現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

十二人の怒れる男

2021-05-02 14:30:32 | 映画

 1957年公開のアメリカ映画です。

 1954年に作られたテレビドラマの映画化です。

 ほとんどが、陪審員室の中で、評決をするために議論する12人の男を描くだけで、一本の映画ができています。

 その点で、優れた脚本と俳優の演技さえあれば、費用をかけなくても優れた映画ができる手本としてよく語られます。

 スラム街の少年による父親殺しの事件の、12人の陪審員たちは、ほとんどが有罪に傾いていました。

 ただ一人陪審員8号だけは、少しも話し合わずに有罪(それは死刑を意味します)にすることにためらいを持ち、話し合うために無罪を主張します(全員一致でないと評決できません)。

 それからは、12人の個性と個性がぶつかり合う中で、ひとつひとつの証拠や証言が吟味されて、やがては全員が無罪の評決をします。

 その過程で、感情的だったり、論理的だったり、御都合主義だったり、日和見的だったりする陪審員同士のやり取りが、密室劇にもかかわらず(あるいはそのせいで)、非常にスリリングに展開されます。

 縁もゆかりもないスラム街の少年のために、懸命に議論する互いに全く関係のない男たち。

 評決後、裁判所を去るときに初めて名乗り会う陪審員8号と9号の老人のラストシーンが鮮やかです。

 この映画は、良くも悪くもアメリカの陪審員制度を語る上で、よく引き合いに出されます。

 ヘンリー・フォンダが演じた陪審員8号は、まさに「アメリカの良心」とでも呼ぶべき、静かだけど強固な意思を感じさせ、一人の典型的なアメリカのヒーロー像として、高く評価されています。

 

 

 

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中川右介「グレン・グールド」

2021-05-02 13:56:15 | 参考文献

 2012年に発行された、いわゆるグールド本(おびただしい数の本が出版されています)の一冊です。
 あとがきで著者が述べているように、31歳でコンサート・ピアニストを引退したグールド(50歳で亡くなっています)は、主にレコードにおける演奏について語られてきたので、このようにコンサート活動を、5歳で初めて人前で演奏(ただしオルガン)してから引退するまで網羅的に記述していて、音源が残っているものはそれも紹介している(すべて巻末にリストアップされているグールド本からの情報で、著者独自の取材はしていないようですが)のは、グールドファンだけでなく、私のようにほとんどグールドを聴いてこなかったグールド初学者(ピアニストでは、ホロヴィッツとアシュケナージのファンでした)にとっても、非常に参考になりました。
 しかし、冒頭で、グールドと同世代の世界的に有名な三人の若者、ジェームス・ディーン、エルヴィス・プレスリー、ホールデン・コールフィールド(サリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)の主人公)も紹介し、グールドと「怒れる若者たち」ないしは「理由なき反抗」との関連をほのめかしていますが、実際に書かれているのは皮相的な誰もが知っている内容で、著者の独自の考察も全くなく、「羊頭を掲げて狗肉を売る」の類です。
 他にも、ビートルズやケルアックの「オン・ザ・ロード」(ビート・ジェネレーションを描いた代表的な作品)も紹介しているのですが、ほとんど意味不明です。
 だいいち、「怒れる若者たち」や「ビート・ジェネレーション」について実感を持って語るには、著者(私もそうですが)は若すぎますし、グールドのコンサート・ピアニスト時代(ジェームス・ディーン、エルヴィス・プレスリー、ホールデン・コールフィールドが活躍した時代でもあります)の大半は、著者は生まれてもいませんでした。
 また、副題に掲げた惹句「孤高のコンサート・ピアニスト」や巻末に掲げたハンニバル・レクター博士(トマス・ハリスの「羊たちの沈黙」などの主人公)の有名なセリフ「それと、音楽。グレン・グールドの「ゴールトベルク変奏曲」?要求がすぎるかな?」も、内容にはそぐわずピントはずれな感じです。

グレン・グールド 孤高のコンサート・ピアニスト (朝日新書)
クリエーター情報なし
朝日新聞出版
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ダン・ウェイクフィールド「愛の求道」アメリカ文学作家論選書J.D.サリンジャー所収

2021-05-02 13:53:32 | 参考文献

 例によって、この論文が書かれた時期についての記載はないのですが、「フラニー」、「大工らよ、屋根の梁を高く上げよ」、「ズーイ」が出版された後だと書かれているので、おそらく1958年ごろだと思われます。
 また、著者は50年代の初めにコロンビア大学の学生だったと書かれているので、当時30歳前後の若い研究者で、サリンジャー作品をリアルタイムに熱狂的に迎え入れた若い世代の一員だと思われます。
 そのため、伝統的な文学との比較で論ずる年長の研究者たちと違って、1950年代の他の文学との関連を述べているので非常に興味深い内容でした。
 その中で、イギリスの「怒れる若者たち」に属する批評家が、正しくサリンジャーを理解し評価しているとの記述に、特にハッとさせられました。
 それまで、私の中では、サリンジャー作品で描かれているのは中流家庭の若者たちで、「怒れる若者たち」の作家たちが描いているのは労働者階級の若者たち、という一種の先入観がありました。
 しかし、実際には、そういった環境の違いを超えて、大人たちが作り上げた社会の閉塞感に対して、共通して「No」と言っていたのです。
 そう言えば、サリンジャーの前に、熱心に読んでいた作家のアラン・シリトー(「長距離ランナーの孤独」、「土曜の夜と日曜の朝」など)も「怒れる若者たち」の一員でした。
 また、その時期にアメリカで人気のあったビート・ジェネレーションの作品(例えば、ケルアックの「路上」など」)との比較では、ホールデン・コールフィールド(「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の主人公)の彷徨が「現代社会における愛とモラルの探求」の出発点であるのに対して、「ビート・ジェネレーション」が描いたのは終点だとしています。
 グラス家サーガについても、より深い意味で「現代社会の愛とモラルの探究」がされているとしています。
 その上で、「テディ」を神秘主義者として、シーモァはそれに至らないために、「現代社会の愛とモラルの探究」に苦悩して自殺に至ったとしています。
 一般には「テディ」はシーモァのプロトタイプだと言われているのですが、それは、「シーモァ ― 序章」(1959年)、「ハプワース16、一九二四」(1965年)と時代が進むにつれて(逆に、シーモァ自身は、31歳から7歳まで年齢を遡行します)神秘主義者としての完成度を増したためなので、1958年の時点で著者がそう考えるのも無理からぬことです。
 なお、この作者も、サリンジャーの描く子どもたちを「純粋無垢」な存在としてとらえていますが、実際には人間の「原形質」としてとらえないと「バナナ魚にはもってこいの日」に登場するシビルたちのような存在は理解できないでしょう。
 このことは、児童文学者には比較的分かりやすいのですが、一般文学の研究者にはあまり理解されないようです。
 ただ、著者はまた、「年齢とは精神的なものであって、時間的なのものではない」として、サリンジャー作品がアピールする「若者たち」もまた「精神的なものであって、時間的なのものではない」と主張しています。
 このことは、ケストナーの言うところの「8歳から80歳までの子ども」と同じことを言っているので、サリンジャー文学の本質を正しくとらえています。
 なお、文中のサリンジャー作品については、それらの記事を参照してください。

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