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とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

書籍の読中感想 社会学を中心に、数学、物理学、化学を踏まえて・・・

2016-11-06 23:41:40 | 哲学・学術・教育
通常は読後感想が常なのだけれども、その書籍の内容と自分の意見を比較したい時がある。そういう時には、事前に(書籍を読む前に)自分の考えを文章にまとめておくことも有効だ。
そうした自分の意見を一端纏めたりする場合には、読前感想なども書いたりする。


この派生であるのかもしれないが、読み途中の書籍の読中感想をやってみたい。

対象は「古市くん 社会学を学び直しなさい」である。
これのP132まで読んだ。


1.
共通した見解は、パーソンズやマルクスのグランドセオリーが崩れたので、崩壊後の個々事象の分析に皆向かっていること。
グランドセオリーとは、つまり何にでも利用できる一般理論のこと。
例えば、数学で言うと、円周率を計算したとすると、この円周率は地球上のいつ、どこで計算したとしても一定の解が導かれる。
当然だ。人間が認識する、宇宙の真理の一つだからだ。どのような状況であっても、人間にとって真理は万古不変で絶対不動、変化することのない揺ぎ無い法則である。

同様に、物理での第一宇宙速度は、発射角、発射方向、発射基地の位置緯度によって変化するかもしれないが、基本公式は変わらない。
化学では各電子殻に配置できる電子の数は決定しており、そこから動くことはない。それを使って、世界各地でセミコンダクターの集積回路が作られる。

だが社会学では? 人間はどう動く? 社会はどう形成される? 
自殺はどのような時に発生する? そしてそれを防ぐにはどうすればいい? 
あるいは富はどのように蓄積される? あるいは科学技術発展はどのような社会がしやすくなる? 
あるいは戦争はどのような時に発生する? その危険度を緩和するにはどうすればいい? 
外交はどのように締結すればいい? 短期的成功ではなく、長期的スパンにおいてどのようにすればいい? 
短期的成功であれば、ヴェルサイユ条約のクレマンソーの要求は、確かに成功であったかもしれないが、しかし結果として、長期的なスパンにおいてヒトラーを生むに至った。
すると、時系列に変化する社会において、どのような選択を、どのような分析を、どのような政治決定を、どのような報道をするのがベストなのか。
あるいは、あるいは、あるいは、あるいは、あるいは、あるいは、あるいは・・・。

先日私がここで言及した、「人間は個々のコンピュータと見做すことが出来、そしてそれが集合した時の動き、即ち社会的な動きという法則は、そのコンピュータである人間自身があまりよく分かっていない」というのが私の課題で、それが分かれば社会の一般理論、即ちグランドセオリーに直結するはずであった。

数学を振り返ってみよう。19世紀以前は、代数論、幾何論、整数、自然数、虚数、群論などなど、種種様々な数論は独立して確固とした地位を築いていたが、しかしそれは独立したままで互いに影響することはなかった。我々が代数幾何とセットで学んだり、あるいは縦横無尽に横断的に各論をまたいだ理解をする、という、今で言う当然のことは昔は行われていなかったのである。
これを統一しようとしたのがダッフィ・ヒルベルトのヒルベルトプログラムであった。数学の横断的グランド・セオリーである。
(しかしそれはゲーデルの不完全性定理によって否定される)。

社会学に戻る。
この私が上記で書いた、「社会がどう動くのかについて、社会を構成する人間自身そのものがあまりよく分かっていない」というのが分かっただけで、実態としてはその一般的性質が分かっていないのだ。
しかし、これが分かればグランドセオリーは統一されるのではないのか。それこそ数百年のスパンで。

であるから、上野千鶴子さんがこの本での対談の中において、現実的な選択をしなさいと正している(P81)のは違和感があった。
即ち数年スパンで出せる結論でないと個人業績として出ないから、人生を超えるような研究はしなさんな、ということである。
ただ、グランドセオリーであるならば、別に個人一人がやるのではなく、チーム研究で数世紀スパンで研究してもいいのではないのか。
さながら、1882年に着工しながら未だ建設を完了していないサグラダファミリアのように。
それこそが学問が本来追い求める姿なのではないのだろうか。

間違っていてもいいから、情報集約的論を構築して、銀河の中心のように何となく中心軸を作り、そこから各論を修正・補正していく。
このアプローチは間違っているか。


2.
私がこの本をここまで読んで思うに、「皆きちんと勉強されているなあ」と言うことであった。
翻って、私のことを鑑みてみると、ここのブログでは「社会学が、社会学が」とは機会あるごとに連呼しながら、実は全くの基礎的勉強を怠っている劣等生であったことも確認した。

ではあるが、この劣等生から優等生を見るに、何やら違和感がある。
何がかと言うと、皆きちっと勉強しすぎているのである。

例えば、マルクスが正しいと信じていた頃は、皆マルクスを勉強していたが、マルクスが立てたグランド・セオリーが崩壊してからは、「これではいけない」と、崩壊後の道、すなわちグランドセオリーは元々立てられないものとして、各個別の対処可能なものへと課題を移して行ったように見える。
ただそれは、私から見ると、マルクスの信望形態から、「マルクスは間違っていた」という事後的な更なる信望形態へと移ったようにしか見えない。

マルクスの資本論には二つの魂があったと作家の佐藤優さんは言う。
一つは「社会分析の魂」、もう一つは「革命家の魂」。
この革命家の魂には、当然ながら、客観的分析ではなく、主観的信望、情熱が含まれていた。
この二つに分かれているだろう、ということを仮説の前提として言うが、本当は物理化学のように、現在事象を客観的に分析した結果を再応用すべきで、例えば人間社会はこう動く、というのと、だからこうすべき、というのがごった煮になってしまっているのが社会学ではないのか(そして、多くの社会学者は、観測者である自分がその観測対象たる社会に組み込まれているため、完全なる客観的分析は不可能だと諦めているようにも見える)。

マルクスを否定する、これはいい。だが、その否定というのは分析と革命願望のどちらを否定したのだろう。
そしてその否定の先には、やはり分析だけではなく、社会とはこうあるべき、こうすべき、という信望や情熱が入ってしまってはいないか。
この本を読んで覚える危惧はそこにある。

簡単にまとめると、皆、真面目に勉強しすぎてて、マルクスの否定をしながらも、ある種マルクスと同じ危険な轍を踏襲しているのである。
主観的信念の入り混じった分析がなされていることに諦観し、それでしか研究ができないとする。本当にそれでいいのか? 

3.
宮台真司さんは逮捕されなかったが、島袋光年さんは逮捕された。両者の違いは何か。

買い物三昧

2016-11-06 21:25:37 | 最近の出来事
最近の私は買い物をしてばっかりだ。

いや、今までが買い物をしなさすぎたのだ。

1.
先日コートと財布を買った。
コートは元値\25,704-のところを20%offで20,563円。

えっ? コートに2万円も出すの? と思う人は、自分がコートを買う際には、そのコートはいくらくらいで大体何年くらい着るのだろうか。
私が思うにそういう相場は1万~1万5千円で、大体3年くらいで買い換えると思う。
だが私が前回買ったコートは2万円で、これは2006年2月のバーゲンで買った。
つまりおおよそ9年間来ていた訳で、1年辺りの単価にすると、2222円なのである。
上記の反論をしてくる人の目算単価は年間3333円~5000円なので、私の買い物の方が安い。

正確には、2012年の頃に着れなくなってボロボロになりかけていたから、耐用年数はほぼ5年、それを考えると一年間に4000円となる。
これでもまあまあな金額だが、そこを通して、私はごまかしごまかしで9年間着たのである。
いい加減、裾も袖もボロボロになっていたので、先日これを捨てた。

ちなみにもう一着欲しいコートが出てきたが、こちらは35000円。
これは1月のバーゲンで3~5割引になるのを待つしかあるまい。
2月になると最大8割引とかになるけれども、あまりいい商品が残っていないんですよね。


2.
財布も汗染みが出来てしまい、持っているとピリピリ皮膚が痛む(多分汗から雑菌が繁殖してしまったのだと思う)。
キッチンの消毒スプレーをかけると収まるのだが、これをするのはもういい加減面倒になった。
ので、財布もワインレッドのツヤのある財布を買った。
元値11000円のところを半額割引していたので、税込み11880円のところを5940円での購入となった。

3.
電源タップも買い換えた。
と言うのも、電源タップのスイッチ部分が壊れてしまい、スイッチ切り替えができなくなった為。
電器店で2245円。
元の電源タップは躊躇なく捨てた。昔であれば「何かに使えるかも・・・」と取っておいただろうが、古い電源タップを捨てて新しいものに替える、という仕事を一時期していたせいか、これも躊躇なく捨てることになる。これが元で火事になったら大変だ。

4.
そして今日、机の買い替えの為に、家具屋に行って机を見に行った。
今の現行の机は、そこそこいいのであるが、これも汗の染み込みか何かによる経年劣化と雑菌の繁殖やら、塗装の剥げなどがあって、もういろいろと面倒になったのである。

が、売り場に行くと、天板はこれがいいが、しかし足がなあ、だとか色はこっちがいいがしかしこれはなあ、みたいな、売り場においてある既製品はオビに流したすきに短しでどうともいえない。
悩みに悩んで、「そもそも悩みとは何か」というお題が頭に浮かぶも、それは一端後回し、今あるもので選ばなければならないのだ、ということを考えていく。

そうなのである、今ある材料で台所は回さなければならぬ。
藁の中に縫い針がいくつかあります。完全に使い物にならない錆びたものから、しっかりとした高級品まで。
縫い物をしたいあなたが、その中から適切なものを探し当てればそれはあなたが使用することはできますが、しかし時間は限られています。どうすればいいですか? 
という時に、最上の答えは高級品を探し当てることであるが、時間的制約があるので、現実的には「そこそこ縫えて耐用に耐えるもの」を選ぶことになる。

うーんそれでもなあ、うーんそれでもなあ、とうんうん唸っていると、ふと思い出した。
カスタマイズ色のテーブルが別の売り場コーナーにある。そこへ行ってみよう、と。

そこへ行くと天板と足が選べるテーブルがある。あれ? これでいいんじゃないか? 
うひー! いやー天板の色、凄いかっこいいいいいいー!! でも店舗に無いから注文なんですと。
ということで、好きな色の天板を選び、足を選んで注文。
いやーこれなかなか格好いいんじゃないか? しかも安い! (通常の机は10000円から40000円が相場であったが、このカスタマイズテーブルは5000円であった。)

いやー悩んで良かった、と思うのと同時に、これの勝因を分析せねばならない、とも思った。
まずは妥協しなかったこと、次に新しい選択肢を見ていたこと。
この「新しい選択肢を見ていた」というのがどうにもネックのような気がする。
自分で出かけてそういう知見を広げなければ、選択肢は今ある物しか無い、と言う風に思ってしまうし、その売り場が特定できなければ入手もできない。

ヘビの遺伝子をマウスに注入→手足のないマウス誕生

2016-11-06 20:46:44 | 哲学・学術・教育
情報源がトンデモ系で信憑性ないところなのですが載せる。
これを応用すれば、病気に強い人間を生むことも可能ではないだろうか。



【衝撃】ヘビの遺伝子をマウスに注入→手足のないマウス誕生!! 理学博士「もちろん人にも応用可能」
http://tocana.jp/2016/11/post_11363_entry.html

 ヘビにはどうして手足がないのだろうか? 聖書によると、ヘビはイヴをそそのかしたことで神の怒りを受け、罰として手足を奪われて地に落とされてしまったのだという。伝承の真偽はともかくとして、実は現在のヘビの一部にも手足の痕跡が残っている。また、1億年以上前に存在したヘビの祖先の化石には、手足があったこともわかっている。ヘビが四肢を失うに至った進化の過程には謎が多いのだ。

 そして今月20日、ヘビの進化に関わる、とある驚くべき研究成果が学術誌「Cell」に発表されて話題を呼んでいる。なんと、ヘビが手足を失った原因は遺伝子のほんのわずかな欠失にあり、それをマウスに導入すると、マウスの四肢も欠損してしまったのだという。


■ヘビの遺伝子をマウスに注入したら……!

 論文によると、ヘビの手足の消失には「ソニック・ヘッジホッグ」という遺伝子が関わっている。ソニック・ヘッジホッグは生物を形づくる重要な遺伝子の一つで、ショウジョウバエからヒトまで幅広い生物に保存されている。受精卵が分裂し、胚が発達して形を作る過程で大きな役割を担う遺伝子として古くから知られており、今なお世界中で研究の対象となっている遺伝子だ。ちなみに、その名前は、お察しの通りゲームの有名キャラクターに由来する。

 このソニック・ヘッジホッグ遺伝子には、「エンハンサー」と呼ばれる遺伝子の発現を調節する領域があるのだが、ヘビのものには他の動物には見られない塩基対の欠失がある。そこで、コブラの遺伝子から問題の領域だけを切り取って、マウスに導入した。すると、驚くべきことにコブラのエンハンサーを持つマウスは、ヘビのように四肢を欠損して生まれてきたというのだ。論文中では、コブラだけでなくヒトやゼブラフィッシュのエンハンサー領域に組み換えたマウスも作成されている。しかし、四肢が欠損したのはコブラとニシキヘビのエンハンサー領域を持つマウスだけだった。そしてさらに驚くべきことには、ヘビに特異的に欠けている17塩基対のDNAを追加したエンハンサー領域をマウスに導入すると、今度はちゃんと手足が生えたマウスが生まれてきた。つまり、ヘビの四肢が存在しないのは、問題の領域でほんの少しのDNAが欠損しているからにすぎないのだ。


■理学博士「ヒトにも応用可能」

 この論文について、生物学に詳しい理学博士X氏に詳しく見解をうかがった。

「エンハンサー領域を組み換えるだけで、ここまで劇的に形が変わるというのは面白いですね。遺伝子の欠失部分を補うと手足が生えたというのも興味深い。これは、ヘビに欠失部分を導入してやれば手足が生える可能性も示しています。大変興味深いです」

 X氏によれば、今回の結果はヘビが再度手足を獲得するような進化を遂げることも可能である事実を示しているという。手足を失うような大きな進化も、状況次第ではやり直しが可能ということなのだ。生物進化は実に不思議で満ちている。ところで、X氏は実験手法にも注目していた。

「実験を可能にしたのは、ゲノム編集という新しい技術です。この技術の登場により、遺伝子の特定部位を以前よりずっと素早く、安価で改変できるようになりました」

 ゲノム編集は最近注目を浴びている技術で、ノーベル賞の最有力候補ともいわれている。「CRISPR-Cas9」という、元は生物の感染症対策機構であるシステムを元に考案され、登場からわずか数年で世界中の実験室で使われるようになった。

「この研究を応用すれば、手足のない犬や猫とか、逆に手足の生えたヘビなどを生み出せる可能性は高い。そんな犬猫やヘビに需要があるかは分かりませんが。ただ、この技術を応用すれば、家畜や愛玩動物の体の形を人為的にデザインできる可能性は高い。そしてもちろん、この技術はヒトへの応用も可能です」


 ゲノム編集のヒトへの応用研究には、大きな期待がかけられている。例えば病気の遺伝子治療は、臨床試験も間近といわれている。そして2015年には、中国でこの技術を応用してヒト胎児のゲノムを改変したという論文まで発表されている。新たな技術は進化の謎を解明する一方で、科学の次なる扉を開けようとしているのだ。





驚く「欧米」冷静な「中韓」…止まらぬ「karoshi」報道、意外な“温度差”

2016-11-06 20:43:29 | 国内社会批判

驚く「欧米」冷静な「中韓」…止まらぬ「karoshi」報道、意外な“温度差”
2016.11.5 16:12
http://www.sankeibiz.jp/compliance/news/161105/cpb1611051612001-n1.htm

 「karoshi」報道が止まらない。10月7日午前、政府が初めての「過労死白書」を公表すると、午後には広告大手の電通で女性新入社員が過労自殺していたことが明らかになった。厚生労働省による立ち入り調査や政府主導の「働き方改革」と合わせ、海外メディアも大きく取り上げているのだが、欧米と中韓の報じ方には意外な“温度差”も見え隠れする。

SNSを引用

 「日本人は文字通り死ぬほど働いている」。米紙USA TODAYの見出しは簡潔な分、衝撃の大きさが際立つ。

 電通の新入社員、高橋まつりさん=当時(24)=は東大卒業後の昨年4月に入社し、本社でインターネット広告などを担当。クリスマスに東京都内の社宅から投身自殺した。三田労働基準監督署が今年9月、労災を認定している。

 「2時間睡眠で休日もめったに取れず、会社からは実際の残業時間より少なく申告するよう指示されていた」

 「電通本社では1991年にも24歳の労働者が自殺し、過労死問題が注目された」

 同紙は事案の問題点をそう指摘し、まつりさんがソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)に書き込んだ「死んだほうがよっぽど幸福なんじゃないかとさえ思って」というメッセージで記事を締めくくった。

 英紙フィナンシャル・タイムズは、連日にわたってこの事案を取り上げている。厚労省による電通本社への立ち入り調査を報じた14日の記事では「電通が日本の一流企業であるため無視できない事案だと政府がみなしたことが、国民に衝撃を与えた」と分析した。

 一方、英誌エコノミストは「過労死白書が働き方改革の必要性を示している」と指摘。労働生産性の指標となる就業1時間当たりの国内総生産(GDP)を比較し、こう強調した。

 「過重労働は経済の役に立っていない。労働者が燃え尽き、ときに死ぬという事実は、悲惨であるだけでなく無意味だ」

「あした娘のプレゼントを買いに行くんだ」

 電通の過労自殺以外にも報じられた事案がある。

 「青年の心臓疾患は、日本の『過労死』文化が原因だった」との見出しを掲げたのは、英紙ガーディアン。外国人技能実習生だったフィリピン国籍のジョーイ・トクナンさん=当時(27)=の過労死を取り上げた。

 トクナンさんは岐阜県の鋳造会社で実習生として勤務。2014年4月に従業員寮で死亡した。岐阜労働基準監督署は、直前3カ月間の時間外労働が「過労死ライン」の月80時間を上回る月96~115時間だったとして、今年8月に労災を認定している。

 「彼は乏しい給料の大半を妻と5歳の娘に送金していた。あした娘のプレゼントを買いに行くんだ、と同僚に話した翌日に亡くなった」。記事ではそんなエピソードも明かされている。



 同紙は、電通の過労自殺についても取り上げた上で、精神的な悩みを持つ人々の相談に乗る公的機関の電話番号を、記事の末尾に記していた。

 外国人実習生の過労死は、ほかにも仏紙ルモンドなどが報道。「karoshi」が日本人以外にも広がっている典型例として、海外メディアの関心の高さをうかがわせた。

中国、国内問題に触れず

 一方、韓国の中央日報日本語版は「日本政府が作成した過労死白書は世界で初めて」と報じ、白書が示したデータを重視。企業の22・7%に月80時間を超える時間外労働があったとするアンケート結果を伝えた。

 合わせて「韓国の労働時間は日本を大きく上回る」とも指摘。昨年1年間の1人当たりの平均労働時間を比較し「韓国の労働者は日本より50日多く働いた格好だ」と、自国の長時間労働に警鐘を鳴らした。

 中国の政府系機関紙・人民日報のニュースサイト、人民網日本語版は「日本で『過労死』が頻発 企業の悩みの種に」と題した記事で、やはり過労死白書の内容を報じている。

 同紙は2013年に「中国の過労死は日本以上? 『中国の夢』は残業なし?」として、60万人にのぼるとの説がある中国の過労死問題を報道。

 だが、今回は「過労死問題は、1980年代後半から日本で注目を集めはじめた」「高度経済成長期に生まれ、30年以上も日本社会で悩みの種となってきた」などと淡々と伝え、国内の実態には触れなかった。



>「日本で『過労死』が頻発 企業の悩みの種に」
これは若干誤解を招くので私から補足する。
『過労死』が問題になって、企業側は確かに困っていると思うが、それは、自分の企業から過労死が出て倫理上、人間として誤ったことをしてしまった、社会道徳に反してしまって贖罪したいと思っている『わけではない』

企業が困っているのは、実態として過労死するレベルまで仕事を受注するも、それが社員という生産ベルトコンベアに載せて深夜までかかってさばききる、ということが常態化しているが、それが経営上課題として挙がってはいるものの、しかし過労死という問題がクローズアップされて十数年、それに対応しきれていない、という経営上の怠慢がクローズアップされることについて困っているのである。
尚、私の会社は今現在そういうことにはなっていない。経営陣が交替し、客層も若干の変更が伴った為、今の私は潰れて出来ない社員になったものの、楽をさせて頂いていて、周囲に大変申し訳なく思っている。

私が個人的な経験から思うに、そういう過剰な労働に対する過労が常態化していたことについては思想や文化が反映される。

2007年8月に参加したプロジェクトでは、なぜ私が参加したのかというと、私が自発的に名乗り出たのではなく、とある親会社企業Aに対する子会社Bへのノルマが存在して、その期が労働時間としてノルマが達成できなさそうだということで、長時間残業ができそうな人間を探していたところに私がいたので、私に声をかけて、私がその命令に同意した。
当初、その声をかけたYさんという課長は、その時間の量が多くても80時間くらいと見積もっていたようだ。
現に、私に依頼するとき、「どれだけ働いてもいいから」という話であった。
だが途中で工数が膨れることが分かり、私がギリギリのラインで親会社Aに助成を頼み、S.T.君と、S.M.さんという男性1名、女性1名をお借りしてやっと乗り切った。
残業時間は100時間を超えたが、それを正直にそのまま申告すると、「たくさん働いたのはいいんだが、100時間を超えると今度は労働の方で問題が出てくるから、今月は100時間を超えないようにつけてくれないか。調整した分は翌月に繰り越していいから」と言われ、私は言われるままにした。だがこれは今考えると非常な問題である。

この企業では80~100時間という残業時間というのは、労働倫理においてあまり関知する範囲ではないらしい。

また、ネットの意見を見てみると、「欧米では残業が多い=無能アピール」みたいな意見もあって、まあ確かにその通りだという。
弁解すると私の方は確かに無能であった。会社Bによる評価なんて上がりも下がりもしないのだから、私の身を守る範囲で仕事をすれば良かったのである。
あるいは、元からそうした工期が膨れることが分かっているAとノルマを元々達成できずに、それの穴埋めを私に依頼してきたBも、同程度に無能であるように思う。
中長期的計画生産できないという構造上の問題、放置していた怠惰的問題については、私が責任を取る範疇などではない。
むしろこの件については、壊れた私に対して、企業Aと企業Bが揃って責任を取るべきなのではないのか? 

平均92万円!冬のボーナス中間集計を公表

2016-11-06 20:19:46 | 国内社会批判

平均92万円!冬のボーナス中間集計を公表
2016年11月4日 17:22
http://www.news24.jp/articles/2016/11/04/06345599.html

経団連が大企業の冬のボーナスの中間集計結果を公表。これまでに判明した一部上場企業71社、約48万人の冬のボーナスの平均額は92万7892円で、4年連続の増加となった。去年に比べて7707円の増額。

 経団連が大企業の冬のボーナスの中間集計結果を公表した。

 これまでに判明した一部上場企業71社、約48万人の冬のボーナスの平均額は92万7892円で、4年連続の増加となった。去年に比べて7707円の増額。

 ただ、冬のボーナスの額については、春闘で4月に決める企業も多いため、今年ではなく、去年の企業業績の好調が多く反映された形となっている。


日経225から更に絞って71社ですか。
よーやる。