(今回きゃなーりズルズルと長くなってるので暇な時にだけ読んでもらえればと思う…)
先週の土曜日にタイトルの映画を観に行ってきた。
「攻殻機動隊」ってのは、士郎正宗先生原作のアニメ映画であり、有名な映画「マトリックス」の監督はじめ世界のクリエイターに多大な影響を与えた作品である。詳しい話の内容はまずは省く。
で今回の「2.0」ってのは続編(新作)ではなく、後にいくつか続編を生んだその一作目、「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」を13年ぶりに(そう、この作品が出たのが'95年なのだ。この作品がいかに進んでいたかという事実を改めて思い知る)リニューアルした「バージョン2.0」というどこぞのケータイ会社的な意味の数字なのである。
今回攻殻2.0は限られた館での上映ということで、成り行き上新宿は歌舞伎町にある新宿ミラノへあろうことか車で行ってきた…正直あそこはあんまり車で行く所じゃねーな。
前置きからして長くなったが…
ともかく観た。
この作品は、いわゆるSFなのだが、結構難解だという話もあったりして、山崎バニラさんも確か最初よく分からなかったとブログで書いていた(気がする)。
自分自身もこの作品は、当時フロアで散々踊りまくった挙句朝3時ごろ鑑賞という良すぎる環境もあってか良く覚えてなかったため、21世紀の「2.0」で復習した。
しかし、改めて観るとこの作品は、「攻殻」という話、或いは世界観そのものが伝えたかったメッセージみたいなものをかなり具体的に伝えているという印象を受けた。
主人公・草薙素子が籍をおく公安9課(無論警察)には、本人を初めとしてほとんどの人間が「義体」と言って要するに脳の一部以外のほとんどの体を人工物で構成したサイボーグなんである。
一方、この作品で9課の新米として登場するトグサという男は、脳を直接ネットに接続できるようにした(攻殻の中では「電脳化」といい、100%に近い人間がこれを行っている)以外は全くの生身の人間である。個人的には結構好きなキャラである。
で、身体能力が増強されたサイボーグの集まりになぜトグサのような生身の男がスカウトされたのか?という疑問も無くはないのだが、今作でその理由が述べられていたりするのだ。これが結構深い話なんで俺はちょっと感心したんであるがここでは割愛。
ところで、初めて攻殻の世界に触れた人が「よく分からん」と思うんじゃないかと予想する要素の一つが、今作の英語タイトルにも入っている「ゴースト」という言葉(の攻殻世界での意味)なんじゃないだろうか。
これは、一般で言う所の「魂」みたいなもので、例えば前述した草薙素子のように、自分の体のほぼ全部が自らの持って生まれたものでないとしたら、最後の拠り所はその脳のどこか?にあるのかも知れない?魂というか「ゴースト」というものにしかないんじゃないかということである。
皮肉というか、人間がその肉体のほとんどを失った(その代わりに様々なものを得るかも知れないが)時、改めて自分とは何か、人間が人間であるということの意義というものを欲するようになるのかも知れない。
そして、今作にとって重要な存在である「人形使い」、ここではネタバレになるのでその正体は明かさないが、その「人形使い」と草薙素子が出会った時、上の段の問いに対する一つの答えとも言えるお話が出てくる。
つまり、人間というのは、それ単独で存在しているのではなく、自分を取り巻く環境、他者のその人に関する記憶、とりわけ攻殻の世界ではネットというものを通じて初めて自分という存在を認めることができるのだという、そんな話であった。と思う。
まとめると、この作品は後の作品にあるような「SFアクション」というイメージよりは、SFなのは確かだがかなり哲学的、倫理的なテーマを含んだ考えさせられる作品なのではないかと思う。
つっても、多少ストーリーの中に政治的な要素も含まれはするけど、基本的には大抵の人は観れば楽しめ、かつ色々考えさせられもするという極めて価値のある作品である。
…とめったやたらと長い記事になってしまったが、どうしてもこの話は書いておきたいと思ったので。ここまで読まれた方はまことにご苦労様。旧作はレンタルやってると思うので、劇場に行けない人も機会あったら観てね。
先週の土曜日にタイトルの映画を観に行ってきた。
「攻殻機動隊」ってのは、士郎正宗先生原作のアニメ映画であり、有名な映画「マトリックス」の監督はじめ世界のクリエイターに多大な影響を与えた作品である。詳しい話の内容はまずは省く。
で今回の「2.0」ってのは続編(新作)ではなく、後にいくつか続編を生んだその一作目、「GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊」を13年ぶりに(そう、この作品が出たのが'95年なのだ。この作品がいかに進んでいたかという事実を改めて思い知る)リニューアルした「バージョン2.0」というどこぞのケータイ会社的な意味の数字なのである。
今回攻殻2.0は限られた館での上映ということで、成り行き上新宿は歌舞伎町にある新宿ミラノへあろうことか車で行ってきた…正直あそこはあんまり車で行く所じゃねーな。
前置きからして長くなったが…
ともかく観た。
この作品は、いわゆるSFなのだが、結構難解だという話もあったりして、山崎バニラさんも確か最初よく分からなかったとブログで書いていた(気がする)。
自分自身もこの作品は、当時フロアで散々踊りまくった挙句朝3時ごろ鑑賞という良すぎる環境もあってか良く覚えてなかったため、21世紀の「2.0」で復習した。
しかし、改めて観るとこの作品は、「攻殻」という話、或いは世界観そのものが伝えたかったメッセージみたいなものをかなり具体的に伝えているという印象を受けた。
主人公・草薙素子が籍をおく公安9課(無論警察)には、本人を初めとしてほとんどの人間が「義体」と言って要するに脳の一部以外のほとんどの体を人工物で構成したサイボーグなんである。
一方、この作品で9課の新米として登場するトグサという男は、脳を直接ネットに接続できるようにした(攻殻の中では「電脳化」といい、100%に近い人間がこれを行っている)以外は全くの生身の人間である。個人的には結構好きなキャラである。
で、身体能力が増強されたサイボーグの集まりになぜトグサのような生身の男がスカウトされたのか?という疑問も無くはないのだが、今作でその理由が述べられていたりするのだ。これが結構深い話なんで俺はちょっと感心したんであるがここでは割愛。
ところで、初めて攻殻の世界に触れた人が「よく分からん」と思うんじゃないかと予想する要素の一つが、今作の英語タイトルにも入っている「ゴースト」という言葉(の攻殻世界での意味)なんじゃないだろうか。
これは、一般で言う所の「魂」みたいなもので、例えば前述した草薙素子のように、自分の体のほぼ全部が自らの持って生まれたものでないとしたら、最後の拠り所はその脳のどこか?にあるのかも知れない?魂というか「ゴースト」というものにしかないんじゃないかということである。
皮肉というか、人間がその肉体のほとんどを失った(その代わりに様々なものを得るかも知れないが)時、改めて自分とは何か、人間が人間であるということの意義というものを欲するようになるのかも知れない。
そして、今作にとって重要な存在である「人形使い」、ここではネタバレになるのでその正体は明かさないが、その「人形使い」と草薙素子が出会った時、上の段の問いに対する一つの答えとも言えるお話が出てくる。
つまり、人間というのは、それ単独で存在しているのではなく、自分を取り巻く環境、他者のその人に関する記憶、とりわけ攻殻の世界ではネットというものを通じて初めて自分という存在を認めることができるのだという、そんな話であった。と思う。
まとめると、この作品は後の作品にあるような「SFアクション」というイメージよりは、SFなのは確かだがかなり哲学的、倫理的なテーマを含んだ考えさせられる作品なのではないかと思う。
つっても、多少ストーリーの中に政治的な要素も含まれはするけど、基本的には大抵の人は観れば楽しめ、かつ色々考えさせられもするという極めて価値のある作品である。
…とめったやたらと長い記事になってしまったが、どうしてもこの話は書いておきたいと思ったので。ここまで読まれた方はまことにご苦労様。旧作はレンタルやってると思うので、劇場に行けない人も機会あったら観てね。