現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

帰らざる日々

2021-05-07 20:57:34 | 映画

 早朝の新宿駅に、飯田行き急行に乗りこむ野崎辰雄の姿がありました。
 父の突然の死が、作家を志していた辰雄に六年振りの帰郷を促したのです。
 そこから辰夫の回想シーンが始まります。
 一九七二年の夏、辰雄の母は若い女のもとに走った夫と別居し、辰雄は母一人子一人の生活を送っていました。
 高校三年だった辰雄は、溜り場の喫茶店のウェートレスの真紀子に思いをよせていました。
 そんな辰雄の前に、真紀子と親しげな同じ高校の隆三が現われました。
 マラソン大会があった日、辰雄は隆三に挑みましたが、デッドヒートの末にかわされてしまいます。
 数日後、辰雄の気持を知った隆三は辰雄をからかいますが、隆三と真紀子がいとこ同志とも知らずにむきになる辰雄に隆三は次第に好意を持ちました。
 卒業後、東京に出ようと思う辰雄、学校をやめて競輪学校に入る夢を持つ隆三、そして真紀子の三人は徐々に友情を深めていきます。
 夏休みの盆踊りの晩に、辰雄と隆三は、真紀子が中村という妻のいる男と交際しており、すでに子どもを宿していると知らされ、裏切られた気持で夜の街をさまよい歩くのでした。
 翌日、二日酔でアルバイトをしていると、隆三が足に大怪我を負ってしまいました。
 競輪選手への夢もこれで終りです。
 ここで回想シーンは終わります。
 飯田に近づくと、辰雄は見送りに来ていた同棲相手の螢子が列車に乗っているのを見つけました。
 それは、彼の母に会いたい一心の行為であり、結局辰雄は螢子を連れていくことに決めます。
 飯田に着くと、父は隆三の運転する車で轢死したことを知らされます。
 隆三も重傷を負っており、昏睡状態の彼を前に、辰雄は六年前の苦い思い出をかみしめます。
 父の葬儀の夜、真紀子が北海道に渡ったことを知らされます。
 翌朝、かつて隆三と走った道を歯をくいしばって走る辰雄と、その後を自転車で追う螢子の姿がありました。
 この映画は、カット・バックを大幅に導入して、青春の日の恋や友情を感動的に描いていると、公開当時に評判になりました。
 6年ぶりに帰郷する主人公が、列車の中で高校生の頃の自分を回想するという構成で、親友との三角関係、性体験、親子の確執などが語られていきます。
 ドラマティックなラストの良さはもちろん、誰もが体験するような小さなエピソードがこの作品の魅力でしょう。
 特に、主人公と初体験の相手との別れのキスシーンは、日本映画史上においても屈指の出来と言われました。
 この作品は、「キネマ旬報」というマニアックな映画雑誌の読者投票で、1978年の日本映画の第1位に選ばれたほど、映画ファンの人気を獲得した映画でした。
 城戸賞という映画脚本の新人の登竜門の賞を受賞した中岡京平の自伝的な脚本「夏の栄光」を、「八月の濡れた砂」などの青春映画の職人的な監督だった藤田敏八が、徹底的に娯楽的な要素を強調して演出しています。
 自分の中途半端さを持て余している少年の倦怠感、父親の不倫、年上の美しい女性への憧れと失恋、男同士の汗臭い友情、過剰なまでのエネルギーの濫費、異性との初体験、大人との間の越えられない壁、そして、友との悲しい別れなど、およそ青春映画にはありがちな要素をすべて詰め込んだようなベタな青春映画です。
 映画のタイトルまで、当時人気のあったフォークグループ「アリス」のヒット曲の「帰らざる日々」にしてその曲を主題歌に使い、娯楽性を徹底的に追及しています。
 舞台である長野県の飯田にロケして、低予算、短期間に撮影されたいわゆるプログラム・ピクチャー(当時は映画は二本立てで上映されていて、そのうちのメインではない方)なので、ストーリーもかなりご都合主義ですし、俳優の演技やセリフ回しも生硬さが目立ちます。
 そんな映画がこれほど当時の映画ファン(といっても男性だけですが)に支持されたのは、彼らの青春へのノスタルジーをうまくかきたてたからでしょう。
 将来の夢、飲酒、喫煙、同性の友だちとの熱い友情、そして、何よりも異性への欲望を十分に満たしてくれます。
 年上で上品な美しいあこがれの女性、対照的にちょっとはすっぱだけど一方的に主人公に好意を寄せてファーストキスや初体験を許してくれるかわいい幼馴染、主人公をあれこれ面倒を見てくれる世話女房的な今の同棲相手と、この時代の男の子たちが望むあらゆる女性のタイプがそろっています。
 当時のほとんどの若い男性(特に恋人がいない人たち)に、「あるべき青春」(実際の彼らの青春はこんなにうまくはいかなかった)を見せてくれます。
 それも、24歳になった主人公が六年前の高校三年生の時を振り返るという作りなので、青春そのものとそれらへのノスタルジーの両方を味あわせてくれるのです。
 三十数年ぶりにDVDで見た感想は、「やっぱり見なければよかった」、「なぜだか悲しい」というものでした。
 「やっぱり見なければよかった」というのは、若いころ(あるいは子どものころ)に夢中になったエンターテインメント作品(まんが、テレビ、映画など)を久しぶりに見たり読んだりした時にいつも感じることです。
 こういったエンターテインメント作品は、その時その時の時代の雰囲気の中にいてこそ本当の意味で楽しめるもののようです。
 感性も考え方も変わってしまった現時点で見直しても、魅力を感じるのは当時これらの作品に夢中になっていた自分へのノスタルジーの方で、作品そのものの魅力ではなくなってしまっていることが多いのです。
 「なぜだか悲しい」という感想は、この「帰らざる日々」の原作者や主人公が自分と全く同年齢であることが大きな理由かもしれません。
 この映画のテーマは、すでに述べたように「青春へのノスタルジー」なのですが、現時点でこの映画を見ると、「青春へのノスタルジー」を観ていたころのまだ若かった自分へのノスタルジーという、ノスタルジーの二重構造になってしまっているからでしょう。
 また、この映画に出演していた女優たち(特に幼馴染を演じた竹田かほり)は、この後すぐに結婚(相手は甲斐バンドの甲斐よしひろです)して引退してしまった(しかも彼女たちはB級アイドルだったのでテレビなどで回顧されることもない)ので、映画の中に若い魅力的な姿のまま封じ込まれていて、なんだか昔のクラスメートの女の子に当時のままの姿で再会したような不思議な気分を味わったのも、「なぜだか悲しい」という気持ちになった理由なのかもしれません。
 残念ながら、児童文学のエンターテインメント作品は子どものころにまったく読まなかった(まんがやテレビアニメが今よりも全盛の時代でしたので、児童文学のエンターテインメント作品はほとんど駆逐されていました)ので、この感覚が児童文学のエンターテインメント作品でも同じなのかは、自分では検証できません。
「ズッコケ」や「ゾロリ」などを読んで育った当時の子どもたち(すでに四十代、五十代になっている人たちもいるでしょう)は、今それらを読み返したらどんな感じなのでしょうか?


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瀬田貞二「坪田譲治」子どもと文学所収

2021-05-07 08:48:35 | 参考文献

 児童文学研究者(トールキンの「指輪物語」などの翻訳者でもあります)である著者だけに、いぬいとみこの「小川未明」(その記事を参照してください)や松井直の「浜田広介」(その記事を参照してください)と比較すると、ずっとバランスの取れた批評になっています。
 譲治の自選集「サバクの虹」を取り上げて、その中の作品を、「大人のための小説」、「子どものための小説」、「昔語り」、「夢語り」に分類して論じています。
 瀬田は、譲治の「大人のための小説」を文学としては一番高く評価していますが、その作品に常に「死」のイメージがつきまとうことから児童文学には不向きとしています。
 また、「子どものための小説」は、「生きた子どもを作品に描き出した」と評価しつつも、これにもまだ「死」や「不安」といった負のイメージがつきまとっていると否定的に評価しています。
 「昔語り」や「夢語り」については、観念的すぎると簡単に切り捨てています。
 そして、結論として、「譲治は、大人のための作家であったと思いますが、子どものためには、(中略)ふさわしいと思われません。譲治が、大人のための小説の力量を児童文学の世界に持ちこんでくれたことは、ありがたいことでしたが、方向をとりちがえて、「生活童話」(注:子どもの日常生活を写実的な手法で描いた作品)という変則なタイプを以後に置きみやげにしてしまいました。譲治の文学のとるべきところ、すてるべきところをよく見さだめて進まなければならないのが、今後の子どもの文学の仕事です。」と、述べています。
 ここで、著者が「とるべきところ」と言っているのは、「生きた子どもを作品に描き出した」ことと思われます。
 これは、未明たちの作りだしたそれまでの子ども像が観念的であったことに対する比較として言っているのですが、彼ら現代児童文学者のいう「生きた子ども」もまた観念にすぎないと、1980年に柄谷行人に「児童の発見」(「日本近代文学の起源」所収(その記事を参照してください))の中で批判されました。
 また、「すてるべきところ」というのは、「死」、「不安」といった負のイメージのことでしょうが、彼らの「おもしろく、はっきりわかりやすく」という主張に縛られすぎたたために、現代児童文学(定義は他の記事を参照してください)は、こうした負のイメージ(その他に、離婚や非行など)を作品には書かないというタブーが出来上がってしまいました(これらのタブーが破られるのは、やはり1980年前後です。(例えば、那須正幹の「ぼくらは海へ」(その記事を参照してください)))。
 

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