私は元々仕事ができる人間ではなかったが、諦めずに頑張った。その努力の甲斐もあって2006~2008年にそれは開花した(その後つぶれた)。
ということで、「お前はどういう奴だ」という点について、本当に色々言われたことがある。
最初勤めた会社では、入社三ヵ月後に会社のNo.2であった女性から「あなたはこの会社に向いていないんじゃないかしら」と思いっきり作り笑顔で言われたのを思い出す(つまり出来ることなら自主退職せえよ、という意味。入社後三ヶ月という短期間にして正社員なのに戦力外通告されるほどのダメっぷり)。
いや、確かに本当に私は役立たずで、その時に社会の厳しさを痛感した。この会社のやっていることは正しかったと思う。出来ない人間を切ることは大事なことだ。
その後、色々比較をしてみたが、大企業ではこんなことは有りえない。使えない人間もそれなりに育てていく。
その会社での先輩でのKさんと言う人が「この会社は普通の企業でやっている『人を育てる』ってことをしてないんだよねー。」というのが印象的だった。
その後数年何とか頑張り、もういいだろう、というところでその会社を退職、別の会社に転職した。
最初入った部署では手も足も出なかった。後で聞くと、その部署は地獄だという噂が立っていた。
地獄というのは正確ではない。竜巻が常に起こっていると言った方が、私の感覚から見れば正確であった。
その時私を配置した部長がSさんと言う人だった。
その部署を比較的短いスパンで在籍し、その部署を離れるということになった時、部長のSさんが言った。
「うーん、上手くいくと思ったのになあ」。
つまり私を配置したことが失敗した、ということだ。力不足であったし、そのように評価されたのだった。
次の部署で私は何かに開眼してしまった。
仕事のイロハはもう分かっていたので、仕事をガンガンにやりまくるようになったのである。
2006年から2009年の6月まで在籍したが、仕事人として力を発揮していたのが、2008年の6月まで。
とある事件が起きて、2008年の7月以降、私はめっきり仕事ができなくなり、結果その1年後にその部署を離れてしまう。
その時に先輩格のHさんが言った。
「○○(私)なら、どこへ行っても通用するよ」
通常、どの企業でも、数年で在籍する部署が変更になる。
しかし、私の部署を変更する、というのは若干の不名誉のケースだった。その時の出来る限りの慰めだったのだろう。
確かに私はそこで前半戦は八面六臂の活躍を見せていたが、後半戦はあまり宜しい状態ではなかった。
Hさんは私の前半の実績を見てそういって下さったのだろうと思うのだが、しかし私が仕事人として輝いていたのは二年ちょっと。
その後、回復してきているとは言え、それを引きずってしまってきているので、Hさんの予言(というより慰めに似たアドバイス)は外れたことになる。
と言うか慰めとしては若干ピントを外したのだろう。本当は私の状態は早く良くなるよ、というのがストレートの正解だっただろうが、その職場で私の病状に触れるのはタブーになっていた。
なんだかんだで、私はどこへ行っても通用しない人間になってしまっていた。
こうした時、「あいつは向いていない」とか言う話しがある。
確かに、私が過去見てきた例でも「彼女はサラリーマンに向いてないな」という言葉(これはOさんの言葉)と言う言葉も聞いたことがある。
それは単に能力不足だったり、あるいは我慢や忍耐力がなかったりと様々である。
私は最初の会社で後輩で入ってきた人に一気に追い抜かれる経験をした。
その次の会社で後輩として入って、その場にいた先輩を一気に追い抜いた経験もした。
その二つを総合すると、仕事が出来る/出来ないというのは天性と努力の二つによって出来ることがあると個人的には思っている。
そして「向いてない」と言う人間も、最初の鉄の叩き方で、良い方向へと曲がるんじゃないのだろうか、とも思っているのだ。
習慣とは第二の天性なのである。