新釈四谷怪談 (集英社新書 454F)小林 恭二集英社このアイテムの詳細を見る |
「お岩さまは、史上最強、完全無欠の守護天使」山本容子氏(版画家)
親殺し、子殺し、無差別殺人の横行する現代に、時代を超えた「目に見えない世界」からの声が届く……。江戸時代に誕生した「お岩さま」は、何故今も恐れられ、拝まれているのか? 「祟り」とは何か? なぜ怖いと思いながらも私たちは怪談話に惹かれるのだろうか。目に見えないものを畏れることの今日的な意味合いとは? 鬼才鶴屋南北が江戸末期に近い文化文政の時代に世の中へ投げかけた問いが、今、鮮やかによみがえる。 』
「悪への招待状―幕末・黙阿弥歌舞伎の愉しみ」の小林さんである。
黙阿弥の次に近松を取り上げているはずなのだけど、それは未読。
本書は南北。私にとっては実に不可解な戯作者。
分かりやすく、面白く・・・はいいのだが~・・・わたくし、怖がり(・・;)
怪談ってだめ。四谷怪談(歌舞伎の)も観たことがない。観る予定もない(関西で上演されることもあまりないのだが) じゃ、読むなって話ですけど・・・。
南北の登場した歴史背景についての考察は面白かった。
歌舞伎、東京では荒事が優勢であり、上方では世話物が優勢であるということは事実なのだけど、その理由について江戸は武士の世界だからと説明されていることが多いように思う。
でも歌舞伎を観ていたのは町人が主のはずと少々納得がいかないもやもやをかかえていたのだけれど、本書に「江戸語が誕生したのは、18世紀後半のことであり、固まったのは19世紀になってからのことだ」とあり(要するにそれまで江戸にはちゃんとコミュニケートできる共通語はなかった)、上方のようなせりふを中心とした芝居はわからなかったから、江戸では役者の身体所作中心の舞台を作り上げたということのようで、なるほど~でした。
(諏訪春雄氏の「鶴屋南北」を読んで得た知識だそうです)
やっとできた江戸語を使って世話物を作り始めたのが南北。
四谷怪談をただの怪談となめてはいけないと自戒。