(画像:ウィキメディア・コモンズ)
こんにちは、おおたぶです!
今日は、あのツタンカーメンについて
少しご紹介したいと思います!
今からおよそ3350年前。
ツタンカーメンはわずか9歳で即位し、
わずか18歳でこの世を去ったファラオ(王)でした。
時は流れ…
1922年11月、イギリス人の考古学者・ハワード・カーター氏
により発見されたツタンカーメンの墓は『世紀の大発見』と言われました。
それまで発見された多くのファラオの墓は、例外なく墓泥棒により
盗掘にあっていました。
カーター氏が発見したツタンカーメンの墓は盗掘を免れ(一部を除く)、
そこで3300年の歴史の扉が開いたのです。
ツタンカーメンの墓は歴代ファラオ達とともに【王家の谷】にあります。
盗掘を免れた理由としては、ツタンカーメンの墓の上に
違う王の大きな墓があり、墓泥棒達もその下にある“もう1つの墓”
の存在には気がつかなかったためと言われています。
ツタンカーメンの墓は他のファラオ達の墓よりはるかに小規模です。
発見当時、墓内部の小さな空間には、副葬品として金などの数々の財宝が
見つかりました。ところが、ツタンカーメンのミイラだけは
どこにもありませんでした。
「やはり盗まれたのか…」
カーター氏はそう思いましたが、ふと部屋の片隅の壁に目をやると、
2体の門番のような像が向かい合って立っており、
それが壁を守るように見えたのだそうです。さらに、
その壁の色が他の壁と色が違うことにも気づいたカーター氏は
(ここに何かあるかもしれない)
と直感的に思ったのだそうです。
壁を壊すと、
そこにはやはり小部屋のような『空間』が存在しました。
そしてその空間一杯に、高さ2m以上の
■巨大な木製の厨子(ずし)■が見つかりました。
ここからは驚きの連続でした。
観音開き式の厨子を開けると…
↓
■■また厨子が出てきました。■■
2番目の厨子を開けると…
↓
↓
■■■またまた厨子が出てきました。■■■
3番目の厨子を開けると…
↓
↓
■■■■またまたまた厨子が出てきました!!■■■■
まるでロシアのマトリョーシカのようです。
4番目の厨子を開けると…
↓
↓
■中から石棺が出てきました。■
ついにミイラ発見か。
石棺を開けると…
↓
↓
なんと今度は
■木棺が出てきました。。。■
木棺を開けると…
↓
↓
■また木棺が出てきました。。。。■
いよいよか。
2番目の木棺を開けると…
↓
↓
なんと今度は
■金棺が出てきました(21金)■
そして金棺を開けた時…
…
…
↓
↓
!!!!!!
ついにあの【黄金のマスク】を被った
【ツタンカーメンのミイラ】が見つかったのです!!
おさらいすると、
四重の厨子⇒石棺⇒木棺⇒木棺⇒金棺⇒ミイラ
ミイラを納めた棺はなんと全体で八重の入れ子式になっていました。
手間の掛け方が尋常ではありません。
古代エジプト・ファラオの絶大な権力を物語っています。
尚、弊社の旅ではもちろんこの
【ツタンカーメンの墓の内部】をご案内しました。
ツタンカーメンのミイラもご覧いただきました。
(画像:ウィキメディア・コモンズ)
そしてツタンカーメンの黄金のマスクや、金棺、
木棺、厨子、門番の像、数々の財宝などは
▼カイロ考古学博物館にて見学しました。
現在、ツタンカーメンの墓は、内部の壁画等の
状態悪化が懸念され、保存状態を保つための
工事も検討されているそうです。
行くならお早めに!そしてキャラバンで行きましょう!!
長くなりましたが、
ご精読ありがとうございました。
いつもご覧いただきありがとうございます!
ブログランキング、ここをクリックして応援して下さい
人気ブログランキングへ
魅力的なツアーが満載です!こちらへも是非お立ち寄り下さい。
コメントありがとうございます!
ツタンカーメンの話は私も知ってとても驚きました。
日本にも一度、黄金のマスクが1965年に出張していますが、その後はチャンスがないようです。
是非エジプトへいらして下さい!