現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

「早大児文サークル史」

2019-08-18 09:01:32 | 参考文献
 児童文学研究会(1972年に、当時新左翼のセクトである革マル派に支配されて実質的に児童文学の活動ができなくなっていた少年文学会から、スピンアウトして発足した現在早稲田大学唯一の児童文学サークル。この冊子の発行当時の会員数は90人強)と早稲田文芸会(早大童話会及び少年文学会の後継サークル。現在は児童文学を対象とはしていない。この冊子の発行当時の会員数は60~70人)の学生たちが、2011年に発行して、2012年に増補改訂版を出した、早稲田大学の児童文学関連のサークルの通史です。
 早稲田大学の児童文学サークルは、1925年に早大児童芸術研究会(後に早大童話会と名称変更されています)として発足しています。
 発足当時の顧問は、なんと日本近代童話で「三種の神器」とまで言われていた、小川未明、浜田広介、坪田譲治という豪華版でした。
 この資料では、残念ながら戦前の活動の記録はほとんどなく、1953年のいわゆる「少年文学宣言」以降の歴史についてまとめられています。
 ですから、このブログの対象である「現代児童文学」の時代と完全に重なります。
 学生たちが、いい意味で怖いもの知らずに取材したので、今まであまり知られていなかった早大童話会における現代児童文学の出発時の状況について、貴重な証言がたくさんおさめられています。
 内容は以下の通りです。
「インタビュー 古田足日「早大童話会と、子どもと、児童文学を志す人たちについての話」」
「インタビュー 山中恒「50年代の早大童話会、「少年文学」をふりかえって」」
「座談会 神宮輝夫、三田村信行、千葉幹夫他「児童文学いま、むかし」(日本児童文学2011年7・8月号からの転載)」
「インタビュー 川北亮司「少年文学会から児童文学研究会へ」」
「記事 児童文学研究会設立期会員「児文研ができたころ」」
「座談会 いとうひろし、荻原規子、上村令、戸谷陽子「あの日、児文研で」」
「インタビュー 少年文学会平成期会員「平成の、少文」」
「インタビュー ’06年文芸会幹事長「『わせぶん』が生まれた日」
「記事 ’11年度文芸会、児文研幹事長「近頃のわせぶん/児文研の現状」」
「年表 早大児文サークル史をとりまいていたもの」
「各画像 現物でふりかえる-少年文学いま、むかし」
 通して読んでみると、学生たちの児童文学へのかかわり方について、1950年代の早大童話会及び1960年なかばまでの少年文学会までと、1972年にできた児童文学研究会とでは大きな違いがあることがわかります。
 ここで説明しておきますが、1972年以降も少年文学会は存在していました。
 しかし、前にも述べたように1968年ごろから革マル派に実効支配されて児童文学活動はできない状態が続き、1980年代に学生運動が完全に下火になって革マル派の支配が弱まってからも児童文学から一般文学の方に活動が移ったので、実質的な児童文学活動はほとんどなかったと思われます。
 大きな相違点は次のふたつです。
 ひとつは、運動体的な活動から同好会的な活動への変化です。
 1950年代から1960年代にかけては、「現代児童文学」を新しく創造するための重要な役割を、早稲田大学の学生たちやそのOBたちが担っていました。
 しかし、1970年代以降は、そういった運動体としての意識はほとんどなく、(大学時代の楽しい思い出として)、好きな児童文学について語り合う場に変貌したように思われます。
 そのゆるい雰囲気と結びつきゆえに、児童文学研究会は現在では90人を超えるような大きなサークルになっているのでしょう。
 もうひとつは、学生サークルの非政治化です。
 1950年代や1960年代の早大童話会(少年文学会)には、代々木系(民青や日本共産党のこと。代々木に日本共産党の本部があることからこう呼ばれていた)にしろ、反代々木系(新左翼の革マル派や中核派など)にしろ、なんらかの政治的な影響を受けた学生たちが多く参加していたと思われます。
 それに対して、児童文学研究会は当初からほぼノンポリのサークルでした。
 私は発足直後の1973年4月の初めての新歓で児童文学研究会に入会したのですが、当時はサークル内には学生運動崩れのメンバーもいましたし、自分が幹事長をしていた時には革マルや民青からのサークルへの干渉を排除したこともありました。
 それでも、非政治的なサークルとしての立場は、一貫していたと思います。
 これは、児童文学サークルだけでなく、一般的な傾向としても、70年安保の挫折とその後の新左翼各派の内ゲバによって、学生の政治運動離れは急速に進んでいました。
 早稲田大学の場合は、1972年におきた革マル派による川口くんリンチ虐殺事件を契機に、反革マルの機運が盛り上がりました。
 その時、私は早稲田大学高等学院の三年生でしたが、高等学院でも川口くん追悼集会が行われましたし、革マル派への抗議文も生徒集会で採択されました。
 当時、革マル派は大学当局と裏で手を結んでいたとされ、早稲田大学の各学部の自治会や文連(早稲田大学の文化系サークルの連合体で大学から予算を受けている)を支配していました。
 1972年から1973年ごろにかけて、学生運動の他セクトや一般学生たちの反革マルの闘争は続きましたが、最終的には革マル側(バックには大学当局もついていたとされています)の勝利に終わります。
 その後も革マル派の早稲田大学の実効支配は続いて、自分の大学の学園祭(早稲田祭)に入場するのに、有料パンフレットを買わなければならない(革マル派の有力な資金源になっていました)というほどの異常な状態が長年続きました。
 その間に、一般学生の学生運動離れは急速に進んでいきました。
 この学生たちの非政治化は、先に述べた大学の児童文学サークルが児童文学の運動体でなくなったこととも密接に関係していると思います。
 児童文学研究会が運動体である必要はないと思いますが、今でも「研究会」と銘打つ以上は、学生たちに児童文学を研究する意識が希薄なのはOBとして少々気にかかります。
 その学生の状況を反映してか、早稲田大学のシラバスを「児童文学」で検索すると、45もの授業にヒットしますが、たいがいは他の文学(例えば、近代文学とか英米文学)や語学(ドイツ語やフランス語)の教員が、片手間に「児童文学」の講義を持っているケースが多く(その中には児童文学研究会で私と同期だった女性の教員が二名含まれています)、「児童文学」を専門とする専任教員は一人もいないのが実情です。
 もしかすると、1978年に早大童話会出身の鳥越信先生が教授の職を辞して、彼が寄贈したコレクションを中心として創設された大阪府立国際児童文学館(2010年にあの橋本知事に廃館にされて問題になったところです)に移ってから、専門教員はいないのかもしれません。
 「児童文学」の専門的な授業は、他の大学からの二人の教員(しかも一人は戦前の少女小説と現在のライトノベルが専門分野なので、現代児童文学は授業計画の中からすっぽり抜けています)に頼っています。
 なお、大学院のシラバス検索結果はもっと悲惨で、ドイツ語の教員の授業が一つだけかろうじて引っかかるだけです。
 今でも、他大学出身の児童文学の研究者には、「児童文学の勉強や研究をやるなら早稲田大学で」と言わることもありますが、実は以上のようにお寒い状態です。
 もっとも、日本児童文学学会の会長だった佐藤宗子の母校である東京大学のシラバスを「児童文学」で検索しても検索結果はゼロですから、それに比べれば早稲田大学はまだましなのかもしれません。

日本児童文学 2011年 08月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
小峰書店




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繁尾 久「グラス家の群像」サリンジャー文学の世界

2019-08-17 11:05:31 | 参考文献
 「グラス家の群像」と言えば、サリンジャーのグラス家サーガに登場する七人兄妹のことですが、実際には「フラニー」、「ズーイ」、「大工らよ、屋根の梁を上げよ」、「シーモァ ― 序章」、「ハプワース16,一九二四」に関する著者の読みだけが書かれているので、中心人物のシーモァを除くと、これらの作品に登場するフラニー、ズーイ、バディに関しては部分的な人物像が書かれていますが、その他のブー=ブー、ウォルト、ウェイカーには触れていません。
 以下の7つの章から構成されています。

1.1955年以降に書かれたサリンジャーの作品は、「フラニー」(1955年)、「ズーイ」(1957年)、「大工らよ、屋根の梁を上げよ」(1955年)、「シーモァ ― 序章」(1959年)、「ハプワース16,一九二四」(1965年)の五作だけで、すべてが「グラス家サーガ」です。以下の章で、著者はそれぞれの作品を再考しています。

2.「ズーイ」(前半部)と「フラニー」のあらすじに沿って、著者の読みが紹介されています。その中で、バディやシーモァが、それぞれが偶然出会った幼い女の子たち(純粋な魂の原形質の象徴としています)との出会いによって、自分たちがそうしたものを失ってしまったことを告白している」との指摘は非常に重要です。

3.「ズーイ」の(後半部)のあらすじに沿って、著者の読みが紹介されています。

4.「大工らよ、屋根の梁を上げよ」のあらすじに沿って、著者の読みが紹介されています。その中で、結婚相手のミュリエルの少女時代が、シーモァの幼なじみの美少女シャーロット・メイヒューとうりふたつだったことを指摘しているのは重要です。

5.「シーモァ ― 序章」については、この作品がシーモァを中心とするそれまでのグラス家サーガに対する批判に対してのサリンジャーの弁明と、彼の文学宣言(世の中の風潮には関係なく、気ままに書いていく)と、シーモァに関する百科事典だとしています。

6.「ハプワース16,一九二四」については、いろいろな研究者による否定的な見解や同じような傾向を持った(仏教的なカルマと輪廻の法則に従った)三島由紀夫の「豊饒の海」を紹介しながら、「連作の構想を、六道輪廻の業と転生に求めたのは、作品の出来不出来は別にして現代文明のありように飽き足らなかったからではないだろうか」としています。

7.初期短編、「九つの物語」、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」、「グラス家サーガ」と作風が大きく変化していったが、サリンジャーの本質は「無私の愛であり、虚偽への憎しみである」と結論付けているのは、非常に優れた指摘です。最後の「ハプワース16,一九二四」においての超人かつ密教的修行者のシーモァでさえも、キャンプ場の大人たちの欺瞞への強い憎しみを持つだけでなく、家族や弱者たちへの優しいまなざしを向けていることを、その根拠としてあげていますが、全くその通りだと思います。また、そんなシーモァが、美人のハッピー夫人には性的な悩みを抱えていることを指摘しているのも重要です。

 しかし、著者は、「神秘主義の装いの下に、また、主人公の自己矛盾にもかかわらず、サリンジャーの希求が相変わらず息づいている」と、考えつつも、「いつかまた、リング・ラードナー流のユーモアと、受け入れやすい優しさ、それに、マーク・トウェインばりの活力を、作品で表明してくれる日を期待したい」としています。
 要は、「また「九つの物語」や「キャッチャー・イン・ザ・ライ」のような作品を書いてね」ということなのでしょうが、こればかりはまったく書き手の気持ちを無視したない物ねだりにすぎません。
 サリンジャーは、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の異常な大ヒットで、業界や評論家や研究者やマスコミやファンと称する輩たちの嫌な所をいっぱい見てしまったのでしょう。
 そんなところへ戻るくらいならば、「舌を噛み切って死にたい」気分(シーモァならばピストル自殺するかもしれませんが)なのは良くわかります。
 一方で、残念ながら、サリンジャーはシーモァではありません(あこがれはあるかもしれませんが)。
 バディのような年を取っていく肉体を持ち、しかも人一倍煩悩(ロリコンの傾向があって、美人にも弱い)も抱えています。
 そうした弱い人間が生きていくために、できるだけ自分を理解しない人間たちからは遠ざかって、理解してくれる人間だけとだけと付き合って、穏やかに暮らしていくことが、そんなに悪いことなのでしょうか。






 






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バージニア・リー・バートン「ちいさいおうち」

2019-08-17 08:29:38 | 作品論
 物語絵本の古典です。
 田舎の小さな丘の上に建てられた「ちいさいおうち」は、そこに住む人たちと田舎暮らしを楽しんでいました。
 前半は、田舎の美しい四季と楽しい暮らしが描かれています。
 ある日突然、それが変わります。
 開発の波です。
 広い道路がひかれて、馬車が自動車やトラックに変わります。
 路面電車が通り、高架鉄道ができ、さらには地下鉄までが通ります。
 野原の中の一軒家だった「ちいさいおうち」のまわりにも家が立ち並び、やがて高層ビル群に変わっていきます。
 それらに取り囲まれた「ちいさいおうち」は、やがて住む人もなく古びて痛んでいきます。
 それが、またある日突然、変わります。
 「ちいさいおうち」を建てた人の孫の孫の孫である女の人が登場したのです。
 「ちいさいおうち」は彼女によって都会から救い出され、元のような田舎の小さな丘に移設されました。
 「ちいさいおうち」は修理されてまた人が住むようになり、昔のように田舎の四季を楽しむようになります。
 この絵本から、いろいろなことを読み取ることができます。
 田舎暮らしと都会の比較。
 地方出身の人はよく引退すると故郷に戻られますが、そういった人々には「ちいさいおうち」の気持ちがよくわかることでしょう。
 私自身は、東京の下町育ちで今は自然の豊かなところで暮らしているので、逆に帰りたいのは都会のごみごみしたところ(例えば上野や池袋や新宿の繁華街)です。
 人の一生。
 この作品の前半の田舎暮らしは子ども時代、中盤の都会に発展するところは青春及び壮年時代、ラストの田舎に戻った後は老年時代に例えられるでしょう。
 変わらない価値。
 バートンは田舎の美しい四季にそれを求め、「ちいさいおうち」(おそらく石造り)もその象徴なのでしょう。
 日本の木造家屋ではこうはいきません。
 孫の孫の孫どころか、孫が住むのも怪しいものです。
 でも、地震や台風などの災害の多い日本では、家のスクラップアンドビルドもやむを得ないかもしれませんが。
 
ちいさいおうち
クリエーター情報なし
岩波書店

 
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繁尾 久「内なる真実はいずこへ」サリンジャー文学の世界

2019-08-16 11:14:23 | 参考文献
 サリンジャー作品の翻訳者による、主に登場人物にフォーカスした評論です。
 以下の6つのセクションに分かれていますが、相互の関連度は低く、それぞれ単体の短い評論として読んだ方がいいでしょう。

1.サリンジャー作品の初期短編から、「九つの物語」、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を経て、「グラス家サーガ」に至る作品世界について概観し、サリンジャーに影響を与えたと思えるアメリカ文学や古典にも触れています。かなり教養主義的(日本では1970年ごろに没落したと言われています)な文章になっています(サリンジャー作品についてはそれぞれの記事を参照してください)。

2.自選短編集「九つの物語」の基調が、「外なる虚妄の現象の背後にある真実あるいは美の存在への導入」にあるとして、個々の作品にそって説明しています。そして、「このような探索は必然的に疎外と孤独の意識を伴う」として、「サリンジャーの主人公たちは、いずれも彼ら自身のあらがいの不条理に気づいていない」としています。それはそのとおりなのですが、サリンジャー自身は気づいていて(この時点では半分無意識かもしれませんが)、「疎外と孤独」を受け入れても、「外なる虚妄の現象の背後にある真実あるいは美の存在」に忠実に生きようとしていたのだと思われます。

3.「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の主人公であるホールデン・コールフィールドについて分析し、第一のレベルとして表面的な非行や成績不良や偽悪的な態度、第二のレベルとしてすこぶる純粋な優しい面、第三のレベルとしてもろさや幼児性をあげています。要約すると、表面的には不良ぶっているが、本当はいい子で、でも、脆弱で建設的でないと見ています。それはその通りなのですが、著者はそれを個人的な問題(個人の弱さ)ととらえ、社会的な問題から生じているとの視点が決定的に欠けています。この評論は、初めは1970年に雑誌に発表され1971年に加筆されたようですが、当時著者は46、7歳で大学(発表した雑誌が「三田文学」なので、慶応義塾大学か?)の教師だったと思われますが、70年安保闘争敗北後の精神的に荒涼としていたキャンパスの学生たちがまるで見えていなかったのでしょう。あるいは、彼の周辺の学生たちだけは、いまだに教養主義の世界にどっぷり浸っていたのかもしれません。

4.「フラニー」と「ズーイ」について、その背後にある精神世界について、豊富な知識をもとに解説しているので、非常に参考になります。特に、ズーイが、今は亡き長兄シーモァや遠く離れて暮らす次兄バディの精神的な力を借りて、フラニーを救済する過程の説明は非常に正確で説得力があり納得させられました。

5.「グラス家サーガ」におけるシーモァの中心的な立場と時間を遡行する形(一般的なサーガとは逆方向)で書かれている謎について言及しています。最初の「バナナ魚にもってこいの日」でシーモァが自殺した時点で、サリンジャー自身が「グラス家サーガ」全体やシーモァ像を確立していなかったのではないかとの指摘は非常にもっともなのですが、書き手の立場で言わせてもらえば、その時(1948年)ははっきりしていなかったものの何かももやもやしたものがサリンジャーの中にあって、そのすべてが結実するのには17年もの月日が必要だったのではないでしょうか。著者が「テディ」をシーモァのプロトタイプ(試作品)と指摘している点は重要で、「テディ」を書いた時点(1953年)でシーモァ像が固まり、その時点で時間を遡行して書かれていく「グラス家サーガ」のスタイルが確立したのでしょう。そういった意味でも、最後の「ハプワース16,一九二四」(1965年)が、著者も含めて「七歳の子がこんなに長い文を書くなんて!」とか、「未来を自在に予見している超能力者」とかいって非難したり、「グラス家サーガ」の続編を求めたりするのは誤りだと思っています。7歳のシーモァ(正確には、7歳のシーモァ(精神)と46歳のバディ=サリンジャー(肉体)の合体)が完成形で、個人的には「グラス家サーガ」は完結しているのだと思っています。さて、2019年になって、サリンジャーの遺族が膨大な遺稿を出版する計画を発表しました。どのような物が現れるのか期待と不安(こちらの方が強いです)が入り混じった気分です。

6.「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の影響を受けたと言われている(私も他の記事に書きました)庄司薫の「赤ずきんちゃん」シリーズについて触れていますが、こちらの方をより高く評価しているのに驚愕しました。ある時代、ある国だけでなく、より普遍的な若者像(この文章が書かれた1970年前後では、アメリカではすでに古くなっていたでしょうし、日本でもそろそろ古くなり始めていたかもしれませんが、その後は韓国や中国のような高度経済成長をとげた国々(今だったら、インドやベトナムやインドネシア、将来的にはナイジェリアのようなアフリカ諸国)にいるホールデンのような現代的不幸(アイデンティティの喪失、生きることへのリアリティの希薄さ、社会への不適合など)に直面している若い世代)ではなく、薫ちゃんたちのような優等生(しかも教養主義のしっぽを引きずっている)の方が、大学教師には扱いやすいのでしょう。












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井上雄彦「リアル」

2019-08-16 08:42:26 | コミックス
 ご存知の通り、この作品は有名なコミックスなので、あらすじはここでは書きません。
 これを読んで、児童文学の出版状況に関して思ったことを書きます。
 この作品では、いろいろな事情で車いすバスケットに関わるようになった障害者たちとその周辺の健常者たちを、まさに題名通りにリアルに描いたものです。
 周到な取材をもとに、不定期な雑誌連載というマイペースな発表の仕方で、じっくりと描かれています。
 作者ならではのユーモアや迫力ある車いすバスケットのシーンも魅力ですが、障害、死、格差社会などの重いテーマを真っ向から描いています。
 こういったある意味まじめなかたい作品に一定の読者がついているのですから、児童文学の世界でもこういった作品がもっと出版されるべきだと思います。
 もちろん、こういう作品を自分のペースで発表できるのは、作者が「スラムダンク」や「バガボンド」といった超人気コミックスの作者だということも理由の一つでしょう。
 出版社への発言力の強さや経済的な余裕のおかげで、自分のやりたいことを自由にやれているのかもしれません。
 これは、児童文学の世界では、「ズッコケ」シリーズがヒットしている時の那須正幹も同じような状況でした。
 しかし、現実にこういった作品が出版されて、商売としても成立していることは事実なのです。
 また、この作品の特長として、本物のスポーツの質感がよく表れていることがあげられます。
 これはたんなる取材だけではなく、自分自身でプレーした経験がないとなかなか出せないなと思いました。
 作品から、実際の汗やにおいや雰囲気までが立ち上ってくる感じです。
 最近の児童文学(あるいはヤングアダルト作品)に多いお手軽な取材だけで書いた妙にさわやかなスポーツ物とは、一線を画しています。
 また、試合や練習のシーンが多いのも特徴的です。
 これは、男性を読者対象のメインとしているからかもしれません。
 少年漫画の世界では、人気が下がるとてこ入れのために試合や戦闘シーンを増やすのが一般的な手法です。
 例えば、代表的な野球漫画であるちばあきおの「キャプテン」や「プレイボール」も、だんだんに試合のシーンが増えていきました。
 もっとも、そのために自分の書きたい世界と実際の作品とのギャップに悩んだことが、彼の自殺の原因とも言われているので、そのへんのさじ加減は難しいのかもしれません。
 自分自身の体験や息子たちの様子を見ていた経験からしても、いつの時代も男の子たちは試合や戦闘のシーンを好むようです。
 この点でも、今の児童文学の出版社が出している、試合をめったにやらないスポーツ物や、迫力のある戦闘シーンのない「剣と魔法の世界」を描いたファンタジーなどは、いかにも女性好みで、ますます男の子の読者を減らしていきます。
「どうせ男の子たちは本を読まないから、そんな連中をもともと対象にしていない」と豪語していた女性編集者もかつていましたが、そういった本作りの姿勢が児童文学をますます女性に偏ったものにしているのでしょう。
 しかし、ライトノベルやコミックスやアニメやゲームの世界では、男の子たちをメインターゲットにした作品がたくさんある(むしろ多数派)のですから、児童文学でも工夫次第では「リアル」のような作品を出せるのではないでしょうか。
 そういった児童文学の書き手を育てないのは、出版社や編集者たちの怠慢だと思います。
 もっとも、別の記事で述べたように、今の印税の仕組みや出版状況ではエンターテインメントではない児童文学だけでは生活できないので、男性の文字表現者の才能が他の世界へ流れていっているのも事実でしょう。
 このところ「リアル」は休載されていたのですが、2019年になって再開されました。
 これからの展開が楽しみです。

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武田勝彦「此岸と彼岸の相剋」サリンジャー文学の世界所収

2019-08-15 11:15:40 | 参考文献
 サリンジャーの代表作である「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)について、以下の観点で論考しています。

<メタファーとしての題名>
 この題名が、主人公のホールデンが本当になりたいものについて、妹のフィービーに尋ねられて答えた有名なシーンに基づいていることは他の記事にも書きましたが、ここでの「キャッチャー」の意味について、著者が大きな誤解をしていることに気づいて驚愕するとともに、この読み方が著者のような当時の大人(主に文学研究者や大学の教師)では一般的で、本来の読者である当時(現在もそうですが)の若者の読みと遊離していることが、はからずもこの作品でサリンジャーが描きたかったこと(大人社会と若者世代の断絶)を象徴しています。
 著者は「キャッチャー」を大きな意味での「救済者」ととらえて、ホールデン自身には「救済者」(親や教師)が現れなかったことに対する失望からそうしたものになりたいと思ったのだろうと述べています。
 これはまったくの誤解です。
 ホールデンの言う「キャッチャー」はたんなる「捕まえ手」であり、本当のピンチ(この場合は遊んでいるライ麦畑の外縁にある崖から子どもたちが落ちそうになること)の時だけ手を貸してくれて、後はそっと見ているだけの(決して遊び方などは指導しない)人なのです。
 ホールデンが絶望していたのは、彼を既定の路線(アイビーリーグの大学へのエリートの道)を歩ませようとしている「救済者」ぶった親や教師たちなのです。
 また、著者は、「ライ(ライ麦畑)」を「家庭」のメタファーとしてとらえていますが、実際は「家庭」(著者が指摘した家庭崩壊も重要です)だけでなく「社会」(狭い意味で言えば、高度成長期にあった戦後のアメリカ社会)ととらえた方がより普遍性を持たせられますし、この作品が時代や国の違いを超えて世界中で若い世代に読み続けられている理由が分かります。
 国によって高度成長期の時代は大きく異なり、一番早かったアメリカは1940年代後半から1960年代前半までですし、日本では1960年代から1970年代にかけてです。
 そして、多くの開発途上国では、現在が高度成長期なのです。
 そうした高度成長期においては、いわゆる近代的不幸(戦争、飢餓、疫病、貧困など)はおおむね克服されたのですが、それと引き換えに若い世代はいわゆる現代的不幸(アイデンティティの喪失、生きていることのリアリティの希薄さ、社会への不適合など)に直面します。
 そうした若者の姿を初めて正確にとらえた文学作品が「キャッチャー・イン・ザ・ライ」だったので、多くの若い読者たちはホールデンに大きな共感を持ったのです。
 
<ホールデンの性意識>
 作品の中でのホールデンのいろいろな性的行動を、マザーコンプレックスや去勢コンプレックスやユングやフロイトなどを演繹して、社会心理学的に分析して病的なものとしていますが、はたしてそうでしょうか?
 多くの若い読者は、カーセックスもどきをしたり、ペッティングまではいっても女の子に拒まれると性的関係を持てなかったり、興味半分にコールガールを呼んでも実際には関係を持てなかったり、きれいな尼僧にかっこつけて寄付してしまったりするホールデンに、共感(羨望も交じっています)は感じても病的だとは感じないでしょう。

<宗教との対決>
 ホールデンの行動原理に対して、宗教(特にカソリック)の影響を指摘していますが、おおむね納得できる内容です。

<東洋と西洋>
 ここでは、性的関係に関する東洋と西洋の違いを、ホールデンが先輩学生と論じる個所が指摘されていますが、著者自身が述べているようにこの作品ではあまり重要ではありません。

<組織と教育>
 アメリカの高度成長期における大学やそれへの進学高校の非エリート化と退廃の問題が指摘されていますが、これは前述した現代的不幸の原因の一つと考えられていますので非常に重要です(詳しくは、関連する記事を参照してください)。
 しかし、こうしたことに反発し最終的に精神病院に入院させられたホールデンを、個人の弱さによるものと切り捨ててしまい、大学や教育機関自体が原因であることに踏み込まないのは、体制内研究者(同じような問題を抱える日本の大学の教員)の限界なのかもしれません。

<芸術作品としての「キャッチャー・イン・ザ・ライ」>
 古典的な芸術作品と比較して、「世俗的な意味での成功作であり、出世作でもあろうが、芸術の厳しい掟によって裁断すると、古典として選び抜かれるだけの内容を備えているとは断言し難い」としています。
 竹内洋の「教養主義の没落」(その記事を参照してください)によると、この文章が書かれた1971年には「教養主義」はすでに没落していたのですが、大学内にいた著者はまだそれに気づいていないようです。
 ここで著者があげたような「古典」は誰も読まなくなって久しいですが、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」は出版されてからすでに70年近くの歳月が流れていることを考えると、今も読み続けられている新しい「古典」と考えていいと思います。







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大竹 勝「サリンジャーにおける生と死」サリンジャー選集 別巻1

2019-08-14 17:49:55 | 参考文献
 サリンジャーに関する内外の先行研究や、サリンジャーが作品を発表し続けた「ニューヨーカー」誌(全13作品で、長編「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)を除く1946年以降の全作品)について要領よく紹介されているので、非常に参考になります。
 ただ、やや書誌学的で、肝心の著者自身の新しい意見はそれほど書かれていません。
 表題の「生と死」に関する著者の意見を要約すると、以下のようになります。
 「生」については、主として「キャッチャー・イン・ザ・ライ」における性的衝動とその抑制について述べられ、クライマックスの妹のフィービーとの会話のシーンですらそれで説明できるとしています。
 まあ、精神分析的に考えればそうとらえられなくもないですが、かなり恣意的な感じはしました。
 また、これは当時の文学研究者に共通しているのですが、アメリカの風俗、特に若者文化やスポーツに対する関心の低さと知識不足が随所に感じられ、それによって作品を誤読していることに気づかされます。
 ここでは、特にスポーツに関する誤読例を述べておきます。
 野崎孝訳の「ライ麦畑でつかまえて」と同様に、アメリカン・フットボールに対して、「蹴球」という言葉を使っていますが、さらに、同じ「蹴球」という用語をイギリスの「フットボール」に対しても使っていて、明らかに混同しています。
 アメリカでは、「フットボール」という用語はアメリカン・フットボールを意味して、イギリス発祥のフットボールには、日本と同様に「サッカー」という用語を使います。 
 また、アメリカの高校や大学におけるアメリカン・フットボールの対校戦の熱狂は、日本における野球などの対校戦の非ではなく、しいていえば、かつての野球の早慶戦(戦前がピークですが、私が付属高校や大学へ通っていたころはまだ名残がありました)やラグビーの早明戦(私が通っていたころがピークでしょう)のような感じに近いと思われます(私自身の実体験は、アメリカに住んでいた時に、地元のスタンフォード大学の対校戦(特にUCLA戦が一番盛り上がります)を数回見に行っただけですが)。
 この感覚が分からないと、ホールデンが対抗戦の日に退学になって母校を去る気持ちや、フラニーの気持ちを理解しないでイェール大学との対校戦に間に合わなくなることばかり気にして上の空のプリンストン大学生の恋人の心境が、本当の意味では理解できないでしょう。
 また、「シーモァ ― 序論」に出てくる弓道について、著者は「ねらってねらわない日本の弓道の禅の精神を学ぶ」「フォームにこだわらない」などと、書いています。
 私は弓道の経験者で、高校時代は一年のち正月を除く360日ぐらい練習し、全国レベルの試合にも出場していましたが、ここで著者が書いていることは全くの間違いです。
 弓道では、「ねらってねらわない」のではなく、「まったくねらわない」のです。
 また、「フォームにこだわらない」のではなく、「フォームがすべて」なのです。
 他の高校はどうか知りませんが、私の高校では、的前に立つまでに、数か月の間、ひたすらフォームだけを習いました。
 的前に立ってからも、狙いが正しい(矢の方向が正しく的に向かっているかは、構造上自分では確認できません)かは、真後ろに他の人に立ってもらって、確認してもらうのです。
 後は、何千回、何万回も繰り返し練習を積み重ねて、「正しいフォームで弓を引けば」、「ねらわなくても矢は必ず的に当たる」ようにするのです。
 もちろん、弓道は非常に精神的な競技で、特に試合で普段の実力を発揮するためには、他のスポーツよりも強い精神力が求められます。
 しかし、自分のフォームの対する絶対の自信にこそ、「弓道の精神性」はあるのです。
 これは、シーモァがバディにビー玉を当てるための教えを語るシーンに出てくるのですが、この描写から察するところでは、サリンジャーは極めて正しく「弓道の精神性」を理解しています。
 「死」に関して言えば、シーモァの死を、仏教でいうところの「入定」(永遠の瞑想に入ること)やキリスト教の「聖なる自殺」ととらえていますが、納得できません。
 シーモァの自殺は、普通の人間の死ととらえるのではなく、シーモァ(精神)とバディ=サリンジャー(肉体)の一体化ととらえる方が自然ではないでしょうか。
 そういった意味では、1948年(当時バディ=サリンジャーは29歳)の「バナナ魚にもってこいの日」(シーモァの自殺)において分裂した精神と肉体が、1965年(バディ=サリンジャーは46歳)の「ハプワース16,一九二四」になって、ようやく再び一体化して、これ以上作品(特にグラス家サーガ)を書く必要がなくなったと考えれば、その後のサリンジャーの生活は、「書けなくなった作家」、「隠遁者」、「人間嫌い」などではなく、穏やかに暮らす日々だったのではないでしょうか。








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大塚アヤ子「サリンジャーの女性たち」サリンジャー文学の世界所収

2019-08-14 11:43:38 | 参考文献
 サリンジャーの作品(それぞれの記事を参照してください)に登場する以下の女性たちについて論考しています。

 エドナ「若者たち」(サリー・ヘイズ「キャッチャー・イン・ザ・ライ」にもふれています)
 ヘリン「エディに会いに行けよ」
 ロウイス「ロウイス・タギトの長いお目見え」(ルーシー「当事者双方」にもふれています)
 セラ「ヴァリオーニ兄弟」
 バーバラ「ウェストのぜんぜんない一九四一年の若い女(イレイヌ「イレイヌ」にもふれています)
 コリンとバニ「倒錯の森」
 ミュリエル「バナナ魚にはもってこいの日」(シャーロット「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ」とハッピー夫人「ハプワース16,一九二四」にもふれています)
 エロイーズ「コネチカットのグラグラカカ父さん」
 ジニ「エスキモーとの戦争の直前に」
 ブー=ブー「下のヨットのところで」
 エズメ「エズメのために ― 愛と背徳とをこめて」
 ジョウニ「美しき口に、緑なりわが目は」(メアリー・ハドソン「笑い男」にもふれています)
 フラニー「フラニー」「ズーイ」

 著者が冒頭で述べているように、「学問的な意味でなんらかのタイプに類別してみたり(実際には一部していますが)、文学的な血統証明をすることではな」く、「ささやかな列伝に記録しておきたい」との趣旨で書かれています。
 日本人とアメリカ人(特に1940年代から1950年代にかけて)とのジェンダー観の違いや当時の社会への理解が不足していることと、同性のせいかやや美人たちに辛口なのを除けば、だいたい無難な列伝になっています。
 ただし、対象が若い女性(ジニやエズメのような思春期前期の少女たちも含みます)に限られていて、彼女たちと同様あるいはそれ以上に重要な少女(幼女も含みます)たちについての論考がまったくないのが物足りませんでした。
 おそらく著者にはそうした登場人物がそれほど重要とは思えなかったのかもしれませんが、(私が児童文学者のせいもありますが)、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」のフィービー・コールフィールドや「ブルー・メロディ」のペギィ・モァや「倒錯の森」のコリン・ノルトフェンの子ども時代や「バナナ魚にもってこいの日」のシビル・カービンタは、優れた児童文学に出てくる少女たち(例えば、カニグズバーグのクローディア・キンケイドやケストナーのポニー・ヒュートヘンなど)と勝るとも劣らない「その時代の典型的な子どもたち」です。
 誤解を招かないように追加しておくと、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」のアリー・コールフィールドや「笑い男」の語り手(わたし)やブルー・メロディ」の「倒錯の森」のレイマンド・フォードの子ども時代も、優れた児童文学に出てくる少年たち「例えば、ケストナーのマルチン・ターラーやマーク・トウエンのトム・ソーヤーなど)と勝るとも劣らない「その時代の典型的な子どもたち」です。



 
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鈴木武樹「J.D.サリンジャー「若者たち」あとがき」

2019-08-14 09:25:26 | 参考文献
 訳者が書いているように、サリンジャー自身が出版した短編集は「九つの物語」(関連する記事を参照してください)以外にはなく、この角川版「若者たち」には、表題作の「若者たち」を初めとして、サリンジャーの初期(21歳(1940年)から28歳(1947年)まで)に書かれて発表された全18作品のうちで、角川版「倒錯の森」(関連する記事を参照してください)に収められている「ヴォリオーニ兄弟」(1943年作)を除いた17作品が収められています。
 角川文庫での出版順では、「倒錯の森」(1970年)の方が、「若者たち」(1971年)よりも先だったために、このような奇妙な構成になったと思われます。
 「倒錯の森」(1947年作)は中編なので、これ一作では一冊の本にするのには分量が足りないので、同じようなテイスト(「ア・ボーイ・ミーツ・ア・ガール」的(正確には、「倒錯の森」は「ア・ガール・ミーツ・ア・ボーイ」的))を持った「ブルー・メロディ」(1948年作)をくっつけ、その「ブルー・メロディ」に、1948年作つながりで「ある少女の思い出」を、ヴォリオーニ兄弟(「ブルー・メロディ」にもちょっと出てきます)つながりで「ヴァリオーニ兄弟」をさらにくっつけて、一冊にまとめたものと思われます。
 そういった意味では、「若者たち」には雑多な作品が含まれていますが、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)の原型が含まれていたり、それも含めてサリンジャー作品の最大の魅力である大人になることに不器用な男の子や女の子たちが多数登場してくるので、個々の作品自体は粗削りながら、サリンジャー・ファンにはたまらない短編集になっています。
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中川 敏「解説」集英社文庫版「九つの物語」所収

2019-08-12 10:47:00 | 参考文献
 「あとがき」ではなく、「解説」と銘打つだけに、「九つの物語」だけでなく、サリンジャーの他の作品も含めた作家活動全体、サリンジャー自身などの解説を試みています。
 しかし、紙数が限られているので、サリンジャーについて一般的に言われていることの紹介にとどまっていて、作者独自の見解はあまりありませんでした。
 また、気になったのは、訳者が、作品の忠実な翻訳ではなく、読者に自分の解釈による意訳を提供しようとしていることです。
 これは、旧来の翻訳者によく見られる姿勢で、訳者が読者よりも作品世界に通じているという前提で翻訳しているからだと思われます。
 外国に対する情報が限定されていた時代には、この方法も不特定多数の読者のためには必要だったのかもしれませんが、外国の情報が海外旅行やインターネットで簡単に得られる現代では、「意訳」が「誤訳」になっていることに気づかされることも多いと思われます。
 そのため、サリンジャーの場合でも新訳が必要なのですが、一方で、その作品が書かれた背景(サリンジャーの場合だと1940年から1960年のアメリカにおける比較的裕福な都会での生活)を十分に理解しないと、かえって誤訳を生む可能性もあります。
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「プルートゥ」鉄腕アトム「地上最大のロボット」より

2019-08-06 15:07:34 | 演劇
 もともとのお話は、鉄腕アトムのシリーズの中でも、最も有名な作品の一つです。
 世界の最強ロボットベスト7のうち5人が殺され、残るのはドイツの刑事ロボット、ゲジヒトと日本のアトムだけになり、5人を殺した無敵のロボット、プルートゥとの闘いにいどみます。
 五十年以上前に原作を読んだときには、戦闘シーンや個性豊かなロボットたちにも魅了されましたが、ロボットを殺すためだけに作られ、最後にさらに強力なロボット、ボラーに殺されてしまうプルートゥの悲しみは、今でも心に残っています。
 この舞台は、それをもとに書かれた浦沢直樹の漫画を原作にしています。
 演劇、ダンス、映像、音楽、舞台美術を駆使して、鉄腕アトムの世界を舞台空間の中に再現するとともに、現代史(イラク戦争?)を取り込むことによって、人間とは何か? ロボットとは何か? 家族とは? 愛とは? 憎しみとは? 悲しみとは? 怒りとは? 記憶とは? 嘘とは?、といった根源的な問いかけを観るものに投げかけてきます。
 浦沢直樹の原作やシディ・ラルビ・シェルカウイの演出や振り付けも素晴らしいのですが、森山未来や永作博美たち、出演俳優も魅力的でした。

鉄腕アトム 地上最大のロボット (講談社プラチナコミックス)
クリエーター情報なし
講談社
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府川源一郎「児童文学の境界」日本児童文学学会第51回研究大会シンポジウム資料

2019-08-05 14:22:42 | 参考文献
 「児童文学」と「教育」の境界を論じています。
 特に、明治時代の「修身教育」を中心に説明しています。
 広義の教育的機能を持つメディアを「リテラシー形成メディア」と規定し、「児童文学」もその中に含まれるとしています。
 その理由として、「(子どもに)「児童文学」与える大人(媒介者と呼ばれます)は、(子どもの)想像力の伸長や豊かな感受性の育成などの、内面形成を意図しているから」と述べています。
 この点については、歴史的には正しいし、今でもその面はあると思われますが、子どもの読書の目的が教養形成から娯楽に移って、エンターテインメント作品全盛の現代の「児童文学」においては、かなりずれてきているものと思われます。
 また、「「修身教育」の場合は、「声」と「文字」と「図像」というメディアが、総合的に働いていた。→それは、現代の「児童文学」の享受においても同様ではないか。」という意見は、「読み聞かせ」「絵本」「漫画的イラスト」などが盛んな現状によくあてはまっています。

私たちのことばをつくり出す国語教育
クリエーター情報なし
東洋館出版社
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鈴木武樹「J.D.サリンジャー「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ」あとがき」

2019-08-03 16:44:31 | 参考文献

 訳者は、グラス家サーガの概要について、通常の兄妹の関係性をもとにしてまとめていますが、そのとらえ方では皮相的になって、サリンジャーの実相には迫れないと思います。
 私見を述べれば、グラス家七人兄妹のうち、男の子五人(シーモァ、バディ、ウォルト、ウェイカー、ズーイ)で、一人の人間(限りなくサリンジャー本人に近い)の総体を表わしていて、特にシーモァは精神と頭脳を、バディは経験を、ズーイは外見を象徴的に表していると考えると、グラス家サーガ(実はサリンジャーそのもの)をとらえやすくなると考えています。
 一方の女性二人は、ブー=ブーは姉ないしは母的な存在であり、末っ子のフラニーは文字通り妹そのものないしは妻と考えれば、全体としてサリンジャーの女性観を象徴していると考えられます。
 なお、訳者は、今回のシリーズ(「九つの物語」、「フラニーとズーイ」、「倒錯の森」、「若者たち」、「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ」(出版順であって、サリンジャーが発表した順ではありません。それぞれの記事を参照してください))に、版権の関係で入れられなかった「キャッッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)と「一九二四年、ハップワース十六日」(その記事を参照してください)を将来付け加えたいと述べていますが、それはかないませんでした。
 サリンジャーの作品を初期短編まで含めてすべてを翻訳していただけるのはありがたいですが、正直、誤訳やサリンジャーの文体との違い(本業はドイツ文学者なのでしかたがないのかもしれません)も多々感じられました。
 新訳(とうぜん、訳者の本も参考にしているので、それへも貢献していることになります)で読み直すか、この本を参考にしながら原書で読むことをお勧めします。
 

 

 

 

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