みずけん戦記

せめてもう少しだけ、走らせてくれ。

お知らせ

2011-08-29 23:09:31 | 雑記

当みずけん戦記ですが、しばらくの間お休みを頂くことにします。

事情は、ここでは書かないと思いますが、親しい人間にはいずれ話すことになると思います。

とりあえず、今までありがとうございました。

 


【こんなんでも完結編】とある水野の富士登山(ヒルクライム)2【第十一話・決死の富士下山】

2011-08-27 22:36:31 | その他スポーツ

 近年、富士山から拝む日の出、「ご来光」を富士山頂以外から拝もうという流れがあるとか。

 それというのも、とにかく特に日曜のご来光の時間は山頂が混むのである。

 一方、少なくとも俺が今回登った吉田口からの登山道は、富士山の東に面しているため、八合目まで来てしまえば、雲の上だし観られる条件も、景色もほとんど変わらない(らしい)。なので、敢えてリスクを犯して暗い夜道を登るより、山小屋でご来光を見てから山頂に行った方が快適であると。

 事実、山頂はやたらと混んでいた。

 俺が行った時は、天気は決して良くはなく、それでも冬の格好をした登山者達が食い入るように東の空の彼方を眺める中。

 やがて、雲海からオレンジ色の光の塊が姿を現した。

 どこかの都心の朝のラッシュアワーかと思うような群衆がどよめき、一斉に写真を撮る。

 そのうち、誰かの掛け声でバンザイ三唱が始まり、何だか自分も含め、群集が一体となったような気がした。

 

 で。

 女性ガイドに率いられたお鉢巡り組と別に、自分はネパール人のガイドに先導される組に加わり、先に荷物を預けた本八合目トモエ館に戻ることになった。

 ガイドに引率された先の下山路。それは他の登山者の方々にはそれは爽快な眺めに見えただろうが、俺にとってはそれはまるで断崖絶壁のように見えた…

 

 とにかく、左の膝裏が痛い。

 まともに前を向いて下りようとすると既に痛くて厳しかったため、後ろ向きで下りたり横向きで下りたりしていたのだが、トモエ館に戻る時にはもう限界を超えてる感じで、ネパール人のガイドさんに一応話はしたが、痛み止めの類はないとのこと。

 くっそー、これから五合目までこの調子の下りが続いていくということは、俺かなりのピンチかも…

 トモエ館にてしばし休憩し、お鉢巡り組も合流し、さー下山だとみんなウキウキ気分なのだが、俺だけはかなり厳しい状況となっていた。

 もう、後ろ向き歩きでも痛みが出てきたため、頼みの綱の二本のストックを松葉杖のように使いながらヘコヘコと下山道を歩く。

 ヘコヘコやっているが故に、もうあっという間に一団から取り残される俺。

 しかし、そこで、女性ガイドが心配して俺について下さった。もちろん、彼女は一番後ろの登山者を確実に案内するという仕事でやっているに過ぎない訳だが。

 それでも、膝に爆弾を抱えていながら、サポーターの一つも持っていない俺に、ガイドさんは色々手を尽くして下さった。

 まず膝が痛いときの対処法として、手ぬぐいを膝に巻きつけ強く縛ることである程度固定するというやり方。

 後は、膝のお皿を中心にひし形状にテーピングをして、膝を固定しぐらつきを防ぐ→痛みを和らげるという処置もしてもらった。

 その甲斐があってか、亀の歩みながらも、順調に俺はガイドさんと共に、ちまちま休憩を挟みつつ、どうにかこうにかつづら折の下山路を七合目までやってきた。

 七合目以下は、それ程急な下りではない上に、結構高いが馬に乗って五合目まで連れて行ってもらえるサービスがあるらしい。

 ガイドさんは俺にその馬を提案して下さったが、ここまできたら自分の脚で下りたいと思い、無理を行って徒歩での下山を続行。

 やがて、登山路との合流地点を過ぎ、六合目の施設を過ぎ、その先にある馬車もキャンセルし、ヘコヘコながら結局俺は五合目まで歩いてしまった。

 

 それは結局ガイドさんにとっては迷惑だったのかも知れないが…

 

 ともあれ、無事に下山できた俺は、ガイドさんに丁重にお礼を言い、五合目の施設で名物吉田うどんをチュルっと頂き、ほっと一息ついて。

 ツアーバスは、この後河口湖畔のあかり亭という所に行き、昨日今日とかきまくった汗を流し(山小屋は当然の如く風呂なんてないからね)、そこで俺は名物ほうとうをチュルっと頂き(アレこういうシーンさっき無かった?)、後はバスに揺られて地元まで帰還と…

 いうところで帰り道がまさかの超渋滞で、結局家についたのが夜中23時ごろだったという…最後の最後まで大変ではあったが、ともあれ無事っちゃあ無事に富士の(不)完全登山はここに幕を閉じたのであった。

 

 ここで予告。

 実は、来週日曜が某資格試験の受験日であり、もし更新できるとしても日曜夜にちびっとだけになりそうなのだが、その辺平にご容赦を。


【文字通りの頂上決戦!?】とある水野の富士登山(ヒルクライム)2【第十話・山頂エリア到達、しかし…】

2011-08-21 22:58:03 | その他スポーツ

8月6日夜、富士山の斜面に建てられた山小屋、本八合目トモエ館。

その中の寝床、といっても部屋にビッシリ寝袋が並べられただけのシンプルな空間だが、そこで俺は夕食後悶々としていた。

ここまで登っている時は不思議と感じなかったのだが、横になって普通に呼吸をしているだけなのに、無性に息苦しい。

そう、ここは既に標高3,400m。酸素濃度としては平地よりは遥かに低く、俺自身は全く未体験の高度に到達していたのだ。

ただでさえ、お世辞にもユッタリとは言えない空間(それでも、昔は頭を互い違いにして寝るという、極限までの詰め込みをやっていたらしく、それと比べれば大分ましらしいが)の中、心理的にも息苦しい環境に参りそうになったが、そんな時こそ…

オーツースタイル!」ぴしゃしゃしゃーん!!!<効果音

ということで、先の富士登山講座の時に小日向先生から教わった小型携帯酸素ボンベを取り出したドラ…ではなく俺。

何でも、従来からある大型の酸素缶、あの噴射口にカップがついていて口で吸うやつ、ああいうのは何回か呼吸するうちに自分の呼気で酸素濃度が薄くなり、効果が薄れる場合があるとか。

一方、こちらはそういう酸素缶よりも濃度が高く(99.5%)、小さい噴射口を使って鼻から吸うことにより高い効果が得られるんだとか。

ということで、実はこれが生涯初酸素缶だったのだが、ブシュっと出てくるガスを鼻から何度か吸うと、何だかハイな気分もとい息苦しさが和らいだ。

いやあ正直助かるわぁ…

てな訳で、幾分気分が落ち着いた俺は、一旦寝袋にて仮眠。

 

しかし、その仮眠も束の間、8月7日になって間もない午前1時過ぎ、再び起床しスタンバイ。

ここから先、てっぺんまでの登山道は日の出の時間に向けてかなり混むらしく、女性ガイドさんがその先手を取って早めに出ようと夕食時に通達。

一旦は天候悪化により様子見となったが、満を持して1時半に山小屋を出発し、てっぺんでご来光を拝むため夜の頂上アタックをすることになった。

つうか、出発しようと思った矢先、山小屋前から大渋滞(ちなみに補足しとくと、構造上山小屋前のスペースも登山ルートになっており避けて通ることはできないため、山小屋の前も混むのである)

そして外に出て、ヘッドライトをつけて準備運動をする時も、既に山頂に向けて白く光る点が九十九折の登山路に沿って続き、さながら白い登り龍のようにてっぺんまで繋がっていた。

こ、こりゃすげえ…

圧倒されつつも、夜間工事のガードマンが持つような赤く光る棒を手にしたガイドさんを先頭に、一行イザ出発。

 

よせばいいのに、成り行き上またも列後尾の方で登る俺。

しかし、本八合目トモエ館は荷物を一時的に預かってもらえるため、軽量化した俺は昼よりは楽に登ることができた。

楽とは言え、前述の通り標高は3,000mを裕に超え、真夜中で視界の悪い登山路、それも九合目からは一旦岩場となり、もうサルの如く手もフル活用して必死に登り続ける。

そんな俺を尻目に、シンガリを務めるネパール人のガイド氏は、こともあろうに鼻歌交じりでその岩場を、器用にダブルストックを使いながらヒョイヒョイ登っていくのよ…

まあ、世界最高峰を擁し、富士山以上の標高の場所など幾らでもありそうな国の出身だから、富士山など朝飯前なのかも知れないわな。正直羨ましい限りだが…

 

登山路は続き、大渋滞の道を休み休まされ登るツアー一行。途中、ビバークというのか、ご来光待ちなのか、登山路脇にうずくまって待機する登山者がいたり、或いは訓練中なのか、自衛隊の方々がいたりする。

ふと、下を見下ろすとそこにはくねくねと、ひしめきあう登山者のヘッドライトが白い光の川を成す。

 

もし、外国人がこの光景を写真かなんかで観たら、「日本にはフジサンという山に夜通し登る『儀式』がある」と、そう思うんじゃないか。

そう、これは正に、日常ならざる風景。なぜか心躍らされる、不思議な「儀式」がここでは夏の間、毎夜の如く執り行われているのだ。

 

やがて、一行の儀式はピークを迎える。

吉田口から登りつめる山頂エリアの入り口を示す鳥居が見えてきたのだ。

遂にてっぺんか…

鳥居をくぐると、そこはまるで大晦日夜の神社のように、厚着をした人が狭い通路にひしめき合っていた。

一行は売店を一旦通過し、その奥の通路の広がった所で集合。

そこでまずはここまで来た労をねぎらいつつ、ガイドさんが「お鉢巡り」をするメンバーの確認をしてきた。

 

ここまで何度か「てっぺん」「山頂」という表現をしてきたが、正確にはまだ山頂ではない。

所謂3,776mの富士山の最高地点たる剣が峰は、俺が登ってきた吉田口から到達するには、この山頂エリアたる「お鉢」、富士のてっぺんの平らな場所のことだが、ここをぐるっと数十分程度歩いて回り込まないと到達できない。

今回俺が参加したツアーは、ハナっからこのお鉢巡りを念頭に入れており、それゆえガイドさんも早めの出発を決断していた訳だ。

俺は、もちろんその最高地点を目指すために当ツアーに参加し、ここまで来た。

目指すつもりだったのだが…

俺は、ガイドさんの問いかけに笑顔で「やめときます」と答えた。

理由は、俺が一番良く分かっていた。

 

もうとっくに膝が限界だったのだよ!!!(号泣)

次回、例によって感動とは程遠いgdgdの最終回。あまりにひどい展開に読者のみんなも悶絶必死だ!


【ついに登山開始】とある水野の富士登山(ヒルクライム)2【第九話・富士登山戦記八合目まで】

2011-08-15 23:44:16 | その他スポーツ

2011年8月6日、早朝。

まだ外は薄暗い中、眠い目で朝飯を摂り、寝床の足元に置いていたバックパックを持つと、ずしりと重い。

諸々の資料に拠ると、山小屋で一泊(つまり、キャンプ道具等は使わない)するような登山の場合、バックパックの容量は30~40リットル程度が適当である、ということで俺はモンベルの35リットルのバックパックを買った。

両手で持つため二本のストック(杖)をサイドに挿したバックパックを背負い、腰、肩、胸とストラップを締めこむ。

縦にうず高い形状なのは、狭い山道で他の人とすれ違う時に邪魔にならないように、との事らしい。

 

富士山に登ろうと漠然と考えていた時から、ハテしかしどうやって行ったものか?と思案していたのだが、ネットでちょろっと調べてみると、登山口までの往復のバスと山小屋一泊、さらにはガイドさんまでついてくれるというツアーがあったため、それに乗っかることにした俺。

しかしこのツアー、何しろ集合時間が早く、田舎住まいの?俺様は近くのバス停からの始発では間に合わず、仕方なく某駅まで自転車を転がし行くことにした。

下手すっと10kg近い荷物を背負い、20インチタイヤの折り畳み自転車ケッチにまたがり、何とか駅まで行き電車を乗り継ぎ集合場所に。

集合場所は、毎日長距離バスが待機しているお馴染みの場所なのだが、この朝は某ロックフェスのツアーバスが出ていた関係でいつも以上にごった返していた。

ほぼ普段着のロックフェス参加者の一団に混じり、山ガールだったり俺のようなにわか山ボーイ!?は、少々場から浮きつつもバスに乗り込み、新宿を経由して一路山梨へ。

夏休み本番、中央道がメチャ混みの中バスは高速と一般道を使い分けつつも、予定より遅れて富士スバルラインに入る。

この間必死こいて自転車で登ったスバルライン、この日は練習で上っている自転車尻目にバスで通過。つうかスバルラインって普通に自転車で走っていいんだとこの日初めて知った。ヒルクラの時以外来た事無かったからな…

 

やがて、バスは四つある富士山頂への登山口の一つ、標高約2,000mの吉田口に辿り着いた。

ガイドの女性の案内によると、この五合目での滞在時間は少々短めになるようだった。

そう、このガイドさん、最初新宿で点呼をしている時は五合目までだけの添乗員だと思っていたのだが、彼女が前述した「富士山頂までのガイド」という事実が分かった時はちょっと驚いた。何しろ見た目は普通の女の子って感じだったのでね。

しかし、その第一印象は後に覆らざるを得ない事態になっていく訳だが…

バスから降りて、まず五合目の施設で着替えを…と思ったら、建物の中は90年代のスキー場さながらの大混雑で、時間もあまりない中何とか着替えて準備万端、しかしうどんを食うヒマはなく携帯食をかじりながら集合場所へ。

吉田口五合目、どちらかというと観光客向けといった風情の店が多い場所だが、そんな建物が立ち並ぶ広場の一角で一同は集合し、準備運動を行い、山頂目指して頑張るぞオー的な掛け声も出しつついよいよ長い登山が始まることに。

ここでもう一人、ネパール人の方がガイドに加わり、彼はシンガリを務めてくれるとのこと。こちらはもう見るからに、頼りになるどころかネパールって反則じゃね?っつう位の人という第一印象ではあった。

 

で。

五合目を出発し、最初のうちはむしろ下っていたり、石畳の道がありつつもそれ程の勾配ではなく、その頃はまだ良かったのだが。

六合目、登山路と下山路の分岐点を過ぎたところから、急に富士山はその険しさを増す。

この日は比較的天気が悪く、雨がぱらついたり晴れ間が見えたりする中をヒイコラ言って急な斜面を登り、短い休憩を挟んでまた登る。

七合目にきて、山小屋の先の道の脇で休憩。この時既に俺は疲労困憊。

ガイドさんが言うには、体力に不安のある人は前の方がいい、ということだったのだが、俺はまあ何とか大丈夫だろうとたかをくくり、最後列の方を歩いていた。

しかし、登山を続けるうち、最後尾にいると前列が休憩を始めてしばらくしてやっと到着→休憩したと思ったら前列はもう十分休憩したのでもう出発→結局後列もバタバタしつつすぐ出発→休めないという図式に気づき・・・

はしたのだが、一度後ろについてしまうと案外前方に出られないもんで、そのままズルズルと後方で斜度を増す登山路を進み続けた。

 

七合目の登山路は、急斜面を通り越して半ば崖のような岩場となり、これが厳しいのなんの。

重い荷物を背負い、安定の悪い中をしかも人が多くて前の人の動きを見ながら止まったり、登ったりしなければならず、自分のペースで進めない状況が続く。

土日の吉田口ルートは人が多いとは聞いていたが、これ程とは…

もはや年末年始の川崎大師のような大渋滞の中、俺は何とか集団についていき、背負っていった2リットルのペットボトルの水も順調に消費しつつ必死の登山を続けた。

周りでは、持参している酸素缶をここぞとばかりに取り出し、スースーと酸素を吸入する音があちこちで響く…

しかし俺は、まだ山小屋にもついてないうちから出す訳にはいかん、切り札は最後まで取っておかねば…との考えでギリギリでやせ我慢。

 

そして、19時にさしかかり、そろそろ日も暮れようとしていた時、ついに本八合目のトモエ館という山小屋に一行は到着した。

ようやく山小屋か…

そんな安堵も束の間、とある水野の富士登山はこれからが正念場となる。

 

※写真は七合目の某山小屋脇から取った麓の風景。あんまり天気がよくなかったのでこの程度だけど…


【低山なめたらあかーん】とある水野の富士登山(ヒルクライム)2【第八話・激暑悶絶長瀞登山】

2011-08-08 23:10:58 | その他スポーツ

先の7月にあった三連休の最終日である7月18日。

俺は、八高線、秩父鉄道とローカル線を乗り継ぎ、埼玉県は長瀞という地に辿り着いた。

奇しくもこの日の朝は、例の女子サッカーワールドカップの決勝戦なんつうものがあり、俺はごく久しぶりにケータイのワンセグ機能を駆使し?電車の中でガッツポーズを取ってしまう(笑)等、興奮と感動覚めやらないうちにモンベル長瀞店に到着。

今回は、富士登山に向けての足慣らしおよび、登山についてを学ぶために「モンベル・アウトドアチャレンジ(MOC)」という、要は講習会の類に参加してきたのである。

 

まず、既に暑さを増した店頭でこの日のルートの説明、自己紹介、準備運動等を行い、早速宝登山(ほどさん)という山のてっぺん目指してスタート。

どっちかというと女性、んまあ今時の言い方で言うと「山ガール」の方が多いパーティは、途中コンビニに寄りつつ登山道の入り口に到着。

そこで、アウトドア用コンパスの使い方など学びつつ(これは今回の富士登山では役に立てることがなかったけど)、いよいよ登山開始。

とはいえ、登山つっても標高500mもない山だしなあ…などと気軽に考えていたのだがこれが全くそんなことはなく。

歩を進めるに従い、険しさを増す登山道。そして、心なしかペースの速い一行に俺はついていくのがやっとだったりして…

 

やがて、一行は宝登山山頂間近の登山道である階段区間に到達。

既に暑さはピークを迎え、体力もかなり消耗していたが、富士山のことを考えたらここで音を上げる訳にはいかん…

と思いはするのだが、とにかくガイドさんの登るスピードが速い!そして山ガールの皆さんも速い!

お、俺もしかしてただのヘッポコ野郎だったのか…?と今更のことを痛感しつつ、つけてた心拍計の数値も最後には170をオーバーしつつ、ついに山頂エリアに到達。

つっ、疲れた…

暑さと勾配にやられつつも、達成感と周囲の緑溢れる風景、そして麓で買ってきたおにぎりで心身を癒していると、一行が登ってきたのと反対側の方から、ビーサンにビニール袋をブラ下げたような軽ーい格好の若者達(こういう表現をしている時点でかなりオヤジだな)が…

!?

ああ、そういやこの宝登山にはロープウェイがあったんだった。

ロープウェイは麓から山頂のすぐ近くまで通っていて、そういう意味ではどんな格好でも山頂に来ることは可能なのである。

それなりの装備で、必死こいて登ってきた人間にとってはそれはそれは違和感満点な印象だが、一方むこうからしたら、こっちの装備を異様なものに感じるのかね?言ってみれば、ビーチ山ガールがやってきた位の感覚かも知れん。

 

ともかく、この日は暑かった。

今回参加して分かったが、夏の時期宝登山のような標高数百mの言わば「低山」は、基本的に気温が平地とほとんど変わらず、そういう意味で標高2,000m級以上の山より大変だったりする。山である以上飲み物が簡単に手に入る訳ではないから、水を沢山しょってかないといかんし…

低山の暑さの洗礼を受け、さらに下りでは膝にダメージを受け、大変な思いはしたが楽しい登山ではあった。

山を下りた後は、昔寄ったことがある宝登山神社を詣で、長瀞駅前の商店街を散策。

長瀞は昔ながらの船による川下りや、ラフティング、カヌーなどが盛んで、それゆえどちらかというと夏がシーズン。

この日も、商店街は混雑していたし、有名な岩畳では川下りの船が沢山いて、正月行った時とはまた違う活気を見せていた。今度行った時は大行列の阿左美冷蔵のかき氷を食べてみたいもんだな。

最後は長瀞駅近くでバスで拾ってもらい、モンベル長瀞店に帰還。その後は熊谷から湘南新宿ラインに乗り、ビールをプハッとやりながら無事帰宅した。

 

当初、富士登山に向けての練習と比較的軽い気持ちで参加したものの、中々ハードで自分の体力の無さを実感する結果にはなった。

一方、登山の時に水分補給がどれだけ大切かということを身をもって学習できたし、先日買い直したモンベルのトレッキングシューズはうまいこと足にフィットしてくれたので、そういう意味では富士に向けてのいい足慣らし(靴慣らし)にはなったかとも実感した。

とは言え、この宝登山登山で練習して、次がいきなり富士山というのもかなり色々跳び越しちゃってる気はするが…

 

次回から、いよいよ富士登山シリーズのクライマックス?頂上アタックのお話が始まる予定。つうか、今こうしてブログを更新してるってことは何とか生きて家には帰ってきたってことの証明であるんだが…さらに悶絶必死のヒルクライム、期待しないで来週月曜あたりを待て!<ズルズル更新日先延ばしかい…