線、くねくねとしていて車も多く注意を払って進まなければならない。この後は吉野川へと出て吉野川分水の下渕頭首工や残りの万葉歌碑を巡って、時間はあっという間に過ぎ去ってしまう、帰りは下市口駅から輪行で・・・と予定していたが、電車までは時間があるし、午前中の大失敗で自分に罰を与えたい気持ちがあったので、ここは試練の山越えをすることに。そんなわけで帰りは国道169号線、芦原峠からトンネルを越えて高取町、明日香村を通り過ぎて近鉄橿原神宮前駅まで戻ってきた。まあ半分以上は下りだったのでそんなに時間もかからなかったし、試練と言うほどでもなかったな、でも気持ちはやっぱり沈んでいた、カメラを落としてしまうとは・・・僕としたことが・・・、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。・・・・・・・・・・・・まちみち




No.1588 日本で2番目に小さな町巡り(3)・・・三宅町伴堂、石見地区

2021-06-15 23:22:42 | まち
よろしくお願いします。

















日本で2番目に小さな町、三宅町巡りは今回が3回目で一応このシリーズの最終回となるのですが、この町はいろいろなテーマで巡ったり通り過ぎたりする所です、またここで取り上げることがあると思いますが、まずは今回のテーマに沿って巡って行くこととしましょう。これまでは屏風地区、但馬地区・・・と言っても奈良県民でも知らないような地名だと思いますが・・・を巡って来ました、今回まずやって来たのはまたまた屏風地区、まずは川西町との境界に近い太子道が通る所です。太子道はもうここでも何度も取り上げたことがあるし、写真6枚目にある中学校も隣り合う2つの町の組合立の学校として紹介したこともありました。その下の写真にある屏風池は『鶴瓶の家族に乾杯』で笑福亭鶴瓶と加藤雅也が待ち合わせした所、その向こうに見えているのが近鉄橿原線と京奈和道。小さな町と言っても京奈和道・・・この区間は無料です・・・には三宅ICがあり、近鉄線には2つの駅・・・前回訪れた田原本線の但馬駅とこの後お伝えすることになる橿原線石見駅・・・があって交通の便は充実している、とりあえず太子道を町の中心部へ向けて進んで行ってみることとしましょう。















太子道を進んで三宅町の中では一番の中心部に当たる伴堂地区へとやって来ました。街道沿いにあるお地蔵様、道標のある神社、町の花であるあざさ、町の中心部には万葉歌碑があり恋人の聖地と言う観光スポット、この辺りの風景も以前に何度かお伝えしたことがありました。ここから西へと進んだ所に町役場があるが、町の中心部と言うにはあまりにも似つかわしい民家がズラリと並ぶ所、まあそれも日本で2番目に小さな町らしいと言ったところか。それではこの巡りの最後として、実質に三宅町の玄関口となる石見駅がある所へ行ってみることとしましょう。




















その石見駅、結構分かりにくい場所にあるんだよなあ、国道24号線側から行くと町中の入り組んだ道を進んで行かなければならなく、結構迷ってしまうことになる。伴堂地区からだと京奈和道の下をくぐって行くと、案外簡単に駅へと行けてしまう、ちなみに太子道をそのまま南へと進んで行くと、田原本線の黒田駅に行くこともできるので、鉄道に関しては恵まれた所と言える。石見駅は駅の西側は整備されて立派な駅舎も構えている、しかし東側は先にも書いたように民家が入り組んでいて主要道路にはなかなか出ることができない。この辺りは環濠集落になっていて、狭い道がまさに迷路・・・とはっきりとその言葉で書かれた案内の看板が町中に立っている・・・のように展開している、ここも外敵からの守りを目的とした造りが為されていて、まさに自分の身は自分で守ることを教訓としていたかのよう。その町並を抜けると田園風景が広がってきて、所々では古墳を見ることもできる、田原本町との境界付近には遺跡もあって、街角には埴輪のレプリカも展示されている。さて、2~3時間もあればほとんどの地域を回ることができる三宅町、今回はここまでとしておきますが、この先もいろいろなテーマでまた巡ることになると思います。あれ?この風景、前もやってたやん・・・と思われることもあると思いますが、小さくてもなかなか魅力のある町です、機会があればまた語らせてください、今回もご覧いただきましてどうもありがとうございました。・・・・・・・・・・・・まちみち