今年6月4日のこと。
富士ヒルクライムを次週に控え、しかしここでジタバタ坂上りをやっても疲労が溜まるだけだろう(俺レベルの場合特に…)と判断、それでも最低限自転車には乗っておくべく、小径車のケッチ君に乗って比較的平坦な国道の道を北上、東京に向かった。
折りしもこの日は、その小径車に特化したイベント「MINILOVE」が国立競技場の一角で行われるってことで、尚且つその情報の出所が絹代さんであり、彼女がMCをされるって事で久しぶりにお会いしに行こうかなっつう目的もあった訳である。
で、実は結構久しぶりだった東京への遠乗り。
それももしかするとケッチでは初だったような気もしたが、とりあえず行きはマイペースで特にへばることもなく都内に突入し、現地近くに到着。
周辺道路はしかし、それ程小径車が沢山走っているという風でもなく(まあ逆に言うとマニアックな小径車でない限り、ロードバイクとかは都心ではそれ程珍しくは無くなってるということ)、若干拍子抜けしつつ近所の有名なラーメン屋、ホープ軒にてとんこつ系のラーメンを食べた。
やはり自転車乗り系の客がほぼ見受けられない店内で、背油がバッチリ入りつつもコッテリしすぎないという、不思議な感じのラーメンをズルズルと食らい、満足した俺はいよいよ会場へ。
すると、会場の中は下界と全く違う、というかいつもの、自転車大集合な雰囲気が。
違うのは、そこにある自転車が全て小径車だということ。
何でもカスタマイズコンテストなんつうものが開催されていて、様々な方向性を見せつつチューンナップされた小径車達がズラッと展示される中を抜け、細長い会場の奥に入っていった。
このMINILOVEでは、俺が乗っているケッチ君の生みの親であるKHS社殿も大々的にブースを出したり、お偉いさんがイベントにも参加していたりと活躍していた。俺も、ブースで色々自分の自転車のことについて改めて聞いたりしていた。
もちろん試乗会もやっており、俺が試乗した中で一番印象に残ったのは、リーズナブルかつマトモな自転車を作られてるprogressive社のCX-206-16Rという、ドロップハンドルの小径車(但し折り畳みはできない)。
好みは分かれるだろうが、アルミフレームがガッチリとしており、しっかり硬い感触の走りはちょっといい値段のロードバイクのようで俺としては好印象だった。
正直これだけちゃんとした作りの自転車が8万を切る値段というのは個人的にはかなりビックリの安値なんだけど…自転車の値段8万を安いと思うかどうかはこれまた人によって分かれるのか…
と一通り運動もしたところで!?いよいよ絹代さんに挨拶を、と思ったがイベント内で行われていた小径車レースの実況等で忙しいようだったので、俺は別のブースに立寄った。
そこはオレンヂジュースという名の栃木の自転車ショップのブースだったのだが、なんとここで漫画家である宮尾岳先生のサイン会が開催されているとのこと。
先生は、自転車好きで漫画好きなら知っている人も多いと思うが、「アオバ自転車店」というかなりコアな(でも絵柄は親しみやすいよ)自転車漫画を描かれている方。
ここだけの話、実は俺はそれ程先生の作品を拝見している訳ではなかったが、袖すり合うも何とやら的な名目の元にサイン待ちの行列に加わらせて頂いた。
しかし、何を書いてもらおうかな…
行列に並びながら、ウダウダと考えていたのだが、次週の富士ヒルクライムに向けての応援メッセージでももらおうかな?と我田引水なテーマを思いついたので、自分の番が来たところで先生にお願いしてみた。
すると、先生はコピックの筆タイプのを持ち、サラサラっと線を描き始めた。初めは分からなかったが、それはやがて指あきのグローブをつけた(この辺芸が細かい)手であることが分かってきた。
そして、それまで白紙であった色紙にあっと言う間に絵が出来上がっていく。漫画家さんにサインを頂くというのは確か初めてだったので、その魔法のような出来事にただ感嘆した俺。
で、完成。
内容は、前述の漫画「アオバ自転車店」の主人公、峠アオバちゃんが右手で富士山のてっぺんを指差し、写真の力強いお言葉を…
おおおおおお
何と言う有難い…しかも山は色を変えて二色で描いてくださるという豪華な作品に仕上がった。
こ、これはしかし、ここまでアオバちゃんに激励をもらったからには、本当にIEKI吐くまで必死で登らんと申し訳が立たんなあ…
と、あまつさえプレッシャーさえ受けてしまうような嬉しいサインを頂き、いよいよ富士ヒルクライムに向けての準備は心身ともに十分になった気がした俺ではあった。
とは言え、この日の帰りはあっさり途中で輪行するなどかなりヘボヘボではあったが・・・
そうそう、絹代さんの方なんだが、この日は結局挨拶する隙がないくらい彼女が忙しく、遠くから会釈するのみにとどまってしまった。まあ、絹代さんは富士でもMCされるし…とたかをくくっていた俺ではあったが、ともかく運命の日は刻一刻と近づいていた。