訳者は、グラス家サーガの概要について、通常の兄妹の関係性をもとにしてまとめていますが、そのとらえ方では皮相的になって、サリンジャーの実相には迫れないと思います。
私見を述べれば、グラス家七人兄妹のうち、男の子五人(シーモァ、バディ、ウォルト、ウェイカー、ズーイ)で、一人の人間(限りなくサリンジャー本人に近い)の総体を表わしていて、特にシーモァは精神と頭脳を、バディは経験を、ズーイは外見を象徴的に表していると考えると、グラス家サーガ(実はサリンジャーそのもの)をとらえやすくなると考えています。
一方の女性二人は、ブー=ブーは姉ないしは母的な存在であり、末っ子のフラニーは文字通り妹そのものないしは妻と考えれば、全体としてサリンジャーの女性観を象徴していると考えられます。
なお、訳者は、今回のシリーズ(「九つの物語」、「フラニーとズーイ」、「倒錯の森」、「若者たち」、「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ」(出版順であって、サリンジャーが発表した順ではありません。それぞれの記事を参照してください))に、版権の関係で入れられなかった「キャッッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)と「一九二四年、ハップワース十六日」(その記事を参照してください)を将来付け加えたいと述べていますが、それはかないませんでした。
サリンジャーの作品を初期短編まで含めてすべてを翻訳していただけるのはありがたいですが、正直、誤訳やサリンジャーの文体との違い(本業はドイツ文学者なのでしかたがないのかもしれません)も多々感じられました。
新訳(とうぜん、訳者の本も参考にしているので、それへも貢献していることになります)で読み直すか、この本を参考にしながら原書で読むことをお勧めします。