午後は、幼児と同じで「どこかに連れて行って~」と喉から手だ。
何もなければ、小便の連続・・・まいっちゃうよ~
イライラするので、今日は妻の実家があった海辺の被災地へ。
先月に比べるとダンプの通行量は半減して走りやすくなっていた。
特に目当てはないので、磯浜漁港へまわる。
漁港前の堤防工事はまだ続いていたが、年内には終わりそうだ。

浜の畑に来て海岸線(堤防─波打ちぎわは見えない)を見渡すと

12夜の月が東の空に昇ってきていた。
緊迫化する「辺野古新基地闘争」
hiryu4398さんのブログは、琉球新報の社説を取り上げ、“国家権力が国民を弾圧”の警鐘を鳴らしていました。
アベ首相は外遊の連続で、国民の苦しみは分かろうとしないようです。紹介します。
琉球新報
<社説>苛烈な辺野古警備 市民の命危険にさらすな
2015年11月23日 06:02
「国家権力が牙をむく」と形容するしかない事態である。
名護市辺野古への新基地建設をめぐり、キャンプ・シュワブのゲート前や大浦湾の埋め立て予定海域
で、抗議する市民の側にけが人が相次いでいる。
まず、確認しておこう。
今、全国で市民の非暴力の抵抗に対し、警察や海上保安庁の警備要員が連日投入されている現場は名護市辺野古と周辺海域しかない。新基地建設にあらがう市民社会の行動を、屈強な体力と装備を備えた要員が押さえ込み、危険にさらしている。
沖縄の民意を一顧だにせず、10月29日に本体工事に着手した安倍政権の強硬姿勢が第1の要因だ。
「弾圧」という言葉を用いても言い過ぎではあるまい。このままでは命に関わる重大事態が生じかねない。県警と海上保安庁は人権を侵害する行き過ぎた警備を即刻改め、現場から撤収すべきだ。
4日に「鬼」「疾風」などのたけだけしい異名を冠された警視庁機動隊の精鋭部隊が投入されて以来、力ずくで市民の身体の自由を奪う警備が苛烈になっている。警視庁に触発されたのか、海保の海上での警備も乱暴さを増している。
「海保拘束後に嘔吐(おうと)」「市民、骨折の可能性 機動隊に押され」「海保首絞め男性重傷」。19~21日の本紙朝刊の見出しを並べると、3日連続で身体的被害が生じる事案が起き、状況は悪化している。
18日の大浦湾で、海上保安官に4人がかりで押さえ付けられた抗議船長の意識がもうろうとなり、搬送中の救急車内で嘔吐した。19日には作業車両前に立ちはだかった男性が機動隊員に押され、肋骨(ろっこつ)骨折の疑いがあるけがを負った。
大浦湾の海上でカヌーに乗って抗議していた男性を拘束した海上保安官に首を絞められ、頸椎(けいつい)捻挫のけがを負ったのは20日だ。複数の目撃者によると、首を絞めたとされる保安官は18日に抗議船長を拘束したメンバーの一人だ。冷静さを欠き、感情を荒立てて市民にぶつかる要員を統率できていないのではないか。
ゲート前に結集し、海上に出る市民は、主権者として理不尽な基地押し付けにあらがっている。選挙で示された民意を踏まえ、民主主義を体現する行動には正当性がある。それを組み敷く過剰警備が続けば、新基地にあらがう沖縄の民意は一層高まり、不屈の意思が強まることを安倍政権は自覚すべきだ。
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住民懇談会で町の担当者が
『危ないものですから 大事にしまっておいて下さい』
と(得意気に)言っていた“マイナンバー”が届いた。
秋の日はつるべ落とし。
玄関に懐中電灯の丸い灯が映る。
何事かと戸を開けると「判子かサインをおねがいします」と郵便配達。
しかたがない。
「はい、サイン」
「待ってたよ 拒否したいんだけど・・・」
妻のと二人分を受け取る。
さっそく扶養申告書に記入。
書類が見つからなくなる前に・・・
昨日は、朝から妻を同伴して「社保協の自治体キャラバン」に参加。
<自治体への要請項目>
1 東日本大震災被災者に対する医療費・介護に関すること
2 国民健康保険に関すること
3 介護保険に関すること
4 後期高齢者医療制度に関すること
5 子ども医療助成制度に関すること
6 保育に関すること
7 ライフラインおよび生活保護に関すること+就学援助の認定基 準引き下げ
8 障害福祉にかくあること
皮切りは「川崎町」・・・不十分ながらも誠意のある対応であった
次は「村田町」・・・上から目線の冷たさを感じた
本日の最後はわが「柴田町」・・・町長自らも出席し答弁
私の質問:生活保護費の基準引き下げがなされ、就学援助の認定基準を引き下げ援助が受けにくくなっ
た全国27自治体(文科省調査による)の一つとして報道されたが?
(私は11月1日の商工新聞で知った)
町 長:住民懇談会で朝日に載ったと聞いて驚いた。あれは事実ではない。答え方か 捉え方かが間違った
ようだ。今までと変わらない。間違った情報に困っている。惑わされないでほしい。
とつくろった。
(住民懇談でも、いろいろな誤報道に困っている。事実を知ってほしいと繰り返していた。)
今日は、「大河原町」と「丸森町」
19日は、「蔵王町」・「白石市」・「七ヶ宿町」
20日が、「角田市」
以上の2市7町が仙南のテリトリーである。
山場は「白石市」か? しかし、県生連の理事会で出られず。
きょう3時から“宮城県生活と健康を守る会”は県と
5月に「生活保護費の値下げは納得できない」と保護費削減に対する不服申し立て(審査請求)をした。
知事からは「棄却」の返事。
それに対して「反論書」を提出し、口頭意見陳述を行うことになった。
我が支部からはNさんが発言することになったが、急遽健康診断をすることになり私が代理発表をする。
県生連は15人が参加し、10人が発表した。
交渉ではないので言いっぱなし聞きっぱなしだが、生保者の実態を生で訴えるのはこんなときしかないのだ。
憲法25条の「人らしく生きる」ことができません
私は仙南生健会のNといいます。80才です。
今、町営住宅に一人で住んでいます。
生きていると、いつ何が起きるかわかりません。
※今年の春、たまたま通りかかった知人から「ついでに乗せていくから」って声をかけられ、
好意で乗せられたと思い、断るのも悪いのでついつい甘えて数回乗せてもらいま した。
ところが2・3ヶ月後に、ガソリン代4万円を請求されビックリしました。
払えないと困っていたら、弁護士を紹介してもらって何とか示談できましたが、その間私
の友達や知り合いのところに「あの人は生活保護を受けていて・・・」と言いふらされて付
き合ってもらえない人がでてきました。信用がなくなったのです。人間不信になりました。
食事を2食にへらしたり、会食などのお誘いは全部断って、やっとの思いで払いました。
憲法25条があるのに、貧乏であるということで、こんなにみじめな思いをせねばならない
のかとホントニくやしい思いをしました。
※一難さって また一難
9月に、東京に住んでいる娘が重体になったという連絡が入りました。
飛んでいきたくても、交通費がありません。
子どもたちに相談しても、自分の生活が精一いっぱいで、親の面倒まで見てもらえません。
どうしようもなくて、生健会に相談し 何とか娘に会うことができました。
※友達付き合いも、近所付き合いもできず、冠婚葬祭なんてもってのほかです。
家族付き合いまでもできないのです!
80になって、こんな状態が続くのかと思うと情けなくなります。お先 真っ暗です。
ぜいたくは望みません、残された人生を心配しなくてすごせるようにしてほしいのです。
<5日のこと>
「どこかに出かけたい」と妻の声。
昨日、妻のデイサービスはお休み。
川崎町の酪農家Kさんに用がある。ついでに紅葉見物でも、と午後お出かけに。
途中「おしっこ!」と言うので、川崎町の「こころ病院」に入って用を足させる。
先ず北蔵王の山を楽しんでからと山形との県境“笹谷”の集落を目指して上る。
しばらく行くと野上(のじょう)集落。その中間あたりで赤い旗と棒を持った男がおいでおいでをしている。
一瞬???と思ったが、警察官だ。
スピードは出していないのに?と助手席の妻を見ると、
アッまただ!シートベルトをしていない<emoji code="a006" />
「シートベルトッ!」と指示したが間に合わない。
急いで小便させて、ほっとして、確認を忘れてしまったのだ<emoji code="a004" />
このバカヤロウ!“また国家権力に頭を抑えられるのか”と腹が立つ<emoji code="a003" />
ゲンコツの二つ三つもやりたくなるくらい情けない。
これで3回目だ!<emoji code="a003" />
「ごめんなさい」と謝っても、ものの500mも走ったら、今のことは妻の頭から消えてしまうのだ。
すぐ、目の前にはすばらしい紅葉の山が広がるが、後味が悪いので素直に感嘆の言葉が出ない。
ああ、これも情けない。
そこから5分も行くとコナラの紅葉。
通称X橋の両岸は岩の山。
岩山の中は、伊達政宗の時代から太平洋戦争にかけて銅鉱石を掘り出していたと聞く。
友達が経営している「釣堀」は前日に営業を終わっていた。
国道286号から林道を3キロほど入ったところにある人気の釣堀だ。
周りの山々は燃えている。
“笹谷”は落葉が進んでいた。右上に飛行雲も。
集落の入り口に立つお地蔵さんに、さっきのネズミ捕りを払ってもらった。
スッキリとはいかないがKさん家目ざして来た道を下る。
“野上”では、まだネズミ捕りをやっていて、女の人が捕まっていた。
こんな方法は国民をダメにすると思っているので、対向車にパッシングをしながら下った。
Kさんから、生活困窮の人たち用に軽トラ1台分のカボチャをいただいて帰った。