現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

児童文学におけるプロダクトアウトとマーケットイン

2016-10-31 18:42:47 | 考察
 児童文学の世界は、たんに作者の創作行為だけでなりたっているのではなく、普通はその後に本にするための商品化の作業があります。
 これらは一種のビジネス活動とみることができますので、マーケティング的な分析が可能です。
 一般的に、商品化の過程は、大きく分けると、プロダクトアウト(新しいアイデアに基づいて製品を開発して、その後に商品としてまとめあげる)とマーケットイン(初めに市場調査をして顧客のニーズをまとめて商品のイメージを作り上げ、それに基づいて製品を開発する)の二つの方法があります。
 狭義の「現代児童文学」では、長らくプロダクトアウト(作者が自身の新しいアイデアに基づいて創作をして、その後に編集者を通して本という商品に仕上げる)で本を作るのが一般的でした。
 しかし、今ではそういったやり方で本を出せるのは、一部の有力作家やテーマ(障害者、戦争反対など)に限られ、マーケットイン(その時のはやりもの(例えば、魔女、妖怪、怪談、魔法、食べ物、職業もの、歴史ものなど)が編集者から提案されて、それに基づいて作家が創作する)での本の出版が特にエンターテインメント作品では主流になっています。
 それも、きちんとしたマーケットリサーチがされて時代を先取りしたような提案が編集者からなされるのならそれも一つの方法だと思うのですが、たいがいは自社や他社で売れているものの二番煎じのような提案が多いようです。
 あるエンターテインメントの作家が研究会で発言していましたが、「中学年(小学校三、四年生)の女の子向けで、魔女の女の子を主人公にしてほしい」といった提案(他の業界だったら商品の提案とも思われないようなレベルですが)がなされるそうです。
 ここにおいて、二十年ぐらい前までは、たんに「女の子向け」(男の子は本を読まないからというのがその理由です)という注文だけが一般的でしたが、最近はさらに「中学年向け」という条件が付加されています。
 その大きな理由は、高学年の女の子たちにスマホが普及し(男の子たちよりも普及率は高いです)、彼女たちも前より本を読まなくなったからです。
 前出のエンターテインメント作家も指摘していましたが、そのような提案でみんなが同じような作品を書いて、ただでさえ小さいパイ(年々縮小しています)を多人数で食い合っているそうです。
 そして、間違っても、男の子向けといったリスクのある注文は来ないそうです。
 どうやら、現在の児童文学業界には、小さくなったパイ自体を大きくしようと企画するマーケッターはいないようです。
 そして、前出の作家は売れっ子なので、そうした注文には応じないと言っていましたが、別の作家の「中学年の女の子向けで、魔女や妖怪ものを書けば、少なくとも編集者は上へあげてくれる」といった意見の方が多くの書き手の本音に近いようです。


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朝日新聞出版





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児童文学で子どもたちの貧困をどう描くか

2016-10-31 18:41:42 | 考察
 かつての「現代児童文学」には、子どもたちの貧困を描いた優れた作品(山中恒「赤毛のポチ」など)がたくさんありました。
 その後、高度成長時代を経て、「一億総中流化」と呼ばれる時代を迎え、子どもの貧困問題は児童文学のテーマとしてあまり扱われなくなりました。
 しかし、現在の格差社会の時代を迎えて、今では子どもの六人に一人が貧困状態にあると言われています。
 それにもかかわらず、児童文学において子どもたちの貧困を取り扱ったこれといった作品が書かれていません。
 それにはいくつかの理由があります。
 第一に、現在の出版状況では、貧困をテーマにしたような「かたい」作品は、なかなか本になりにくくなっています。 
 また、かつてのように、「金持ち(資本家階級)は悪」、「貧乏人(労働者階級)は善」といった単純な図式はなりたたなくなっていて、格差の実態が見えにくくなっていることも挙げられます。
 そして、一番大きな理由は、共産主義国家の破たんないしは独裁化によって、かつての社会主義リアリズム(みんなが団結して労働運動や市民運動によって社会を変革し、労働者を中心にした社会をつくろうという考えに基づいた作品群です。当時のそれらの作品の書き手たちが、未来のあるべき姿と信じていたのはソ連などの共産主義の国家でした)が破たんしたために、作品の中で子どもたちの将来の展望が描けないことです。
 こうした時代に、「子どもたちの貧困」を描くには、かつてのようなマクロな図式は捨てて、実際の子どもたちの貧困をミクロに描き、彼らと共に将来の展望を模索していくしかないのではないでしょうか。
 例えば、現在はファストファッションやファストフードなどの安価な衣類や食料品が大量にあるために、量的には貧困が見えにくくなっています。
 しかし、質的な差異は歴然としていて、子どもたちの発育や健康を蝕んでいます。
 また、ネットなどではぜいたくだと批判されていますが、今の子どもたちは他者とつながっているために、スマホなどの高価な通信費を大手の通信会社から搾取されています。
 さらに、進学するためには、「奨学金」という名の高額の学生ローンに苦しめられています。
 そして、これらのすべての背景には、国や地方自治体の硬直した施策や大手企業、公共団体の既得権益が存在します。
 こうした事象の一つ一つを丹念に調べ上げて作品化していくことが、今の児童文学作家には求められています。

赤毛のポチ (理論社名作の愛蔵版)
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理論社





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トンカツ、食べた。

2016-10-31 08:17:16 | キンドル本
 主人公は、中学受験に失敗します。
 自信があっただけに、不合格になって強いショックを受けた主人公を、おじいちゃんが相撲に誘ってくれます。
 本場所ではなく、引退する力士の断髪式の時に行われる相撲です。
 おじいちゃんは、両国の国技館まで、無料パスが使える都営バスや都営地下鉄を乗り継いで行きます。
 圧倒的な迫力のある相撲を見て、主人公は元気を取り戻していきます。
 おじいちゃんは、相撲の帰りに、浅草でおいしいトンカツを食べさせてくれました。
 主人公は、おじいちゃんの思いやりに励まされます。
 その翌日、主人公は学校へは行けましたが、不合格のショックからはまだ完全には立ち直っていません。
 その日の給食に、トンカツが出ました。
 おじいちゃんのことを思い出した主人公の取った行動とは?

 (下のバナーをクリックすると、スマホやタブレット端末やパソコンやKindle Unlimitedで読めます)。

トンカツ、食べた。
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平野 厚


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黒川博行「冬桜」左手首所収

2016-10-31 08:06:36 | 参考文献
 警察を装ってポーカーゲーム屋荒らしをしていた四人組が、闇カジノを襲って自滅する話です。
 設定もストーリーも人物像も雑で、やっつけ仕事の感はぬぐえません。
 発表媒体は大手出版社の中間誌なのですが、質的にはずいぶん低い感じです。
 日本のエンターテインメントは、大人向けも子ども向けも衰退しているのかもしれません。

左手首 (新潮文庫)
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新潮社
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