『一九六〇年、プラハ。小学生のマリはソビエト学校で個性的な友だちに囲まれていた。男の見極め方を教えてくれるギリシア人のリッツァ。嘘つきでもみなに愛されているルーマニア人のアーニャ。クラス1の優等生、ユーゴスラビア人のヤスミンカ。それから三十年、激動の東欧で音信が途絶えた三人を捜し当てたマリは、少女時代には知り得なかった真実に出会う!大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。 』
米原万里さんのことはTV番組のコメンテーターでお顔を見たことがあるくらいで、ロシア語通訳であられたことも知らなかった。
彼女のお父さんは戦中戦後共産党の地下活動をされていたくらいの筋金入りの共産党員で、1959年各国共産党の理論情報誌『平和と社会主義の諸問題』編集委員に選任され、編集局のあるチェコスロバキアの首都プラハに赴任することとなり、彼女も9歳から14歳までの5年間、現地にあるソビエト連邦外務省が直接運営する外国共産党幹部子弟専用のソビエト学校に通い、ロシア語で授業を受けた。
本書、その当時の様子を書かれたのかと思って読み始めたのだが、もちろん当時のエピソードもあるのだが、当時の親友ギリシャ人のリッツァ、ルーマニア人のアーニャ、モスリム人(ユーゴスラビア、ボスニア)のヤースナの3人を探し歩き、消息を確かめた記録である。
共産主義がユートピアであるかのような幻想を持った時期に、多感な少女時代をプラハの特殊な学校で送る…想像を絶する体験だが、その後のソ連の崩壊からのちの現状にも生の声で触れられていて、大変に興味深い。
ルーマニア、チャウシェスク政権が倒れてめでたしめでたしであるかのような印象を持っていたが、チャウシェスクのみを排除して首をすげかえただけだったとは知らなかった。
いいわけになるが、日本での報道ではそういう風に受け取るしかないだろう。
本書、1冊分のページ数で、プラハ時代の思い出と、30年後3人の消息を追いかける記録を書くのは紙数が足りない。
もっと詳しく書いてほしかったなと思う。
標題になっているルーマニアから逃げ出した嘘つきアーニャが、今でも嘘つきなんじゃないかと思ってみることはなかったのだろうか。
残念ながらもう聞くことはできない。