現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

井上雄彦「リアル」

2019-08-16 08:42:26 | コミックス
 ご存知の通り、この作品は有名なコミックスなので、あらすじはここでは書きません。
 これを読んで、児童文学の出版状況に関して思ったことを書きます。
 この作品では、いろいろな事情で車いすバスケットに関わるようになった障害者たちとその周辺の健常者たちを、まさに題名通りにリアルに描いたものです。
 周到な取材をもとに、不定期な雑誌連載というマイペースな発表の仕方で、じっくりと描かれています。
 作者ならではのユーモアや迫力ある車いすバスケットのシーンも魅力ですが、障害、死、格差社会などの重いテーマを真っ向から描いています。
 こういったある意味まじめなかたい作品に一定の読者がついているのですから、児童文学の世界でもこういった作品がもっと出版されるべきだと思います。
 もちろん、こういう作品を自分のペースで発表できるのは、作者が「スラムダンク」や「バガボンド」といった超人気コミックスの作者だということも理由の一つでしょう。
 出版社への発言力の強さや経済的な余裕のおかげで、自分のやりたいことを自由にやれているのかもしれません。
 これは、児童文学の世界では、「ズッコケ」シリーズがヒットしている時の那須正幹も同じような状況でした。
 しかし、現実にこういった作品が出版されて、商売としても成立していることは事実なのです。
 また、この作品の特長として、本物のスポーツの質感がよく表れていることがあげられます。
 これはたんなる取材だけではなく、自分自身でプレーした経験がないとなかなか出せないなと思いました。
 作品から、実際の汗やにおいや雰囲気までが立ち上ってくる感じです。
 最近の児童文学(あるいはヤングアダルト作品)に多いお手軽な取材だけで書いた妙にさわやかなスポーツ物とは、一線を画しています。
 また、試合や練習のシーンが多いのも特徴的です。
 これは、男性を読者対象のメインとしているからかもしれません。
 少年漫画の世界では、人気が下がるとてこ入れのために試合や戦闘シーンを増やすのが一般的な手法です。
 例えば、代表的な野球漫画であるちばあきおの「キャプテン」や「プレイボール」も、だんだんに試合のシーンが増えていきました。
 もっとも、そのために自分の書きたい世界と実際の作品とのギャップに悩んだことが、彼の自殺の原因とも言われているので、そのへんのさじ加減は難しいのかもしれません。
 自分自身の体験や息子たちの様子を見ていた経験からしても、いつの時代も男の子たちは試合や戦闘のシーンを好むようです。
 この点でも、今の児童文学の出版社が出している、試合をめったにやらないスポーツ物や、迫力のある戦闘シーンのない「剣と魔法の世界」を描いたファンタジーなどは、いかにも女性好みで、ますます男の子の読者を減らしていきます。
「どうせ男の子たちは本を読まないから、そんな連中をもともと対象にしていない」と豪語していた女性編集者もかつていましたが、そういった本作りの姿勢が児童文学をますます女性に偏ったものにしているのでしょう。
 しかし、ライトノベルやコミックスやアニメやゲームの世界では、男の子たちをメインターゲットにした作品がたくさんある(むしろ多数派)のですから、児童文学でも工夫次第では「リアル」のような作品を出せるのではないでしょうか。
 そういった児童文学の書き手を育てないのは、出版社や編集者たちの怠慢だと思います。
 もっとも、別の記事で述べたように、今の印税の仕組みや出版状況ではエンターテインメントではない児童文学だけでは生活できないので、男性の文字表現者の才能が他の世界へ流れていっているのも事実でしょう。
 このところ「リアル」は休載されていたのですが、2019年になって再開されました。
 これからの展開が楽しみです。

リアル1~最新巻(Young jump comics) [マーケットプレイス コミックセット]
クリエーター情報なし
集英社

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 武田勝彦「此岸と彼岸の相剋... | トップ | 繁尾 久「内なる真実はいず... »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コミックス」カテゴリの最新記事