1972年に発行されたエッセイ集です。
幼少時代から戦争体験も含めて現在に至るまで、様々な時代の話が出てきますが、一貫して著者の動植物や市井の人々への愛情と繊細な感性にあふれています。
著者は、1964年に「星の牧場」で日本児童文学者協会賞などのいくつかの文学賞を受賞した児童文学者です。
しかし、個人的にはエッセイの名手(「ロッテルダムの灯」でエッセイストクラブ賞を受賞)や芥川賞作家の庄野潤三(学生時代から作品を愛読していました)の兄としてのイメージが強くて、エッセイは学生時代から愛読していましたが、児童文学作品の方は「星の牧場」の厭戦感(反戦というほどの積極性は感じませんでした)と詩情には惹かれたものの、他の作品はほとんど記憶に残っていません。
著者自身のエッセイや庄野潤三の作品から得たイメージでは、著者のほうが弟よりも芸術家(画家でもあります)としての資質があったのではなかったのかと思われます。
逆に、作家の弟のほうが、実は実務家としての才能はあったのではないかと推察しています。
弟のようなプロの作家になることを断念して教師になる道を選んだのは、帝塚山学院の創始者である父や長兄を早く亡くしたからではないかと推測されます。
帝塚山学院の教師(初めは大学はありませんでした)や大学教授、最後には学長まで歴任する傍ら、文学的には佐藤春夫や坪田譲治に師事して、特に児童文学的には坪田譲治門下の「びわの実学校」の同人として長年活躍されました。
そういった意味では、学生時代からガチガチの現代児童文学(定義などは関連する記事を参照してください)論者だった私からは、「童話作家」(蔑称として使っていました。すみません)と軽んじてみているところがあったことは否定できません。
現代児童文学が終焉した現在、児童文学をもっと大きく捉えなおそうとしているので、評価を改めなければならない作家の一人かも知れません。
幼少時代から戦争体験も含めて現在に至るまで、様々な時代の話が出てきますが、一貫して著者の動植物や市井の人々への愛情と繊細な感性にあふれています。
著者は、1964年に「星の牧場」で日本児童文学者協会賞などのいくつかの文学賞を受賞した児童文学者です。
しかし、個人的にはエッセイの名手(「ロッテルダムの灯」でエッセイストクラブ賞を受賞)や芥川賞作家の庄野潤三(学生時代から作品を愛読していました)の兄としてのイメージが強くて、エッセイは学生時代から愛読していましたが、児童文学作品の方は「星の牧場」の厭戦感(反戦というほどの積極性は感じませんでした)と詩情には惹かれたものの、他の作品はほとんど記憶に残っていません。
著者自身のエッセイや庄野潤三の作品から得たイメージでは、著者のほうが弟よりも芸術家(画家でもあります)としての資質があったのではなかったのかと思われます。
逆に、作家の弟のほうが、実は実務家としての才能はあったのではないかと推察しています。
弟のようなプロの作家になることを断念して教師になる道を選んだのは、帝塚山学院の創始者である父や長兄を早く亡くしたからではないかと推測されます。
帝塚山学院の教師(初めは大学はありませんでした)や大学教授、最後には学長まで歴任する傍ら、文学的には佐藤春夫や坪田譲治に師事して、特に児童文学的には坪田譲治門下の「びわの実学校」の同人として長年活躍されました。
そういった意味では、学生時代からガチガチの現代児童文学(定義などは関連する記事を参照してください)論者だった私からは、「童話作家」(蔑称として使っていました。すみません)と軽んじてみているところがあったことは否定できません。
現代児童文学が終焉した現在、児童文学をもっと大きく捉えなおそうとしているので、評価を改めなければならない作家の一人かも知れません。