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現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

宮沢賢治「セロひきのゴーシュ」講談社版少年少女世界文学全集49現代日本童話集所収

2021-04-12 13:04:49 | 作品論

 賢治の作品の中では、比較的後期に書かれたとされている作品です。
 後期の作品の特徴としては、初期の「やまなし」のような詩的な作品から、しだいに骨格のはっきりした散文的な作品が増えたことがあげられます。
 それに連れて、作品の長さも、掌編からこの作品のような短編、さらには中編、そして、「風の又三郎」や「銀河鉄道の夜」のような長編が増えていきます。
 この作品も、子ども読者が大好きな繰り返しの手法を使って、起承転結のはっきりしたお話に仕上げています。
 登場する動物たちが人間の言葉で話すのも、単なるお伽噺的なメルフェンではなく、その背後にファンタジー的な確固たる動物たちの世界が広がっていることが感じられて、時間を超えて現代の子ども読者をも魅了する作品になっています。
 また、この作品は、ゴーシュの成長物語と読むことができます。
 それは、三毛ねこ、かっこう、たぬきの子、野ねずみの母子と練習を重ねるうちに、音楽の腕前が上がっただけでなく、その態度に人間的な成長がはっきりと見られます。
 それゆえに、ラストの演奏会で、いつもゴーシュを叱っていた楽長だけでなく、他の楽員までもが、彼に刮目するようになる訳です。
 そういった意味では、児童文学研究者の宮川健郎がまとめた現代児童文学の三要件(詳しくは関連する記事を参照してください)である、「散文性の獲得」(非常に論理的でしっかり物語を構築できる文章力を持ち)、「子どもへの関心」(子ども読者の興味をひく手法や題材を使用した)、「変革の意志」(ゴーシュの音楽的、人間的成長を描いた物語)をすでに兼ね備えたことになります(カッコ内はこの作品での実現状況です)。
 それゆえ、この本に載っている多くの作品が、歴史の中で淘汰されてしまったにもかかわらず、賢治作品が今でも多くの読者を獲得しているのでしょう。


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舟崎靖子「とべないカラスととばないカラス」

2021-03-22 13:58:34 | 作品論

 作者と飼っていた四羽のカラスとの交流を描いた作品です。
 児童文学評論家の藤田のぼるは「「現代児童文学史ノートその5」日本児童文学2013年9-10月号所収、(その記事を参考にしてください)」の中で、長い引用も含めてかなりの紙数を割いて取り上げ、八十年代の児童文学の変化を示す例として以下のように述べています。
「いささか強引な説明になるが、このカラスと作者の関係を、子どもと(児童文学の)作者というふうに置き換えてみる。子どもに仮託しつつ、子ども自体の姿をも受け入れ、描いていく。この自在さというか、壁の薄さというかは、六〇年代はもちろん、七〇年代の先にあげたような小説的な作品とも一線を画すものだった。それを象徴するものとして端書きを引用したのだが、六〇年代、七〇年代の児童文学が前提としている「子ども」観との違い、大人と子どもとの関係性ということの捉え方の違い、ということがそこにはある。ある意味で子どもというものを疑い、一方で子どもというものを信頼している。そうしたありようの上で、この作品はぎりぎりのところで児童文学として成立しているように思えた。こうした説明では、うまく伝わらないだろうが、この路線の上に八〇年代末に登場した石井睦美や江國香織を置けば、ある程度イメージしてもらえるのではないか。」
 しかし、この作品はタイトルは思わせぶりですが、藤田が言うようなたいそうなものではなく、「動物と人間のふれあいをとおして、命の尊さを語り、子どもたちに生き物を大切にする心を養います。」という教育的配慮のもとに企画された「わたしの動物記」という、当時の一線の児童文学作家に依頼されたシリーズものの一冊でしかありません。
 作者たちも気楽に書いたと思いますし、あまり評判にもならなかったシリーズだったと思われます。
 作者ならば他にもっと重要な作品がありますし、八十年代の代表作として取り上げるならば他にもっと適当な作品がたくさんあります。
 しいていえば、この時期(八十年代中ごろ)の児童文学の多様性を示すとともに、児童文学の読者が子どもから若い女性たちに広がってきたことを示す作品なのかもしれませんが。

とべないカラスととばないカラス (1984年) (わたしの動物記)
クリエーター情報なし
ポプラ社
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森 忠明「ローン・レンジャーの思い出」

2021-02-14 13:22:27 | 作品論

 1994年に出版された、転校してしまった四年三組のクラスメイトだった二人の男の子の思い出を語る話ですが、実際はいつものように保育園の時に脳腫瘍で早逝してしまった姉への思いを綴っています。 
 作者は1970年代にデビューしたころは、小学校のころの体験に基づいた「きみもサヨナラ族か」(その記事を参照してください)や「花をくわえてどこへいく」(その記事を参照してください)などで、そのころ子どもたちの間でも一般化しつつあった現代的不幸(生きていくことのリアリティの希薄さ、アイデンティティの喪失など)を先取りした作品で注目されました。
 早熟だった作者は、自身の小学校時代である1950年代にそれらを実感していたのでしょう。
 その後、作品の時代設定を執筆時現在にした作品を苦労して書いていましたが、あまりうまくいきませんでした。
 そのため、開き直って、またこの作品のように自分の小学校時代の頃のことを書くようになります。
 しかし、さすがにそのころは時代のギャップが大きかったようです。
 この作品に登場する、テレビ西部劇の「ローン・レンジャー」、西部劇映画の「ほこりたかき男」、シスターボーイの丸山明弘(今の美輪明弘のことで女性的な美少年で有名でした)などは、出版当時でも読者にはチンプンカンプンでしたでしょう。
 90年代に入って、どの本もほとんど売れなくなったのにまだ本が出ていたのは、各出版社に熱狂的な森ファンがいたからで、彼らは(実は私自身もそうなのですが)こういった作品でも作者の作品は大好きなのです。
 その頃児童書の編集者をしていた私の友人もそんな一人で、1997年に「グリーン・アイズ」という本を担当して、あとがきに作者が彼女宛の謝辞を述べています。

ローン・レンジャーの思い出 (ぶんけい童話館)
クリエーター情報なし
文溪堂
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E.L.カニグズバーグ「ジョゴンダ夫人の肖像」

2021-02-13 12:39:20 | 作品論

 現代の子どもたちが抱える様々な問題を、豊かなストーリーにのせて描く作者としては、異色の作品です。

 世界一有名な絵画といってもいいレオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」誕生の秘密を、独自の解釈とストーリー展開で描いています。

 大枠では史実に基づいていますが、そこに作家としての大胆なストーリーを組み立てています。

 結論から言うと、「モナ・リザ」は、レオナルドと、その最年少の弟子であるサライ、それに早世したミラノ公妃ベアトリチェとの間に生まれた、友情とも愛情とも言える関係の賜物だとしています。

 泥棒で嘘つきだが何事にも捕われない美少年サライ、姉のような美貌に恵まれずに内面の美しさを磨いたベアトリチェが、宮廷や大金持ちのパトロンたちのための仕事に倦んでいたレオナルドに、荒々しい創造の力を蘇らせ、それが名もない商人の妻の肖像画に結実したと言うのが、自身画家でもある作者(自分の作品の挿絵も描いています)の結論のようです。

 そして、そのことが、現実に縛られている大人に対するアンチテーゼとしての子どもの存在の大切さを示すと同時に、子どもたちにいつまでもこうした現実に捕われない生き方をすることを指し示しているように思われます。

 

 

 

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J.D.サリンジャー「ヴァリオーニ兄弟」角川文庫版「倒錯の森」所収

2021-02-01 17:35:41 | 作品論

 1943年、サリンジャーが24歳の時に、「サタデー・イブニング・ポスト」に掲載された短編です。
 1920年代のシカゴの退廃した雰囲気(アル・カポネがギャングの帝王として君臨した禁酒法時代)を背景にして、ポピュラー音楽業界(ジャズ、歌謡曲、リズムなど)に彗星のごとく現れたヴァリオーニ兄弟(兄が作曲家(ピアノの名手)で、弟が作詞家(大学の教師で作家としての優れた才能を持っています))の栄光と悲劇を、17年後に彼らを良く知る女性(弟の大学での教え子で恋人)の目を通して描いています。
 現代の読者にとっては、芸術至上主義(しかも、作家(詩人、小説家)を、流行曲の作詞家よりも、比べ物にならないほど価値があるとしています)が鼻につくかもしれませんが、一度でも作品を書いた経験のある人間にとっては、非常に甘美な魅力を持った作品です。
 兄の成功のために一時的に自分の夢を留保して協力する弟。
 派手でギャンブル好きで自分の成功のために弟を手放さない兄。
 兄がギャンブルをめぐってギャングともめたためにおくられた殺し屋に、兄と間違えられて殺された弟。
 17年後、すっかり落ちぶれて住むところもなくなったが、弟の遺稿の長編小説(すでに完成されていたが清書(タイピング)されていません)をタイプして世に出そうとしている兄。
 そんな兄を許して援助する弟の恋人と恩師。
 ベタなストーリーなのですが、20代前半とは思えないサリンジャーの才筆(冒頭のコラムの利用による簡潔で要を得た状況説明、場面転換のうまさ、しゃれた会話、それらしいヒット曲の題名など)が、凡百な作品になることを救っています。

 

 

 

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J.D.サリンジャー「週に一度ならどうってことないよ」若者たち所収

2021-01-30 13:30:52 | 作品論

 これも、サリンジャーの戦争体験に基づいた作品の一つです。
 出征当日の朝に、若い妻に自分のおばさん(少し精神か知的な面に異常があるようです)の面倒(週に一度は映画に連れて行ってやって欲しい)を見てくれるように頼み、おばさんにもそれを伝えます。
 正直言って、頼りない二人(おばさんだけでなく妻も)なのですが、それゆえ、これから戦地に向かうにもかかわらず、二人の関係を心配して、同じことを繰り返し二人に言っている主人公の優しさが、さりげなく表現されている作品です。

サリンジャー選集(2) 若者たち〈短編集1〉
クリエーター情報なし
荒地出版社
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J.D.サリンジャー「ソフト・ボイルド派の曹長」若者たち所収

2021-01-29 16:18:28 | 作品論

 サリンジャーの戦争体験を生かした作品群のうちのひとつです。
 戦争映画(ハンサムな主人公がカッコよく死んで、きれいな恋人や市長や時には大統領までが出席している盛大な葬式が執り行われます)がいかに嘘っぱちで、実際のヒーローは、ぶさいくで背が低くて声も悪く、まわりから少しもヒーロー扱いされず、特に女の子には絶対にもてないタイプだと、強く主張します。
 18歳だと偽って16歳で入隊して、まわりのタフそうな大人たちに囲まれて、途方に暮れていた新兵だった主人公に優しくしてくれたそんなもてないタイプだった上官(その時は見習曹長で、後に戦死する時には曹長に昇進しています)の死を告げた手紙を、妻に読んで聞かせます。
 曹長は、下着姿で泣いている少年に、ハンカチにくるんであった自分のたくさんの勲章(中には、少年でも知っているようなすごい勲章もありました)を下着のシャツに全部つけさせて、その上に上着を着させると、まだ外出許可がもらえない少年のために、あっという間に外出許可を取ってくれて、映画(チャップリン物)とレストラン(自分は少しも食べずに、少年にたらふく食べさせてくれます)へ連れて行ってくれます。
 その時、曹長は手ひどい失恋中(好きだった赤毛の女の子(映画館で偶然出会ってしまいます)が他の奴(おそらくハンサムなかっこいい男)と結婚してしまったばかりです)だったにも関わらず、少年にやさしくしてくれたのでした。
 曹長は、日本の真珠湾攻撃の時に、無謀にも食堂の大型冷蔵庫に隠れてしまった二等兵三人を、みんながとめるのも聞かずに安全な退避壕から出ていってて救った時に、ゼロ戦に機銃掃射されて無残な姿で戦死します。
 サリンジャー自身は、著書の写真で見るように長身でハンサムな、ホールデン・コールフィールド(「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)の主人公)のように女の子たちにもてたようなのですが、こうした女の子たちには絶対もてない、でも「男の中の男」のような登場人物(例えば、「笑い男」(その記事を参照してください)の団長)が大好きなようです。
 この作品では、さらに仕掛けがあって、こうした話を聞いて泣いてくれるようなありきたりでない女(妻のこと)と結婚するべきだと強く主張して、男性読者たちを二重にしびれさせます。

サリンジャー選集(2) 若者たち〈短編集1〉
クリエーター情報なし
荒地出版社
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宮沢賢治「水仙月の四日」注文の多い料理店所収

2021-01-29 16:00:34 | 作品論

 賢治の数多くの短編の中でも、雪の世界を美しく描いた作品としては、「雪渡り」と共に双璧でしょう。
 描写自体もこの世のものと思えないほど美しいのですが、雪の中で行き倒れた子どもを救おうとする雪童子の心の美しさもそれに負けていません。
 水仙月とは賢治の作った造語なのですが、イーハトーブ(岩手県)で水仙が咲き始める時期とすると、三月から四月ごろでしょうか。
 待ち遠しかった春はもうすぐです。

注文の多い料理店 (新潮文庫)
クリエーター情報なし
新潮社
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J.D.サリンジャー「ある歩兵にかんする個人的な覚え書き」若者たち所収

2021-01-28 17:02:47 | 作品論

 「こつはちゃんと」(その記事を参照してください)と同様の軍隊物の掌編です。
 運動不足で腹が出始めている中年男性(四十代半ばのようです)が、陸軍に志願してくる話です。
 彼には二人の息子がいて、兄は陸軍、弟は海軍(真珠湾で片腕を失っています)にいるのですが、自分も志願することにしたのです。
 妻や直接彼の志願を受けた軍関係者(後で誰かは分かります)の反対を押し切って入隊し、厳しい訓練にも耐えて軍隊に順応して、体も見違えるほどに引き締まります。
 軍隊はなるべく彼を戦地におくらないように配慮するのですが、軍曹にまで昇進してとうとう外地へ出発します。
 出発する時には、二人の息子(弟は海軍少尉(戦傷により特進したのかもしれません)で、兄もはっきりとは書いてありませんがさらに上級の士官のようです)に見送られます。
 そう、最初に彼の志願を受け付けたのは、彼の上の息子だったのです。
 これも、「こつはちゃんと」と同様に、はっきりとしたオチのある非常に技巧的な作品です。
 ここでも、サリンジャーは、軍隊や戦争に対して賛美はしていませんが、批判的でもありません。
 この作品が雑誌に発表されたのが真珠湾攻撃後の1942年であることを考えると、当時のアメリカの若者たち(サリンジャーはこの時23歳で自身もこの年に徴兵されています)の軍隊に対する平均的な気持ちを反映しているのかもしれません。

サリンジャー選集(2) 若者たち〈短編集1〉
クリエーター情報なし
荒地出版社

 

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J.D.サリンジャー「途切れた物語の心」若者たち所収

2021-01-26 17:38:35 | 作品論

 ここで、サリンジャーは「若い男が若い女と出会う」物語(いわゆるA boy meets a girl的物語ですね)で、二人の出会いをどのように書くかで悩む作家を描いています。
 三文ドラマ的なくだらない出会いのパターンをいくつか紹介しながら、だんだん現実的な出会いを描いていきますが、最後は実際にはそんな理想の女の子に出会っても一瞬の心の動きだけで行動にはつながらず、しばらくの間はその女の子は心の中に残っているが、やがて日常の中に埋没してしまうと述べています。
 まさに、現実(自分の経験も含めて)はサリンジャーの言う通りなのですが、それだからこそ「若い男が若い女と出会う」物語(最近はその逆の「若い女が若い男に出会う」物語の方が多いかもしれません)は、今でも小説やマンガや映画やテレビドラマやアニメやゲームなど(その大半は三文ドラマだとしても)でたくさん描かれているのでしょう。

サリンジャー選集(2) 若者たち〈短編集1〉
クリエーター情報なし
荒地出版社
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J.D.サリンジャー「こつはちゃんと」若者たち所収

2021-01-26 17:36:56 | 作品論

 不器用で軍隊生活に適応できない新兵を描いた掌編です。
 1917年に新兵だったバビは、何をやらせても失敗続きで、担当の軍曹に絞られます(当時のアメリカの軍隊は日本ほどには非人道的ではなかったかもしれませんが、暴力が振るわれたこともほのめかされています)。
 しかし、バビはそのたびに「こつはちゃっと覚えます」と答えて、「軍隊が好きなので、いつかは大佐か何かになって見せます」と宣言します。
 数十年後の新兵のハリも、バビとそっくりの不器用さで、へまばかりして曹長にしごかれています。
 その曹長は、ハリの父親である大佐にハリの可能性を問われて、「まったく見込みがありません」と答えます。
 この大佐が、1917年の新兵であったバビで、予言通りに大佐になったのかどうかは書かれていません。
 解説を読むと、研究者の間でも意見が分かれているようです。
 しかし、ここは素直にバビであったと読む方が自然なように思えます。
 新兵教育(あるいは教育一般)に対する皮肉を、ユーモアをこめて書いた掌編でしょう。
 児童文学でお馴染みの繰り返しの手法を用いて、物語の効果をあげています。
 サリンジャーの軍隊物は、彼の作品群の中ではそれほど優れていませんし重要でもありませんが、彼の軍隊生活や戦争体験が彼の創作に対して大きな影響を与えていることは間違いないでしょう。

サリンジャー選集(2) 若者たち〈短編集1〉
クリエーター情報なし
荒地出版社
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J.D.サリンジャー「ロウイス・タギトの長いお目見え」若者たち所収

2021-01-26 17:33:51 | 作品論

 裕福な家庭に育った女性が、社交界にデビューしてからの目まぐるしい変遷を淡々と描いています。
 社交界の花形、結婚、新婚生活、精神を病んだ夫の暴力による離婚、社交界への再デビュー、二度目の結婚、口やかましい世話女房への変身、結婚生活に飽きて映画とショッピングと女友だちとのくだらないおしゃべりで暇をつぶす若い有閑マダム、新しい命を授かりみんなに大事にされる妊婦、赤ちゃんに夢中の新米ママ、その赤ちゃんを失った不幸な女性として再び社交界で注目される存在になり、最期に諦念から愛していない夫も含めてすべてを無感情に受け入れるようになった女性になります。
 こうした若い女性の遍歴を短い紙数で描ききった腕前も驚異的ですが、この作品を雑誌に発表した時のサリンジャーが弱冠二十三歳だったことにも驚かされます。
 彼が、いかに周囲の同世代の男女をさめた老成した眼で眺めていたかがよくわかります。

サリンジャー選集(2) 若者たち〈短編集1〉
クリエーター情報なし
荒地出版社
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J.D.サリンジャー「若者たち」若者たち所収

2021-01-26 17:32:39 | 作品論

 サリンジャーが21歳の時に、発表したデビュー作品(1940年)です。
 パーティで出会った、あまり魅力的でない女の子と、これまたパッとしない男の子の一瞬の出会いと別れを描いています。
 女の子は魅力的だった年上のモト彼(たぶん彼女の一方的な思い込みでしょう)のことを話しますし、男の子は部屋の向こう側で男の子たちに囲まれている小柄なブロンド美人が気にかかっていて会話中も気がそぞろです。
 ストーリーらしいストーリーはないのですが、当時の若者たちを、彼らの使う若者言葉で描いたところが、それまでの文学にない魅力だったのでしょう。
 この手法は、1951年に出版されて世界的な(特に日本では人気が高いです)ベストセラーになった「キャッチャー・イン・ザ・ライ」(その記事を参照してください)で大きく開花して、サリンジャーの名前を不滅なものにしました。
 ところで、この本を初めて読んだ大学生の時には、主人公の女の子のことを読んで「壁の花」と言う言葉を思い浮かべました。
 そのころには、まだダンパ(ダンスパーティのことで、まだディスコがあまりなく、学生グループが自分たちで場所を借りて開いていました)というものがあったのですが、そこで魅力のない女の子たちは壁の花(男の子が誰もダンスに誘ってくれなくて、ずっと壁際に立っているからです)と呼ばれていたのです。
 もちろん、いくら女の子を誘っても一緒に踊ってもらえない、さえない男の子たちもたくさんいました(私自身にも苦い思い出があります)。
 それから40年以上がたちますが、今でもいわゆる婚活パーティなどで、同様の苦い経験をしている女の子たちや男の子たちはたくさんいることでしょう。
 そういった意味では、この作品で描かれた二人は、時代を超えた「若者たち」のある典型なのです。

サリンジャー選集(2) 若者たち〈短編集1〉
クリエーター情報なし
荒地出版社
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江國香織「子供たちの晩餐」温かなお皿所収

2021-01-18 21:14:07 | 作品論

 1993年6月初版の短編集の中の一編です。
 ママとパパが外出するので、四人の子供たちだけで夕食をすることになります。
 いつでも用意周到なママは、もちろん夕食を用意しています。
 チキンソテーとつけあわせのにんじんとほうれん草(子どもそれぞれに合わせて量が調整してあります)、サラダとレモンジュース、パンとりんごで、今日も栄養のバランスは完璧です。
 しかし、六時になると、四人は庭に穴を掘り用意してあった夕食を埋めます。
 そして、小遣いを出し合って準備しておいた「晩餐」をします。
 彼らが禁止されていてそれゆえ憧れていた食べ物、カップラーメン、派手なオレンジ色のソーセージ、ふわふわのミルクせんべいと梅ジャム、コンビニエンスストアの正三角形の大きなおむすび、生クリームがいっぱいの百円で売っているジャンボシュークリーム、それに飲み物は水に溶かす粉末ジュースです。
 これらを、好きな場所で、好きなだけ食べたり飲んだりして満足感を感じたのです。
 児童文学研究者の石井直人は、「現代児童文学の条件」(「研究 日本の児童文学 4 現代児童文学の可能性」所収、内容についてはそれについての記事を参照してください)において、この作品を山中恒の「ぼくがぼくであること」と並べて、「グレードやスタイルがちがうけれども、読者にとっては、「離婚児童文学(注:石井は岩瀬成子「朝はだんだん見えてくる」、末吉暁子「星に帰った少女」、今江祥智「優しさごっこ」、ワジム・フロロフ「愛について」を例に挙げています)」と同じようにはたらくにちがいない。」と述べています。
 おそらく石井は、管理主義の両親への子どもたちの反乱としてこの作品を捉えているのでしょうが、そんなごたいそうなものではありません。
 現代児童文学史において重要な位置を占めている山中恒の「ぼくがぼくであること」とこの作品を並べているのは、買いかぶりが過ぎます。
 だいいち、ここで子供たちが食べている物は、1993年当時でも普通の子供たちの常食ばかりなので、これに憧れる子どもたちというのはかなり特殊な環境で育っているとしか言いようがなく、普通の生活をしている読者たちにはまるでピンときません。
 あるいは、江國香織自身がこれらの食べ物が禁止されるほどのお嬢様育ち(もしかすると石井直人も同じようなお坊ちゃま育ち)なのかもしれませんが、一般の読者たちにとってはとても子どもたちの行動にシンパシーが持てないので、他の「離婚児童文学」のような働きは期待できません。
 この作品に対する妥当な評価は、才気あふれる作者のちょっとした思い付きによる小品といったところだと思います。

温かなお皿 (メルヘン共和国)
クリエーター情報なし
理論社
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皿海達哉「野口くんの勉強部屋」野口くんの勉強部屋所収

2021-01-07 13:26:37 | 作品論

 主人公のぼくは小学校六年生です。
 放課後に、友だちと六人で原っぱで楽しく草野球をやっています。
 ある日、ホームランをかっとばした野口くんの打球が、他の本と一緒に捨ててあった「野口英世」の伝記に命中します。
 その本を読んだ野口くんは、草野球をやめて一生懸命勉強をして野口英世のような医者になると言いだします。
 野口くんの草野球仲間を抜ける意思がかたい事を知って、おとうさんがいなくて貧しく自分の部屋を持っていない野口くんのために、ぼくたちは材料を持ち寄って野口くんの家の縁側に手作りの勉強部屋を作ります。
 その後、野口くんが抜けてもぼくたちの草野球は楽しく続きます。
 茂くんが、当時のアイドルグループのキャンディーズのセンターをやっていた伊藤蘭に似ているためランちゃんと呼ばれている、水島加代子さんを連れてきたからです。
 初めは応援しているだけだったランちゃんが、それまで一塁ベースだった電柱の代わりになります。
 そのため、みんなはますます草野球に夢中になります。
 なにしろ、みんなはヒットを打つたびにランちゃんにタッチできるからです。
 しかし、ぼくは、ランちゃんの表情や態度が茂くんの時だけ違うことに気が付いてしまいます。
 ランちゃんは、茂くんだけを目当てに草野球に参加していたのです。
 ぼくには、楽しかった草野球が急に色あせて見えます。
 そうこうしているうちに、茂くんも塾へ通うことを口実に(実はランちゃんと同じスイミング・スクールに入ったのです)、草野球の仲間から抜けます。
 その後も、次々に塾へ入るものが続いて、草野球仲間が減っていきます。
 ある日、ぼくは、野口くんの家が本格的な改築をはじめて、ぼくたちが作った「野口くんの勉強部屋」が取り壊されることに気がつきます。
 野口くんが一所懸命勉強をするのを見て、おかあさんも応援する覚悟を決めたのでしょう。
 その時、野口くんのホームランが野口英世の伝記にあたってそれで野口くんが勉強を始めたのは偶然ではなく、野口くん、そしてほかの仲間たちがあの楽しい草野球をやめる日が来たのは時の必然だったことに気がつきます。
 そして、ぼくも草野球をやめて、塾へ入りました。
 他の記事にも書きましたが、1984年の初めに日本文学者協会の合宿研究会に参加するために、私は1980年代初頭の現代日本児童文学を数十冊集中的に読んだことがありました。
 その中で一番衝撃を受けたのは那須正幹の「ぼくらは海へ」(その記事を参照してください)で、一番好きだったのはこの「野口くんの勉強部屋」(1981年4月1刷)でした。
 少年時代にサヨナラをする日を、これほど鮮やかに描いた日本児童文学を、私はそれまで知りませんでした(外国の作品では、ミルンの「プー横丁にたった家」やモルナールの「パール街の少年たち」のラストシーンが思い出されます)。
 私自身も、その後同じテーマでいくつかの短編を書きましたが、はたして「野口くんの勉強部屋」を超えられたかどうか、今でも確信は持てません。

野口くんの勉強べや (偕成社の創作)
クリエーター情報なし
偕成社
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