現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

色川武大「門の前の青春」怪しい来客簿所収

2017-05-24 21:41:58 | 参考文献
 作者にとっては、戦時中の唯一といってもいい友人の話です。
 作者は、この友人から文学への関心のきっかけをもらい、逆に友人には無頼の暮らしを教えます。
 二人は、ガリ版雑誌の発行が問題視され、首謀者とみなされた作者は無期停学に、友人も謹慎処分を受けます。
 それをきっかけに、作者は無頼の道に邁進しますが、復学して大学に進んだ友人とも親しく付き合います。
 卒業後に、高校教師となって北海道へ行った友人は、その後大阪の新聞社に職を見つけ、結婚して子どももできます。
 無頼のまま人生を送っていた作者には、友人のそうした小市民的安定をどうしても許せませんでした。
 私は、この作品中の友人が通ったのと同じ大学に四半世紀後に入学したのですが、そのころでも児童文学のサークル内には無頼を気取った先輩たちがいました。
 彼らは、留年を重ねた後で大学に追い出されるようにしてしぶしぶ社会へ出て行ったのですが、その際のあからさまな小市民的変化は、はたで見ていて気分のいいものではありませんでした。

怪しい来客簿 (文春文庫)
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河合雅雄「自然の中の子ども ― あとがきにかえて」少年動物誌所収

2017-05-24 21:23:39 | 作品論
 この文章の中で、著者はアフリカで童心に帰って魚捕りをしたエピソードを語って、この二十年間(この本は1976年に出版されているので、五十年代後半から七十年代にかけての高度成長時代を意味します)に、日本の自然が環境破壊や汚染にさらされて変ってきたかを指摘しています。
 そして、この本に書かれた自然に囲まれた少年時代は、戦前に育った人たちにとっては普通のことだと述べています。
 確かに、現代と違って、当時の日本人の子どもたちが育ったのは、ほとんどが農村や漁村でしたので、ごく一部の都会育ちの子どもを除けば、当たり前の世界だったのでしょう。
 しかし、六十年代に東京の下町で少年時代をすごした私から見ても、なんと豊穣な少年時代だったのでしょうか。
 この本が出版されてから、四十年以上がたちました。
 日本では、自然破壊や都市集中がますます進み、今の子どもたちにとっては著者が描いた世界は想像さえできないことでしょう。
 外遊びをする子どもたちはほとんど見かけなくなり、たまにいてもたいていはスマホや携帯ゲーム機やトレーディングカードで遊んでいます。
 さらに、時代が進んで、ウェアラブル・コンピューターやヴァーチャル・リアリティがより安価に実現したらどうなってしまうのでしょうか。
 いや、半導体の世界でムーアの法則(「集積回路上のトランジスタ数は18か月ごとに倍になる」という、Intelの創業者の一人のムーアが1965年にした有名な予言で、これが50年以上実現され続けててきたことによって、かつてのスーパーコンピューター以上の性能がポケットに入るスマホが実現しました)が成り立つ限りは、数年後にはこれらの装置が身近にあふれていることでしょう。
 そうした時代において、どういった児童文学を創造して、どのようにして子どもたちに届けるかをもっと真剣に考えなければならないのです。


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河合雅雄「魔魅動物園」少年動物誌所収

2017-05-24 21:05:51 | 作品論
 主人公は、また病気で学校を休んでいます。
 そんな彼を慰めてくれるのは、すぐ下の弟が捕ってきてくれた子雀のチー子だけです。
 常にエサを求めるチー子の世話をする時だけは、病気を忘れられます。
 主人公は、少し具合がよくなって学校へ行った時も、密かにチー子を連れて行って教室で逃がして大騒動になります。
 学校へ行かれない主人公を慰めるために、弟と二人で庭に魔魅動物園を作ります。
 そこで飼われているのは、イヌ、ニワトリ五羽、シマリス二匹、十姉妹五羽、文鳥二羽。ブルーインコ二羽、二十種もの魚やエビ、ハイ(オイカワ)、カワムツなどですが、彼らが在所の子たちと戦うために育てている毒ガス部隊の屁こき虫のコウヤ(ミイデラゴミムシ)、クソジ(カメ虫)、パピ子(ナミアゲハの幼虫)などもいます。
 それに、弟がもらってきた三羽のゴイサギの幼鳥も加わりました。
 ゴイサギは大ぐらいで、二人は餌の蛙やタニシを捕るのに追われます。
 そして、目を離したすきに、魔魅動物園の他の魚や虫たちも、ゴイサギに半分近く食べられてしまいました。
 また、一攫千金を夢見た二人は、アカチナ・フリカという食用カタツムリの飼育にものり出します。
 秋が来て、ついにゴイサギは野に放たれ、魔魅動物園の魚や虫、それにアカチナ・フリカまで死に絶え、かわいがっていたチー子まで主人公の不注意で死なせてしまいます。
 こうして、主人公の少年時代は終わりを告げたのです。

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河合雅雄「タヒバリ」少年動物誌所収

2017-05-24 20:52:58 | 作品論
 主人公は、もう三日も、タヒバリを追って雪の残る田んぼを歩き回っています。
 その手には、兄のお古のおもちゃのような空気銃(目などに当たらない限り何もしとめられません)を手にしています。
 獲物をとるのには一対一の格闘しか潔しとせず、魚も手づかみかヤスを使うぐらいで、釣りの時は針も浮きも手作りで、テグスのようなだまし討ちをするようなものは嫌って木綿糸を使っていた主人公にとっては、空気銃は堕落ないし、真の意味での少年期が終わりが近づいていたのかもしれません。
 それでも、今日もまたタヒバリを追い詰めきれずに一日を棒に振った主人公は、帰り道で出会ったもっと上等な空気銃(タヒバリなどは簡単にしとめられるでしょう)を持った少年に、「タヒバリをうったらあかんぞ」とすごむのでした。
 好敵手のようなタヒバリ、文句も言わずに明日も付き合ってくれる相棒のすぐ下の弟、そして、帰りの遅い主人公たちを叱ろうと家で待ち構えているおかあさん。
 少年時代において、他に何を望めと言うのでしょうか。

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河合雅雄「おばけ鮒と赤い灯」少年動物誌所収

2017-05-24 20:47:17 | 作品論
 篠山城跡のお堀で、投げ込み(大きなウナギや鯉などを狙って、太い糸と大きな針にデカミミズやドジョウをつけて、夕方に水の中に投げ込んでおいて、翌朝引き上げる漁)で釣り上げた50センチもあるおばけ鮒と、その鮒や赤い金魚(和金)などをさらいに来たイタチ(おそらく)の思い出です。
 さかんにイタチをやっつけようとするすぐ下の弟と違って、主人公はなぜかイタチに対して優しい気持ちを持ちます。
 いつか重病で病床にいた時に、イタチが庭を訪れて、病魔を連れ去ってくれたと信じているからです(「イタチ」の記事を参照してください)。
 そして、それはまた、主人公にとって、(残酷な)少年期の終わりが近づきたことを示しているのかもしれません。

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河合雅雄「クマネズミ」少年動物誌所収

2017-05-24 20:15:44 | 作品論
 主人公は、胸を病んで病床にいます。
 熱がもたらす幻想に交じって登場するクマネズミが、毎晩主人公を悩ませます。
 そして、主人公とクマネズミの確執が始まりました。
 例によって、主人公たちのクマネズミ退治は残酷なものですが、クマネズミの方も忍者のような素早さで対抗します。
 戦前の山間部にある家ですから、家の中には、クマネズミ(都会ではないのでドブネズミはあまりいなかったのでしょう)だけでなく、それを狩るアオダイショウやイタチなどまでが、天井裏には潜んでいます。
 私が子どもだった昭和三十年代の東京の下町でも、ドブネズミはたくさんいましたし、それを追って猫までが天井裏を駆け巡ったことがありました。
 下水道が整備された現在では、よほど山間部にでも行かない限り、こういった光景の名残すら感じられないでしょう。
 一方、今ではほとんど考えられませんが、当時の結核は死病でしたから、その恐怖が夜になって寝静まった頃に部屋を訪れるクマネズミと重なり合っていたようです。

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