みずけん戦記

せめてもう少しだけ、走らせてくれ。

「超越者」たちのツール…ツール・ド・フランス(俺的)観戦記のあとがきに代えて

2009-08-30 22:54:19 | 自転車
もう2年前の番組なのだが。

JSPORTSの番組で、別府史之君の特集をやっていたのを当時録画し、見よう見ようと思いつつつい最近までほったらかしにしていたのを、ついこないだ見た。

そこで驚いたのが、その2年前の番組で、彼がはっきりと「ツール・ド・フランスに出て、ステージ優勝をしたい」と目標として語っていた事だ。

(何か前にも書いた気がするが)彼は高校卒業の後、バックアップはあったものの単身フランスに渡航、もちろん回りに日本人選手など皆無という状況で奮闘。

番組放送当時は、ディスカバリーチャンネルという、あのランス・アームストロングも在籍していたチームで、既にプロの選手として活躍していた。
しかし、まだツールに出場というのは遥か先の夢みたいな話だったはずだ。

それでも、彼はツールで勝ちたいと言った。


「出たい」ではなくね。


一方、つい最近やはりJSPORTSで、別府選手と新城選手のツール参戦の始終を追ったドキュメンタリーが放映されていた。

二人のツールでの活躍は、俺も当ブログ上でハシャいだ経緯もあり、これを読んで下さっている多くの人がご存知だとは思う。ので割愛。

しかし、俺も詳しくは知らなかったのだが、新城選手の方は第5ステージで落車した際に打ったお尻の痛みがその後もずっと尾を引き、心身ともにかなりギリギリの状態で何とか完走したようだった。

もちろん、3週間で7千キロ以上を走るこのレース、完走するだけでも十分過ぎる力の持ち主ということは間違いない。

別府選手が、19ステージで7位入賞し、最終ステージで敢闘賞を取ったというのは、もうそれはある種ぶっ飛んだ領域まで行っちゃったと言う他ない。


番組内で、新城選手が完走直後のインタビューで「月に一歩下りたよう」ということを語っていたが、正にそれは俺も考えていたことであり、これはもう並大抵のことじゃないとかナンとかいう次元さえ超越してるんだと思う。


こないだ、恥ずかしながらある方のブログで、両選手のツール完走に当たり今後の日本ロードレース界の在り方の件で突っかかった(コメントでね)経緯があった。

その人は、この国のロードレースの現状を中の中まで知っている人で、つまり日本のロードレースを取巻く環境の不備、選手達の苦労を肌で感じているはずだ。

だからこそ、彼らへのサポート、俺の解釈ではチームのスポンサー等金銭面の話や取上げるメディア等の充実がもっと必要だということを、その方は説いていた。


でも、最終ステージ。

それが何かの賞争いに関わるわけではない。
正直言って逃げて勝てる可能性も限りなく低い。

それでも、最後の1周まで全力で逃げ続けた別府史之。

彼の姿を見ると、俺はどうしても別のことを考えてしまうんだよなあ。


つまり、ツール・ド・フランスで1勝でも出来るためには、周辺の環境など関係なく、もうありとあらゆる物事を超越する「心」がなければならないと思うのだ。

別にお金が要らない、サポートが要らないと言っているわけではない。

ただ、少なくともそれらが先にあって初めて選手が世界に出て行けるというのでは、俺は順序が違うと思うだけのこと。


尤も、俺が知る限りでは日本のトップクラスの選手のほとんどが、別府選手に通ずるような、例えば世界的なレースで2位とか3位になった時に「悔しい。次は勝ちたい」って普通に言えるような人達が沢山いて、もちろん新城選手もそういう心意気を持つ男だし、そういう意味では俺の心配は全く的外れかも知れない。

それでも、別府君のように、航空学校からいきなり宇宙飛行士になっちゃった位の超越した人間がこれからどれだけ日本に出てくるか。
まあ俺は期待しているけどね。

この先もツール・ド・フランスは続くし(4年後くらいに100回記念だったっけか?)、別府・新城をはじめとした日本人の世界への挑戦はまだまだ続く。

俺もヘッポコながら自転車を愛する人間、とりわけ日本人の一人として、「超越者」達のドラマを熱く見守っていきたいと思っている。

で、俺自身もちっちぇえ枠ながら、自分を超越すべくちょっとした大会にエントリーした訳だが…その辺はブックマーク参照のこと。



ツール・ド・フランス(俺的)観戦記10「ツールは終わらない」

2009-08-23 23:59:40 | 自転車
ツール・ド・フランス2009、第21ステージが最終ステージとなる。

ただ、このステージはパリへ向かう道中、その後の凱旋門の前を通る周回コースを含め全てド平坦。
順位の差がほぼつかない(余程でない限り集団スプリントとなる)性質上、前日のモンヴァントゥで総合トップをキープしたコンタドールのマイヨジョーヌは動かず、山岳・ポイント・新人の各賞も今回はほぼ確定済の状況でのスタートとなった。

ということで、最初は本当にパレード走行という感じ、チームに関係なく色んな選手が色んな選手と自転車の上で談笑したり(それこそコンタドールとアンディ・シュレックも仲良うしゃべったりしてた)、時折デジカメでカメラマンを逆撮影したり、何か色々やりつつも和やかに集団はパリへと向かう田舎道を走り抜けていった。

印象的だったのは、3年のブランクを経て復活、見事総合3位となったランス・アームストロング。

実はツール開催中、彼が来年自らがチームを立ち上げるという話が発表になった。

そんな事情を知り、ランスはポイント賞を勝ち取ったトル・フースホフトと談笑しているのを見ると、何かフースホフトがスカウトされているような気が…?


一方、我らが新城・別府の両日本人選手もこれまでの厳しい20ステージをくぐりぬけ、日本人として初となるツール・ド・フランス完走に向けて歴史的なランを続けていた。

時折、国際映像で二人のツーショットが映し出され、何となくホクホクしてしまう。

だが、彼らの活躍はこれで終わった訳ではなかったのだ。


さて、ランスがいろんな選手に「来年俺も雇ってくれよ」と話しかけられたり!?しているうちに、いよいよ大集団はパリの周回コースに突入。

シャンゼリゼ大通の周回コース、まずは王者の貫禄を見せつつ、アスタナの集団が先頭で走る。

しかし、程なくしてポツラポツラとアタック合戦がスタート。

ここで、一人…スキルシマノのジャージをまとった男が飛び出した。

彼こそが誰あろう別府史之。


誰もがまさかと思ったろう。しかし、彼はやってくれた!
別府選手はじめ7人の選手が、集団から飛び出し、逃げ集団が形成。
とりあえず無難に完走したいアスタナ、あくまで最後にスプリントに持ち込みたいため焦って追いかけたくないコロンビア・ハイロードなど集団先頭チームの思惑も絡み、まずは逃げ容認という形となった。

この周回コース、実はポイント賞地点が2箇所(2回といった方がいいのか)設けられている。
で、このうち一つ目のポイント賞、逃げ集団の中で別府は踏ん張り、見事2位通過…


ただでさえ、初の日本人完走という快挙を成し遂げつつある中、そこで更にここまでやってくれるとは…別府選手の話はエピローグがてら次回書こうと思っている。


凱旋門を背に、ド真っ直ぐのシャンゼリゼ周回コース、怒涛の大集団を背に果敢に走る7人の男達。もちろんその中には別府選手も。
こんな素晴らしい光景を、最後に観られるとは思わなかった。


結局、別府たちは最後には集団に吸収されたが、このステージで別府選手は敢闘賞が授与された。

毎ステージ、敢闘賞をもらった選手は表彰されるものなのだが、最終ステージだけは全体通しての敢闘賞のみ表彰されるらしく、別府選手は表彰台に上ることは叶わなかった。

だが、いつか彼はきっとツールの表彰台に立つ日が来るだろう。表彰台はその時までお預けということにしとこう。


最後の周回、今度は新城選手が集団の先頭に食い込み、いよいよ今年のツール最後のゴール前!

あ…ここで最終列車が発車

何と何と、最終コーナーで対抗するガーミン・スリップストリームの選手を前で抑え、マーク・カヴェンディッシュが圧倒的なスプリント力でゴール…

当観戦記でも何度も取上げたカヴ、最終的に今ツール6勝という物凄い結果を残した。
新城選手は惜しくもこのステージ20位、しかし彼もまた最後までツールで勝負する心意気を見せてくれた。もう「出ただけ」などとは誰一人思わせない二人のサムライの活躍に、心から拍手を送りたい。


そして。

数々のドラマの末、ツール・ド・フランス個人総合優勝、アルベルト・コンタドール。

彼が今後、どんな活躍を続けていくかは分からない。
だが、今回王者の貫禄みたいなものも見せ付けた彼は、これからのロードレース界を引っ張っていく人物の一人となるのは間違いないと思う。
また、他の選手達もこれからこの経験を基に、様々なレースで活躍を続けていくのだろう。


ロードレースの歴史という大局としての「ツール」は、まだまだ続いていくのだ。


最後に。
俺は、今回初めてツール・ド・フランスというものをテレビごしながら3週間にわたり毎日チェックしてきた。
何だか、彼らの長かった旅に付き合い、自分もちょっとした旅をしてきたような感覚を覚えた。カロリーはそれ程消費してないけど…

この観戦記で、類稀なスポーツ競技、ツール・ド・フランスのことを誰かに少しでも伝えることが出来たのであったらよいな。そんなことを思いつつ、ヤパーリ1ヶ月引っ張ってしまった当シリーズにひとまず幕を下ろそう。


次回は一応ツール絡みながら、別の角度のお話をするつもり。

ツール・ド・フランス(俺的)観戦記9「ツールの黄昏、モンヴァントゥの頂」

2009-08-16 23:16:37 | 自転車
180人の総勢でスタートしたツールも、リタイヤによりその数を減らし、残り156人。
考えたら2回の休息日がある他は、ここまで18日ぶっ通しで毎日200km近い距離を自転車で走るというのは、もはや旅というより冒険そのものだ。

その冒険のクライマックスに、「魔の山」もしくは「死の山」と呼ばれる山、MONT VENTOUX「モンヴァントゥ」は聳えていた。

標高は1,912m、頂上付近は厳しい気候のためほとんど草木も生えず、岩がむき出しになった風景も由来となっているんかも知れない。

だがここが「魔の山」と呼ばれるようになったゆえんの一つは、1967年のツール。

当時の名選手だった、トム・シンプソンという人が山頂付近で意識を失い転倒。そのまま帰らぬ人となるという悲劇が起こった。
(余談だが、資料(サイスポ7月号付録)によると、彼の最後の言葉は「Put me back on my bike」だったらしい…)

他にも何度か選手のトラブルがあったそうで、まさに「魔の山」と呼ぶべきモンヴァントゥ。
しかし、ここを上りきらねばシャンゼリゼへの道は開けない。

ここまで見事走り抜いてきた新城、別府両選手ももちろん、トップ選手達の挑戦を、この日俺はまずHUB横浜西口店で観戦。

このHUBという店、言ってみればスポーツバー的な場所で、自転車の主要レースのテレビ中継を店内で放送し、ツール・ド・フランスについてはコラボカクテルなども出したりしていてなかなか熱を入れている。
近い所では、8月末からブエルタ・ア・エスパーニャというのがまた長丁場なので行って見ると面白いと思う。

この日俺は自転車だったため、ノンアルコールカクテルを飲みつつ最初のほうだけ観戦。あとは実家にて観戦とした。


レースは、序盤から十数人の逃げ集団が形成され、集団は来るべきモンヴァントゥに向けて力を温存するためか、一時10分以上の時間差を容認。

総合優勝争いという面では事実上の最終ステージであり、総合上位の選手達は当然本気を出してくる。そういうことを考えれば正直勝ち目の薄い逃げではあるが、それでも彼らは逃げ続けた。


最大勾配10.6%、平均勾配7.6%。

この数字を見るだけでキビチイ、モンヴァントゥの上りが始まり、いつの間にか先頭は3人。
ラボバンクのファン・マヌエル・ガラーテ、コロンビア・ハイロードのトニー・マルティン、AG2R(アージェードゥゼル)のクリストフ・リブロン
しかし、この3人も協力体勢というよりは、お互い仕掛けあいながら半ばバラバラに行くような塩梅ではあった。


一方、その3,4分程度後ろを走るメイン集団は、やはり総合優勝争いの上位は全て面子に入っており、いつ誰が仕掛けるかという状態。

まずはサクソバンクのシュレック兄弟の兄、フランク・シュレックがアタック。
だが、この時点で総合3位のアームストロングや他の主要メンバーはこれにシッカリついてくる。

続いて、総合2位のアンディが先行。これにはコンタドールが(元々彼を重点マークしていたんだろう)後ろにつける。

その後、さらにアンディがアタック、兄ちゃんを含め他の選手を引き離すが、コンタドールは振り切ることができない…

そんな中、残り10km、8km、5kmと過ぎ、いつの間にか時速20km台という強烈な向かい風を受けつつ、いつの間にか兄ちゃん達のグループも再び二人に合流、総合上位達の熱い戦いが続く。


が、忘れてはいけない。
その先に前述した逃げ選手がまだ先行して走っているのだ。
リブロンは既に脱落し、ガラーテとマルティンの二人が、1分半程度先を頑張っている。
このモンヴァントゥで、まさかの逃げが決まるのか…?

先頭の二人、後ろの二人の戦いが、同時進行で繰り広げられる魔の山。

さらに、山岳賞ジャージのペッリツォッティが一人、先頭に追いつこうというペースでその中間地点を走るという、マルチな展開。


残り4km、3km、2km。

頂上が近づき、マイヨジョーヌに差をつけたいアンディは、さらにアタックを繰り返すが、黄色いジャージのコンタドールをどーしても引き離せない。

俺も自宅のPCで、沿道で応援する観客のコスプレ全力疾走大会(笑)を眺めつつ(本当、「人はなぜコスプレをするのか?」って論文を一遍書いてみたいくらいだ…俺もやるけど)、ステージ優勝、そして総合の行方をドキドキしつつ見守っていた。


最後の最後、先頭ではガラーテが、後ろではアンディがアタック。

ガラーテは、ゴール間際の急坂でマルティンを突き放し、何とこのステージを逃げ切り勝利。

一方アンディは最後までコンタドールを引き離せず、アンディ、コンタドール、そして粘りの走りでランス・アームストロングとフランク・シュレック。

終わってみれば、まず追いつかれると思っていた逃げ集団の面子が勝利したり、総合上位の人らは仲良く近いタイムでゴールという、逆に想像だにしない結果となったのである。


また、日本人選手2人も時間内に無事ゴールし、いよいよ残るは第21ステージ。

…は来週まで引っ張る結果になりそうな悪寒だが、21ステージもまた大事なのでちゃんと書かせてくれい。

ツール・ド・フランス(俺的)観戦記8「19ステージ…七番目の男」

2009-08-15 13:35:08 | 自転車
第19ステージ。

最初にいくつか、最後に2級の山を上って下る他は平坦なコース。
次の日が大上りゴール(これは後述)、最終ステージはまっ平ら過ぎてゴールスプリント必至であるだけに、下馬評では今ツール最後の逃げチャンスステージだと。

いう話を覚えて頂きつつ、実際の展開は。



やはり序盤から逃げ集団が形成されるが、これはまだ残り30km以上のところで吸収されてしまう。

一度集団走行となるが、残り25kmあたりで、更にブイグテレコムのローラン・ルフェーブルが飛び出した。
さらにさらに、昨年の世界選手権の勝者であり、その証である「アルカンシェル」(虹の意、某バンドと同じだね)のジャージをまとうアレッサンドロ・バッランも集団から抜け出し、二人で果敢にも最後の山に挑む。

頂上の時点で、しかし集団とのタイム差は10秒チョイ。下りに入り、逃げる二人を追うようにさらに、第8ステージの勝者であり、下りが得意なルイス・レオン・サンチェスも集団から飛び出した。

もう集団がカメラの視界に入るくらいの状態で、空気抵抗を抑えるためにフレームに体を密着させるポジションでガンガン下る彼らを見るには、何となくユーロビートがBGMにしっくり来そうな…(笑)


だがサンチェスは坂の途中で追跡をあきらめ集団に飲まれ、ルフェーブルも吸収され、残りはバッラン。

あきらめず最後まで意地の走りを続けるバッランの背後には、いつの間にか、あのコロンビア超特急が… 


しかーし!!


話の途中だが、このステージの本当の目玉はそのコロンビア3人の後方。

なんと。

我らが別府史之選手がいい位置につけている…

もう様々な要素が入り混じり過ぎのゴール前、ついにバッランが特急に追い抜かれ、ラスト数百mはゴールスプリント!

先頭は、やはり圧倒的な強さを誇るコロンビア・ハイロードのカヴェンディッシュ、その真後ろにフースホフト、だが。

別府選手も必至の形相で、並み居る強豪スプリンター達を相手に一歩も引かない全力疾走を見せ、結果、7位!





最後の山を克服してのカヴの5勝目は確かに驚愕。バッランの最後まであきらめない果敢な逃げも素晴らしかった。

だが、それを差し置いてもなお別府選手の7位ってのは凄すぎる。
彼は第3ステージでも8位に入ったが、こう言っては何だが正直完走できるかどうかレベルの話が出てくるようなスタンスで、これまでの18ステージを立派に走り抜いてなお、ここで結果が出せるというのは並大抵のことではない。
ただ、ちょっとネタバレ?だが彼のツールでの活躍はこれが終わりではないのである。それは後の章でkwsk書くとしよう。


図らずも、非常にエキサイテングな勝負を見ることが出来た19ステージ。
その結果、20ステージは次の記事とさせて頂くことに

ツール・ド・フランス(俺的)観戦記7「覇者の条件~公道最速伝説?」

2009-08-09 23:45:34 | 自転車
 ツール・ド・フランス、第17ステージ。

 ここも九十九折の山々が待ちうけるコースであり、最後は1級山岳を上ったあとしばらく下ってゴール。

 しかし、山と言っても実は途中の平地にスプリント地点があり、例のスプリント賞「マイヨ・ヴェール」のトップを走るトル・フースホフトが一人逃げを決めポインツゲッチュ。いよいよ緑のジャージを磐石なものとしてきた。

 面白いのは、スプリンターだけあってゴッツイ?漢フースホフト、2つ目のスプリントポイントを超え、サポートカーに勝利の美酒ならぬ缶コーラをもらったのだが。
 最初にいつも車上でやってるのか?プルタブを歯で空けようとし、ダメだったらしく手で空けようとしたが、コーナーに差し掛かり投げ捨てた。

 歯でプルタブを折って空けられなくなったから捨てたのかもしれんけど、なんか図らずも彼のゴーカイな一面が垣間見えた訳だが…何から何まで良い子のみんなは真似するな


 やがてフースホフトは後ろを走っていた先頭集団に吸収され、ラス前の山であるロム峠の上り。

 さらにメイン集団がその先頭集団を吸収し、そして、飛び出したのがアンディ・シュレック。
 マイヨジョーヌのアルベルト・コンタドールは、もう誰が見ても一目で分かるくらいビッタシアンディの真後ろにつけ、一歩も譲ろうとしない。

 相変わらず1級の山岳を平地のサイクリングの如くチャッチャと上りつつ、ロム峠はアンディと兄のフランク・シュレック、そしてコンタドールおよび彼と同じアスタナのアンドレアス・クレーデンの4人が先頭で頂上を通過した。

 そのまま、勝負は最後の1級山岳、コロンビエール峠に突入。

 兄がより上位かつ新人賞のかかる弟を引き、兄弟が颯爽と上り坂を往き、そのすぐ後をコンタドールとクレーデンが追う。

 そう、現時点で約2分半の差をアンディにつけているコンタドール、ここは追い抜かなくとも遅れさえしなければ、ボクシングで言うところの「タイトル防衛」なのである。
 それは当然前を行く兄弟船は百も承知、だがその王者になかなか差をつけることができない。

 頂上まで残り2kmを切ったあたり、アタックを仕掛けたのは…コンタドール!

 差をつけるどころか逆に置いて行かれそうになったが、二人のシュレックは息を合わせ何とか追いつくことに成功。一方コンタドールのチームメイト・クレーデンが遅れてしまい、コンタドールはそれを勘案してか脚を緩めた。

 結果、シュレック兄弟+コンタドールが仲良く?3人で頂上を上り、さらに下りでは3人による協議が行われ、3人で下り切りつつステージ優勝はフランク・シュレック、2位コンタドール、3位アンディという結果になった。

 まあしかし、レースの終盤で当事者自身、それもステージ優勝がかかった選手達による会話なんつうものが成り立つスポーツは自転車をおいて他にはないだろうなあ…

 とにかく、コンタドールは王者の余裕というか、恐らくは余力を残してシュレック兄弟に花を持たせたとでも言うべきか…
 ちなみに、ここでランス・アームストロングは終盤果敢な走りを見せつつ3人からは2分以上遅れ、一旦総合順位を4位に落とす形になった。


 そして、翌日第18ステージは、何と個人タイムトライアル。
 コースも、湖のほとりを走る爽やかな平坦コース…と思いきや終盤に3級の山があるという、ここまでずーっと走ってきたお疲れモードの選手には厳しそうな40.5km。

 ここでまずは、初日の個人TTで勝ったTTスペシャリスト、ファビアン・カンチェラーラが平均時速約50km/hというとてつもない速さで暫定トップ。ゴールタイムは48分33秒


 このステージは総合順位の低い方からスタートすることになっており、終盤になってTT最速王争いは激化。

 実は前日も健闘したガーミン・スリップストリームというかっちょええ?名のチームに属する、TTを得意とするブラッドリー・ウィギンス
 同じく前日も途中までトップに食いついていたクレーデン、言わずと知れたアームストロングなどの猛者が続々と最速を目指し走る。

 が、どうしてもカンチェラーラのタイムに誰も追いつくことができない。(ちなみにウィギンスは6位に終わった。クレーデンは9位)

 シュレック兄弟は、TTが不得意のようでタイムを落とし、結局フランクが結局アームストロングに総合順位3位を譲ることになる。


 そのままカンチェラーラがトップの中、最終走者、黄色の衣をまとったコンタドールが発進。


 かつてランス・アームストロングが7連覇を果たしたことはもう何度か書いているが、彼はオールラウンダー属性ながらTTも結構得意で、個人差がつきやすいTTで逆に総合上位に差をつけてマイヨ・ジョーヌを磐石にするというパターンも多かった。


 そして今、コンタドール。

 第1チェックポイントをトップで通過、山のてっぺんにある第2チェックポイントも華麗なダンシングで上り、やはりトップタイムで通過。

 しかし、カンチェラーラは最後の下りで伸びを見せており、勝負はゲタを履くまで分からない。

 アームストロング15位、アンディ・シュレックがそれに15秒遅れての20位でゴールする中、コンタドールはもうアンディのすぐ後ろ。
 黄色い弾丸が沿道に溢れる観客に見守られながら、ゴール前のストレートを最後の力を振り絞って突っ走る。


 注目のタイムは…

 48分30秒

 遂に、マイヨジョーヌのコンタドールがTT最速伝説までもその手に収めることになったのである。正に、ツールの覇者となるにふさわしい走りではないか。


 余談だが、この18ステージの日は小生丁度夜2時半まで会社でセコセコ仕事をしていた身だった。
 当然の如く周りに誰もいなかったため、仕事をしつつサイクリングタイムのテキストライブで一人盛り上がっていた。
 まあそんな爽やかな?思い出も個人的に残しつつ、コンタドールの勝利が目前に迫りつつも予断を許さぬ20ステージ、「魔の山」が勇者達を待ち受けるのであった。


(8/10追記)人知れず?コンタドールのTTタイム書き直した。
まさか俺としたことがこんな超ミスを1日放置プレイするとは…

ツール・ド・フランス(俺的)観戦記6「覇者への道~コンタドールvs.シュレックブラザーズ」

2009-08-02 23:43:29 | 自転車
 ぶっちゃけ既に終了し、アノ選手がチームを立ち上げる話題とかアノ選手がドーピング検査で引っかかったとかその後の話も色々ある、ツール・ド・フランス。

 まあ折角ここまで書いてきたので、最後までこのペースでいってみよう。
 多くの人は知ってると思うけど、サムライ達の初ツールの結末もね。

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 第15ステージ、ここからいよいよツールは佳境に入ってくる。
 アルプス山脈の険しい山がラストに待ち受ける本ステージ、まずはやはり逃げ集団をメイン集団が追う形。

 で、その逃げ集団の中には総合優勝以外の賞の一つ、「山岳賞」であるマイヨ・ブラン・ア・ポア・ルージュ(要するに白地に赤い水玉)のジャージを狙うリクイガスのフランコ・ペッリツォッティ(読みづらいな…)が中間の山岳ポイントを稼ぎつつ進む。

 そんな中、メイン集団の先頭ではアスタナとサクソバンクがしのぎを削る状態。
 そう、アスタナにはアームストロングとコンタドール、サクソバンクにはアンディとフランクのシュレック兄弟とそれぞれ総合優勝狙いの選手がいる。

 その内二人のシュレックは、まあ兄弟だし協力しての走り前提となる訳だが、アスタナの二人は一体どういう動きを見せるのか?

 色々思惑が絡みつつ、本ステージの最後の上りであるヴェルビエへの高度差約600mの坂に突入。つうか普通の人ならこの坂を上るだけでもお腹イパーイだと思うが…

 それまで190km以上を走ってきたとは思えない走りで逃げた選手を追う、アスタナとサクソバンクの面々。

 これまで必死に走ってきた逃げの選手達を、まるで津波のごとく容赦なく飲み込み、さらにアタックの様子を伺う、シュレックやアームストロング達。


 そして残り5.6km。

 実は今回も新人賞の表彰対象だったりする、若干24歳の若きクライマー、アンディ・シュレック。
 この時先頭を引いていた彼の脇から猛然と飛び出したのは、やはり。

 アルベルト・コンタドール…!


 加速だけ見ていたらとても勾配7、8%の坂でのそれとは到底思えない走りに、アームストロングや他の選手達は追おうと動くことすらできない。

 ただ一人、アンディを除いて。


 ツールに限らず、急な上り勾配でしかも終盤付近ではよくある光景なのだが、道路狭しと観客がひしめき合い、もう選手には触ろうとするし、訳の分んないコスプレで追っかけてきたりというわやくちゃ状態の中を、駆け抜けるコンタドール、後方で追いすがるアンディ。

 この時アームストロングは、既に1分以上コンタドールから離され、チームメイトのアンドレアス・クレーデン(この選手も地味ながら?総合上位につけていた)と共に上り続ける。
 まあ、去年までのブランク、37歳という年を考えたら十分過ぎる位の走りではあったのだが…

 26歳のまだまだ若いコンタドールは、決してその走りを緩めることなく。

 アンディ・シュレックの追走を突き放し40秒以上の差をつけ、トップで走り切ったのである。


 そして、ここまで8ステージにわたりマイヨジョーヌを守る健闘を見せたノチェンティーニが後退し、遂にコンタドールがその黄色いジャージに袖を通すことになったのだ。


 続く第16ステージ、スイス、イタリア、フランスと三ヶ国をまたぐこのステージは、「ツイン・ピークス」というか、二つの2000m級の山を上って下るというところ。

 まず最初の山はペッリツォッティ(入力さえしづらい名だ…)が颯爽と駆け抜け、続いて集団。
 頂上ゴールでない限り、上ったら当然下りがある。

 という訳で、見てるだけなら爽やかそうな九十九折の坂を、「げえっ…な、なんてえスピードだ」と言いたくなるような超スピードですっ飛んでいく選手達。

 やがてペッリツォッティは先頭を行く集団に吸収され、せめぎあいの中もう一つのピークに突入。
 後ろのメイン集団でサクソバンクがペースを上げる一方、先頭ではブイグテレコムが先頭を引き続ける。

 だが、もちろんこのままスンナリとレースが過ぎる訳もなく。

 先頭では再び(!)ペッリツォッティとベルギーのチーム、サイレンス・ロットのヴァンデンブロックが飛び出す一方、後ろの集団からはアンディ・シュレックが猛アタック!
 再びついてこれず?のアームストロングに対し、コンタドールおよびフランク・シュレックら数名の選手がこれにつく。

 兄弟の絆で、コンタドールを引き離す走りを見せられるか、シュレックブラザーズ?

 と思ったら、あっ兄ちゃんが離れた   

 さらに、遅れたと思ったアームストロングがまさかの!?猛追、気がつけばコンタドール達に追いつき、サクソバンク勢とアスタナ勢の立場が逆転。

 またも車道に観客がひしめき、猛ダッシュで選手を追いかけようとするヴァカ者達の攻撃?にあいつつ、頂上。

 先頭ではまたもペッリツォッティがトップ通過、集団は気がつけば十数人の大所帯になりつつ、下り最速伝説スタート!

 途中、落車する選手もいてガクブルしながら見ていたが、ヘアピンカーブを見事なライン取りで抜け、あの細いタイヤでよくも…と思うようなとんでもないスピードで下りを走りぬけ。

 残り2km、先頭を走っていた4人のうちスペインのチーム、エウスカルテルのミケル・アスタルロサがカメラも見逃すような絶妙の位置で飛び出し、そのままゴール。

 一方、下りで先頭とかなり差を詰めていたシュレック兄弟(兄はいつの間にか追いついてた)、コンタドールとそしてアームストロング達の集団も程なくしてゴール。
 結局、4人はタイム差なしという第16ステージの結果であった。


 アタックに次ぐアタック、激しさを増すトップ選手たちの戦いはまだまだ続くが、17ステージからまた次回となるなあ…