サリンジャーの作品(それぞれの記事を参照してください)に登場する以下の女性たちについて論考しています。
エドナ「若者たち」(サリー・ヘイズ「キャッチャー・イン・ザ・ライ」にもふれています)
ヘリン「エディに会いに行けよ」
ロウイス「ロウイス・タギトの長いお目見え」(ルーシー「当事者双方」にもふれています)
セラ「ヴァリオーニ兄弟」
バーバラ「ウェストのぜんぜんない一九四一年の若い女(イレイヌ「イレイヌ」にもふれています)
コリンとバニ「倒錯の森」
ミュリエル「バナナ魚にはもってこいの日」(シャーロット「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ」とハッピー夫人「ハプワース16,一九二四」にもふれています)
エロイーズ「コネチカットのグラグラカカ父さん」
ジニ「エスキモーとの戦争の直前に」
ブー=ブー「下のヨットのところで」
エズメ「エズメのために ― 愛と背徳とをこめて」
ジョウニ「美しき口に、緑なりわが目は」(メアリー・ハドソン「笑い男」にもふれています)
フラニー「フラニー」「ズーイ」
著者が冒頭で述べているように、「学問的な意味でなんらかのタイプに類別してみたり(実際には一部していますが)、文学的な血統証明をすることではな」く、「ささやかな列伝に記録しておきたい」との趣旨で書かれています。
日本人とアメリカ人(特に1940年代から1950年代にかけて)とのジェンダー観の違いや当時の社会への理解が不足していることと、同性のせいかやや美人たちに辛口なのを除けば、だいたい無難な列伝になっています。
ただし、対象が若い女性(ジニやエズメのような思春期前期の少女たちも含みます)に限られていて、彼女たちと同様あるいはそれ以上に重要な少女(幼女も含みます)たちについての論考がまったくないのが物足りませんでした。
おそらく著者にはそうした登場人物がそれほど重要とは思えなかったのかもしれませんが、(私が児童文学者のせいもありますが)、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」のフィービー・コールフィールドや「ブルー・メロディ」のペギィ・モァや「倒錯の森」のコリン・ノルトフェンの子ども時代や「バナナ魚にもってこいの日」のシビル・カービンタは、優れた児童文学に出てくる少女たち(例えば、カニグズバーグのクローディア・キンケイドやケストナーのポニー・ヒュートヘンなど)と勝るとも劣らない「その時代の典型的な子どもたち」です。
誤解を招かないように追加しておくと、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」のアリー・コールフィールドや「笑い男」の語り手(わたし)やブルー・メロディ」の「倒錯の森」のレイマンド・フォードの子ども時代も、優れた児童文学に出てくる少年たち「例えば、ケストナーのマルチン・ターラーやマーク・トウエンのトム・ソーヤーなど)と勝るとも劣らない「その時代の典型的な子どもたち」です。
エドナ「若者たち」(サリー・ヘイズ「キャッチャー・イン・ザ・ライ」にもふれています)
ヘリン「エディに会いに行けよ」
ロウイス「ロウイス・タギトの長いお目見え」(ルーシー「当事者双方」にもふれています)
セラ「ヴァリオーニ兄弟」
バーバラ「ウェストのぜんぜんない一九四一年の若い女(イレイヌ「イレイヌ」にもふれています)
コリンとバニ「倒錯の森」
ミュリエル「バナナ魚にはもってこいの日」(シャーロット「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ」とハッピー夫人「ハプワース16,一九二四」にもふれています)
エロイーズ「コネチカットのグラグラカカ父さん」
ジニ「エスキモーとの戦争の直前に」
ブー=ブー「下のヨットのところで」
エズメ「エズメのために ― 愛と背徳とをこめて」
ジョウニ「美しき口に、緑なりわが目は」(メアリー・ハドソン「笑い男」にもふれています)
フラニー「フラニー」「ズーイ」
著者が冒頭で述べているように、「学問的な意味でなんらかのタイプに類別してみたり(実際には一部していますが)、文学的な血統証明をすることではな」く、「ささやかな列伝に記録しておきたい」との趣旨で書かれています。
日本人とアメリカ人(特に1940年代から1950年代にかけて)とのジェンダー観の違いや当時の社会への理解が不足していることと、同性のせいかやや美人たちに辛口なのを除けば、だいたい無難な列伝になっています。
ただし、対象が若い女性(ジニやエズメのような思春期前期の少女たちも含みます)に限られていて、彼女たちと同様あるいはそれ以上に重要な少女(幼女も含みます)たちについての論考がまったくないのが物足りませんでした。
おそらく著者にはそうした登場人物がそれほど重要とは思えなかったのかもしれませんが、(私が児童文学者のせいもありますが)、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」のフィービー・コールフィールドや「ブルー・メロディ」のペギィ・モァや「倒錯の森」のコリン・ノルトフェンの子ども時代や「バナナ魚にもってこいの日」のシビル・カービンタは、優れた児童文学に出てくる少女たち(例えば、カニグズバーグのクローディア・キンケイドやケストナーのポニー・ヒュートヘンなど)と勝るとも劣らない「その時代の典型的な子どもたち」です。
誤解を招かないように追加しておくと、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」のアリー・コールフィールドや「笑い男」の語り手(わたし)やブルー・メロディ」の「倒錯の森」のレイマンド・フォードの子ども時代も、優れた児童文学に出てくる少年たち「例えば、ケストナーのマルチン・ターラーやマーク・トウエンのトム・ソーヤーなど)と勝るとも劣らない「その時代の典型的な子どもたち」です。