Fさん家に5時近くまで過ごし、いとまを請う。
マンションを出るときは単なる自動ドア。うまくできているものだ。
田舎暮らしには、えらく珍しく思える。<emoji code="a007" />
広場を右折すると道路の両側が観光バスの発着所。
バス待ちの中国の観光客がベンチに座って談笑している。
Fさん曰く「初め日本人だと思ったが、今は直ぐ中国人と見分けられるようになった』と。
少し行くと、アレ!
ハト?バスに踏まれたのか、姿も定かではない。振り返るものもなし・・・
すぐ隅田川の桜並木。
目を上げれば、スカイツリー。
もう東京タワーを越したという。ハトは今、この上を飛んでいるのかもしれない。
屋形船が上ってきた。
窓から歓声を上げているのは、中国の若者。
旅に出たらそういう気分になるものだ。
少し上には「こととい橋」。
『東京大空襲の時には、炎が真横に飛んできて橋の上で黒こげになったり、隅田川に飛び込んで亡くなったり、ここで2万人以上の人が犠牲になった。』とぽつり・・・
Fさんが15才の時だったそうだ。
それを聞いて思い出したのが、早乙女勝元さんの「ねこは生きていた」。
子どもたちに何度も読んでやったのだったと話すと、『彼は向こう岸に住んでいたの。慰霊の日にはきてもらっているよ。』と。
たくさんの歴史を抱えた浅草だと見直しながら行くと、
花の終わったヒガンバナの先の広場に5・6人のアマチュア楽団。
アコーディオン・ハーモニカ・ギター(2)・ベースそしてボーカルも。
脇には焼き芋屋さんもスタンバイ。
演奏が始まると、「あざみの歌」が始まるところ。
いっしょに歌う人、体をたたいて拍子をとる人、聞き入る人、
ホームレスと思われる人も、瞬時歌の中の、数十年前にひたった。
その後も懐メロが続くようだった。
心惹かれたが、帰り足。上野から新幹線で仙台へ。8時半には帰宅。
いい旅になった。<emoji code="a001" />