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とめどもないことをつらつらと

日々の雑感などを書いて行こうと思います。
草稿に近く、人に読まれる事を前提としていません。
引用OKす。

茂木健一郎「日本のアニメ>>>日本の地上波テレビ(特に民放のバラエティ)」

2016-11-27 21:42:13 | 映像作品
私の意見は下記。


なぜ民放のバラエティ番組はテレビの画面を「汚す」のか?
2016年11月27日(日) 7:50
http://mediagong.jp/?p=20216

茂木健一郎[脳科学者]

***

時々、地上波テレビの「悪口」(笑)を書くが、それだけ、未だに重要なメディアであり、しかもメディアとしてはまだ存在しているのだから、できるだけ良くなってほしい、という思いからである。一種の「応援」だと思って欲しい。

最近つくづく思うのは、「日本のアニメ>>>日本の地上波テレビ(特に民放のバラエティ)」ということである。同じ国で、なぜ、これだけクオリティの違うものができるのか不思議なくらい、前者は最近めざましく素晴らしく、後者は惨憺たるありさまである。

民放のバラエティがダメになった理由はいくつかあると思うけれど、一つは、常々指摘している、馴れ合い、ゆるさで席巻しているお笑いの文化のせいだろう。社会的な批評性を伴わないゆるい笑いは、一つのあり方だが、それがモノカルチャーになるとさすがにきつい。

グラミー賞やアカデミー賞の授賞式を見ていればわかるように、向こうのコメディアンは、エンタメのど真ん中でも、きちんとその時々の社会状況や普遍的価値を背景にした批評性を決めてくる。これが日本の地上波テレビにないのは、ほんとうにキツイ。

【参考】ジャンルなき「その他」でしかない日本のバラエティ番組に未来はあるか?

もう一つ、最近の日本のテレビでどうしても理解できないのは、画面、音の「汚さ」である。なぜ、あのように字幕やテロップを多用して、画面を「汚す」のか。芸人さんたちの、つまらぬ間の手や笑い声を強調するのか、全くよくわからない。


映画『君の名は。』が、あれほど画面の隅々まで心を配って絵作りをして、音楽も美しく作り上げているのに、同じ日本の地上波テレビが、なぜ、あれほど汚い画面作り、音作りをしているのか。私には一秒たりとも理解できないのである。

民放のバラエティなどは、以前から公言しているように一秒も見ないが(すぐれたドラマや、ニュース、スポーツ中継などは見ることもある)、たまたま食堂などでかかっていると、絵の汚さ、音の汚さですぐわかるのは、さすがというか、悲しい話だと思う。

民放の制作担当者の方々だって、『君の名は。』とか、『この世界の片隅に』を見て感動したのだろうから、それならば、同じクリエーターとして、誇りを持って、良いものをつくっていただきたい。汚い大文字のテロップや、タレントさんの馴れ合いなんて、視聴者は別にテレビに期待していないと思う。


この意見に補足する。

「日本のアニメ>>>日本の地上波テレビ(特に民放のバラエティ)」と言うのですが、私からは同意できる部分と同意できない部分がある。
まずおおよそその傾向がある、ということについてはほぼ同意であるが、正確には比較対象が異なっている。

まず「君の名は」は映画のくくりであり、テレビ番組とは予算が異なるのである。
わずか二時間の中にかけられる予算と時間が、映画と通常の番組とでべらぼうに違う。結果が違うのは必然で、比較対象のフィールドが異なる。
クワガタと象はどっちが強い? というくらい意味が無い。クワガタはカブトムシと、象はサイやカバと比較するのが正しい。

それであるので、比較するのであれば、
「テレビアニメ⇔テレビ番組」「アニメ映画⇔映画」での比較としたい。

さて、その中でじゃあテレビ番組同士で、映画同士で比較した場合、どうなるのか、と言うと、ここでやっと正確にアニメに軍配が挙がる。
通常の実写はアニメに比べて制約が多すぎるのだ。俳優の調子や、あるいは使用できるロケ場所が遣えなくなった。芸能事務所からはこいつを出すならこれもとセットでつけられてきて、本筋になかった登場人物をつけることになる。俳優は、主役を一旦やったら主役を降りたがらない。女優も同じだ。

ということであるがアニメはその制約が若干弱まる。ヘリは自由に飛ばせるし、危険なシーンも撮り放題、キャスト構成も原作・原案から離れない。設定舞台の場所に制限が無い。何より主役級の配役だった声優が、チョイ役まで演じてくれる。これではアニメに軍配が挙がるのも当然だ。

ということであるが、それでは実写や通常のバラエティは分が悪いのかというとそうでもない。
企画次第によって面白くなることはある。元テレは今見ても面白いし、あるいは浅ヤンも相当だった。メチャイケも初期は面白かった。
あっていけないのはマンネリであって、それに気をつければいい。
あと、本当に面白くないアニメも沢山量産されていることにも注意すべきである。私などは開始5秒で視聴をやめるのがほとんどである。

それでは実写側はそうした努力をしているのか、というと、どうも通常のバラエティ・ドラマ・映画には分が悪くて擁護できない。
世に出すための面白い映像を作るための努力をしているのか、というとどうもそうでないらしい。
いや、正確に言うと面白くなるような努力はしている。ただ、それは、先人から教えられたことの100点満点を目指すことに注力しているような気がしてならないのだ。

例えば重要キャラの対話シーンは大体相場が決まっていて、斜めから映すとかあるいは・・・という教科書があるかのようだが、これを全然打ち破ってもいい。
最初に対話シーンを出す→それを盗聴しているスーツの女性の姿を出して、くぐもった音声で対話を継続させる→その会話の続きをレコーダー再生で重役会議に出して、目を開く重役と青ざめる重役などで描く。
という感じでもいい。昔の実写はこれをやっていたように思う。今はどうだろうか。そうした演出の努力を失ってはいないか。アニメであれば当然これくらいは絶対にやる。
数字が取れる取れないの問題ではない。単に映像として面白いからだ。



あと、人というものは安定的にその日の果実が取れるならば、リスクを冒して獣を追わない。そういう習性があるので、そこを𠮟っても無意味だ。
もし𠮟るべきだとするならば、映像作家としてそれでいいのかということである。

確かにテロップ・ワイプ・雛段は便利だ。しかしそれは番組の映像の面白さとは関係がない。主軸を抜かしたら、他の部品だけでは車は走れないのである。


なぜ日本では起業家が育たないのか? 英米メディアの指摘する問題点とは

2016-11-27 21:08:26 | 国内社会批判

なぜ日本では起業家が育たないのか? 英米メディアの指摘する問題点とは
更新日:2016年11月19日
http://newsphere.jp/business/20161119-1/

 企業活動が国家経済に与える影響について調べる「グローバル・アントレプレナーシップ・モニター(GEM)」によれば、2014年に「起業はキャリアにおける良い選択だ」と答えた日本人は31%と、最下位から2番目だった。アメリカ65%、中国66%、オランダ79%などと比べると、途方もない出遅れ感がある。政府が経済回復のため新規ビジネス立ち上げを奨励しているにもかかわらず、なぜ起業家が増えないのか。英米メディアが日本特有の問題点を指摘している。

◆リスク回避志向、終身雇用が妨げに
 起業が難しい理由としてまず挙げられるのが日本人のリスク嫌いだ。ワシントン・ポスト紙(WP)は、日本では大企業での安定と終身雇用という「ジャパニーズ・ドリーム」と起業は相いれないものだとし、起業を口にすれば、おそらく親や配偶者からストップがかかると述べる。ブルームバーグも、起業をためらう気持ちは安定と成功を重んじて体制に従う文化から来るものだと述べる。前出のGEMの調査でも日本人起業家予備軍の55%が「失敗が恐い」と回答しており、調査参加国のなかで上から2番目に高い数字だったとしている。

 エコノミスト誌は、柔軟性のない労働市場が、起業の邪魔になっていると述べる。少しずつ緩和されてはいるものの、日本ではまだまだ終身雇用が望まれ、転職が盛んとは言えず、スタートアップ企業にとっては中間レベルの即戦力確保は難しく、新人ばかりで事業を始めることになると指摘。さらに、従業員の解雇が難しいことも、成長途中のスタートアップには厳しいと述べる。もっとも、女性は職場での昇進が困難で失うものも少ないため、起業して成功するケースも多いと同誌は説明している。

◆政府や投資家の古い考え方も起業の障害に
 WPは、起業家精神を育てることは「アベノミクス」の経済復興の鍵となる部分であり、政府はベンチャーキャピタルやスタートアップの加速を「第三の矢」の一部としているが、期待通りには進んでいない、と指摘。徐々に環境は改善しつつあるが、日本では投資家がリスクを嫌い要求も多く、1万ドルの代わりに20~30%の株式を求めるケースもあり欲深いと同紙は述べる。シリコンバレーでは多くの人々が新しいものにアグレッシブに投資を行い、より少ない見返りで多額の資金を出してくれるという。

 ブルームバーグは、日本の古いビジネス習慣も障害だと指摘し、銀行は貸付に担保を取ることに執着するが、ほとんどのスタートアップにそんなものはないと述べる。WPは、登記にかかる手続きが煩雑で、悪名高い官僚主義の弊害だとする。さらに、ブルームバーグは、政府と金融機関は既存の会社を保護する傾向にあり、非効率な「ゾンビ」企業を生かすことで、未来ある若い会社に資金が回らなくなっていると断じる。これは、経済に新しい血を入れるために必要な「創造的破壊」がなされていないことを意味し、実際、日本の労働人口のうちわずか3.8%が新規ビジネスを立ち上げる、もしくは創業から3年半以内の会社を経営していることがGEMの調査でわかっている。この数字は南米の小国スリナムを除けば、調査参加国中最低レベルで、ほとんどの日本人は古い企業で働いていることになる。OECDの調査によれば、世界的には古い企業より新しい企業のほうが雇用創出に貢献しており、今のままでは日本が生産性の面で他国との差を埋めるのは難しいとしている。

◆実はポテンシャルあり?規制撤廃がカギ
 エコノミスト誌は、日本政府は起業の障害になる多くの規制を廃止するべきだと主張。C to Cビジネス(一般消費者同志の商取引)が日本では最も可能性があるのに、ウーバーやAirbnbが普通に営業できないのは恥ずかしいと述べるメルカリ創業者の石塚亮氏のコメントを紹介している。

 もっとも同誌は、起業環境の改善も見られるとしており、今が日本にとって問題に取り組むよい時期だと述べる。GEMの調査によれば、起業に意欲を示す日本人は全体としては少ないが、起業する能力が自分にはあると信じる人が実際に会社を起こす割合は、日本が19.5%でアメリカの17.4%を上回っており、日本にはまだ可能性があると同誌は見ている。


そもそも起業でのイメージが日本とそれ以外では異なるのである。単なるリスク嫌いではない。

起業で失敗した場合、それは新しく再チャレンジが可能になるということなのではなく、借金の返済などによる破産、それに伴う家族の離散や破滅を避けたいからである。
この家族の破滅というのは特に闇が深い。

例えば、娘が風俗嬢になってしまうだとかの話はよく聞く話で、どこの父親がそんなリスクを踏むのだろうか? 
まさかとは思うが、欧米でもそうしたリスクを背負って起業をしているわけでもあるまい。
仮に、金融の貸元から「起業の資金は貸してやるが、返済できなければ、娘を売春婦にさせる、いいな? 」という契約の前でサインをする欧米人はどれだけいるのか。

実態としては、起業に失敗した人は一時的にホームレスになったり(高級外車販売)、あるいは契約社員になったり(直接聞いた)、アルバイトでアパート暮らしの人(ぷよぷよのゲーム会社:コンパイル)がいて、それぞれ三者三様に異なるケースがあるのだが、日本人の上述のイメージは全くぬぐえない。
あるいは別個のことも言及すべきだが、これは内容がまずすぎるので書くことは控えたい。

ともかく日本人がリスク回避志向にあるのは、そのリスクが致命的であり、尚且つ人生を破綻させたり、あるいは家庭を破滅させるイメージがあるからだ。
単に給料を一生だらだらともらいたく、チャレンジ精神的に怠惰だから、と言う理由で起業しないのではない。
その先に待つのが、成功か破滅かの二択のイメージが強すぎるからである。

別に自分がホームレスになるくらいならまだなんとか・・・でも家庭に迷惑はかけられんぞ、ということである。

日本の言論の自由度:「大物政治家の息子」→セーフ/「警察幹部の息子」→セーフ/「在日外国人」→アウト

2016-11-27 20:34:55 | 報道
という基準がはっきりした。


百田尚樹氏がツイッターで「犯人は在日外国人ではないか」とツイート 津田大介氏が「この人のアカウントを削除すべき」 ネットでは「警察が名前を隠すからこういうことに」の書き込みも
2016.11.27 08:09更新
http://www.sankei.com/affairs/news/161127/afr1611270003-n1.html

「犯人の学生たちは大物政治家の息子か、警察幹部の息子か、などと言われているが、私は在日外国人たちではないかという気がする。いずれにしても、凄腕の週刊誌記者たちなら、実名を暴くに違いないと思う」とツイートした。

 これに対し、かみついたのがジャーナリストの津田大介氏(43)。

 津田氏は25日、「この人この種の発言懲りずに何度も繰り返してるし、単にツイッターの利用規約違反なので、ツイッター社はしかるべき警告を発した上でそれでもやめないようなら、この人のアカウントを停止すればいいんじゃないかな」とツイッターに投稿した。


まとめるとこんな感じになる。
犯罪発生に関する、対処、発表、報道、最終的な情報展開は次のような形になります。

1.対処
 「大物政治家の息子」→逮捕
 「警察幹部の息子」→逮捕
 「在日外国人」→逮捕

 メモ:日本のトップに立つくらいの政治家になると逃れられる。
    その息子も逃れられる(警察は内情は把握しているが動けない)。
    大企業のトップは逃れられない(例:山一證券)。

 メモ:稀に在日外国人が犯罪後、その集落に逃げ込み、警察が対応できなかったことも(東北)。

2.警察発表

 「大物政治家の息子」→言わない(可能性)
 「警察幹部の息子」→言わない(可能性)
 「在日外国人」→言わない(可能性)

 メモ:事件での発表問題性が肥大化、顕在化するまで警察は動かない。
    発表する場合には、一ヶ月などの期間を区切って発表(例:警察車両巻き込みによる萩原流行交通事故死)。

3.報道

 「大物政治家の息子」→報道しない(可能性)
 「警察幹部の息子」→報道しない(可能性)
 「在日外国人」→報道しない(可能性)

 メモ:やるなら文春。次いで新潮。上記二つの件に関しては大手マスコミは報道しない。横並びの圧力があるから。
    在日外国人報道は最近風向きが変わってきた。
    但し、事件性の肥大化と顕在化により社会的影響の余波による変動が大きければ、それ自粛される(例:第十八富士山丸事件)。
    先日の慶應の事件も、在日外国人が交じっているとは積極的に報道されていない(見つけたのはネットであった)。

4.最終的な情報展開

 「大物政治家の息子」→されない(可能性)
 「警察幹部の息子」→されない(可能性)
 「在日外国人」→されない(可能性)

 基本的に上記の前二者は揉み消すことが可能。
 後一者は海外メディアなどの調査により発覚する可能性(ただし日本のメディアは動かない)。


元々津田さんが、こういう注意喚起をしているのは、こういう見立てや仮説に「大物政治家の息子」や「警察幹部の息子」が挙がっても、彼らの身を潔白すれば何ら問題は無いし、あるいはそうであったらそういう社会的制裁を受けるべきだという社会機能が日本に働いているのに対し、「在日外国人」であれば、もし犯罪を犯していたのであれば、それは他の日本人同様に処罰をきちんと受けるべきであるが、しかし潔白であった場合は、彼ら自身に偏見を持たれることにより、あらぬ不利益を蒙るという予見的な危機意識があるからである。

ただ、それは「大物政治家の息子」や「警察幹部の息子」であっても同様なので、津田さんはこの辺も抗議すべきなのではないのだろうか。