『『青鞜』は、尾竹紅吉なしには『青鞜』たりえなかった――
女性解放雑誌『青鞜』を象徴する一人として活躍し、新進の女性画家として自ら得た賞金で文芸雑誌『番紅花(さふらん)』を創刊。夫である陶芸家・富本憲吉とのあゆみ、そして多くの後進の女性たちへの支援と励まし――。
女性が自由に生きることを許されなかった時代に、社会に向かって喜怒哀楽をあらわにし、問題提起をしながら青春を生ききった紅吉こと尾竹一枝の初の本格的評伝!』
『本の本』で知った本。
富本憲吉は陶芸家として名高く、富本憲吉記念館は奈良にある(作風は好きではないので訪れた事はない)
彼の妻・尾竹一枝(紅吉)が、青鞜を象徴するとまで言われる人だったとは知らなくて…読んでみた。
とは言え、青鞜も平塚らいてうしか知らないわけなのだが。
著者の渡邊澄子さんも平塚らいてうのことを調べていて、尾竹一枝(紅吉)の青鞜への影響の大きさを看過できなくなり、のめり込んだようである。
他の人物についての知識がほとんどないため著者の熱情にはついていけない部分はあるけれど、稀有な人間であり、才能であった尾竹一枝(紅吉)について概略を知ることはできたと思う。
現在平塚らいちょうの高名に比してあまりに尾竹一枝(紅吉)の知名度が低いことは惜しい。
富本憲吉の高名に対しても同様。
暮しの手帖での
お母さんが読んで聞かせるお話の連載は最晩年だったが、母が暮しの手帖は取っていたので楽しみにしていた。
あれがこの尾竹(富本)一枝さんの作品だったのかと思うと感慨深い。
本筋とは離れるが、戦前~戦中、平塚らいてう、市川房枝、羽仁もと子、吉岡弥生、村岡花子などが戦争に積極的に協力し、戦後また変節したことは(つまり二度変節したことは)忘れてはならない。
・
薊の花―富本一枝小伝 お嬢さんの陽さんの書かれた評伝
・
お母さんが読んで聞かせるお話 最晩年に富本一枝名義で書かれたお話(暮しの手帖掲載)