訳者が述べているように、この「九つの物語」(個々の作品については、それぞれの記事を参照してください)は、サリンジャーの中期(29歳(1948年)から35歳(1953年)までに書かれた短編を集めた自選集です。
それ以前に書かれた短編(角川文庫版の「若者たち」と「倒錯の森」に収められています)とは、明らかに作品としての完成度が高まっています。
サリンジャーにとっての大きな変換点は1948年のようで、この年に書かれた作品のうち、「ある少女の思い出」と「ブルー・メロディ」は前者に、「バナナ魚にもってこいの日」と「コネチカットのグラグラカカ父さん」と「エスキモーとの戦争の直前に」は後者に含まれています。
この時期のサリンジャーにとっての大きな出来事は、いわゆる「グラス家サーガ(年代記)」(「バナナ魚にもってこいの日」と「コネチカットのグラグラカカ父さん」と「下のヨットのところで」(1949年作)が書き始められたことと、1951年に「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)が出版されて大ベストセラーになり、その大騒ぎを避けるために一時ヨーロッパに避難しなけれなならなかったことでしょう(その影響のせいか、翌1952年には一作も作品が発表されませんでした)。
訳者も少し触れていますが、この短編集の大きな特長として、どの作品にも、様々な年齢(四歳から十九歳まで)の子どもたちが、(ある作品では無垢な魂の象徴として、逆にある作品では通俗的な大人たちを反映させてデフォルメした存在として)登場し、作品の象徴性を高める役割をはたしています。
これらは、いわゆる「現代的不幸」(アイデンティティの喪失、生きることへのリアリティのなさ、社会への不適合など)を描く上で、非常に有効な方法であったと思います。
日本の現代児童文学(定義などは関連する記事を参照してください)においても、1970年代終わりごろからから1990年代初めごろまでは、このような作品を書く優れた作家(森忠明、皿海達哉、廣越たかしなど)の本が出版されていた時代がありました。
私自身も、短期間でしたが、そうした傾向を持つ作品を書いていました。
現在のエンターテインメント全盛の児童文学の世界では、こうした作品が出版されることは困難ですし、読書に求める物が大きく変化した現在の子ども読者も望んでいません。
現時点でこうした傾向を持つ作品を書くとしたら、サリンジャー作品同様に「子どもの登場する一般文学」として書いた方が現実的でしょう。
虐待、ネグレクト、貧困、いじめ、クラスカースト、階層社会、引きこもりなどで、私が子どもだったころよりはもちろん、私の息子たちが子どもだったころよりさえも、さらに生きていくことが困難になっている子どもたちの状況を描いて、それらに対して無責任なふるまい(いや迫害している当事者さえいます)をしている大人たち(親、親戚、地域住人、教師、役人、政治家など)を撃つような作品が書かれることが望まれています。