我々が成仏、というと、死んだ人が安らかに天に昇っていくシーンの他、よく時代劇などのフィクション作品もので、世間に対する恨みつらみが残って、八つ当たり的に怨念をまきちらす怨霊がいて、それに対し、「成仏してくれ~!! 」と懇願するシーンも思い浮かべるのではないのだろうか。一般的にはこうした感覚もある、ということを前提にして話を進める。
そもそも成仏とは何か。
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じょうぶつ【成仏】の意味 - goo国語辞書
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/109984/meaning/m0u/
[名](スル)仏語。
1 煩悩 (ぼんのう) を断ち、無上の悟りを開くこと。
2 死んで、この世に未練を残さず仏となること。また、死ぬこと。「安らかに―する」
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ということで一般的には上記2の意味で使われる。
そしておおよその場合、生きている現世の人間は「未練を残さず」ということを死者に望んではいるものの、上述のように、いささか乱暴に「何でもいいからおさまってくれ」と怨霊の言いたいことも聞かずに自分の都合だけで「この災害が収まってくれりゃ何でもいい」というような形で言うケースもあったりするような気もする。
つまりは「成仏してくれ~!! 」は「消滅してくれ~!! 」とほぼ同義なので、相手(怨霊)の言い分とか、あるいは未練の消化だとか全く関係が無い。
ということで、この意味で成仏と言う言葉が誤った形で使用されているようにも思う。
成仏とは仏に成るということで、魂の未練がなくなり、欠損や不満が無くなり、精神的に完成することが目的であるのだから、怨霊の言うこともちょっとは聞いてやってもいいんじゃないのか。
とは言え、怨霊側にもただの勘違いだとか、あるいは単に悪さをしているだけの場合もあったりするかもしれないから、そういったものは問答無用で打ち払った方がいいようにも思う。しかし、要は、怨霊だとか悪霊とかでも、元は人であって、そうした悪さをするのにも何らかの理由があるのだから、成仏とか言う言葉を使うくらいなら話を聞いてやってもいいんじゃないのかね、とも思うのだが私の考え方は間違っているのだろうか。
そう、タチの悪い悪霊とかなら、封印とか滅殺とかいろいろあるでしょうから、そうした方がいいように思うが、成仏は安易に使ってくれるなとは思う。
あと怨霊も怨霊で、訴えたいことがあるだろうに、何で人に迷惑ばかりかけてそういう主張をするんだろうね、とは思うのですよ。
ん? だから怨霊というくくりなのか? ともあれ、成仏と言う言葉を生きている側の人間本位だけで使用するのは違和感がある。
元々同じ人間だったのだから、死んでももっと丁寧に扱われるべきだとは思うのだが、死んだら即座に邪魔者扱いで、即排除みたいな感じで感触悪い。