読書日記☆こんな本読んでます

2004年1月からの記録です。
この頃積ん読が多くっていけません....

拝啓 法王さま - 食道楽を七つの大罪から放免ください。

2005-06-24 | その他


中央公論新社

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『パリの老舗パン店の主人リオネル・ポワラーヌはヘリコプター事故である一通のメモを遺して急逝した。それは法王に宛てた「グルマンディーズを七つの罪源から赦免を乞う嘆願書」。「グルマンディーズ(美食愛・食道楽)は大食いや貪り食うことではなく、人類が築きあげた崇高な芸術で、ともに分かち合う美徳の精神である」とするものだった。彼の遺志に賛同する有名シェフ、作家、歴史家、法律家、医学者、修道士、寄席芸人、F1レーサー、代議士、デザイナーなどが結集、それぞれの美食への思いをエスプリ光る言葉で語る珠玉の書簡集。
※グルマンディーズは大食い・食通という意味でも使用されることもあるが、19世紀最大の美食家サヴァランは美食愛・食道楽と定義している。 』

いやはや、さすがフランス人ですね。
大真面目にグルマンディーズを7つの大罪のひとつから救うためにこんな努力を・・・

7つの大罪とは?
初期キリスト教の神学の教えで高慢、物欲、色欲、嫉妬、憤怒、怠惰、貪食(大食)の罪。本書ではその中の貪食(大食)をめぐり議論が展開します。当初構成されていた八つの基幹罪から変化した経緯をポントスのエウァグリオス、トマス・アクィナスなど聖人たちの逸話から解説、よく耳にしながらも見逃しがちなキリスト教思想の一端に触れられます。

嘆願の相手の法王さまは、つい先日亡くなられたヨハネ = パウロ二世。本書では前法王が出身地ポーランド・バドビツェでのシュークリームの思い出を語られたり、神学生時代に大食の罪を犯したことを告白したという伝聞が記述されています。また有志たちに謁見された際、直接、嘆願書を受け取られ「パンは祝福を与えてくれるものです」と話されたという心温まるエピソードが明らかになります。

「よく味を知る者少なきなり(孔子)」「食は天なり(吉田兼好)」「海鼠を食えるものは親鸞の再来にして河豚を喫する者は日蓮の分身なり(漱石)」など洋の東西を問わず、人類の美食に対する熱意は、同じなのかもしれませんね。

なお本書は2005年3月「2004年度グルマン・ワールド・クックブック賞」特別賞が授与されました。(因みにこのときの大賞は かの料理研究家栗原はるみ氏) 
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Dr.クロワッサン 体の中からきれいにする食べ方。健康マクロビオティック料理

2005-06-17 | その他
Dr.クロワッサン 体の中からきれいにする食べ方。健康マクロビオティック料理

マガジンハウス

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『ナチュラル&シンプルな食事方法が話題のマクロビオティックを特集。「めしと汁」「おかず」「甘味」83レシピを掲載するほか、自然食レストラン、地産地消の学校給食などを紹介。体が喜ぶヘルシーライフを提案。』

マクロビオティックとはなんぞや? 今の食生活が体によくなさそうなのは確かなのでちょっと覘いてみました。
何に寄らず《○○でなければならない》という考え方は受け付けないので、きちんとしたマクロビオティックを実行する積もりはさらさらありませんが、頭の隅っこにでも置いておけばいいかなぁ。
もちろん厳正に実行すればそれなりなことがあるのでしょうけれど・・・
野菜料理のレパートリー不足を痛感しているので、その一助にも

面白いのは、温帯に住んでいる者には熱帯産の産物は食べない方がいいとされている点。(熱帯高地起源のなす、トマト、アスパラガス、じゃがいもも含む)
なんとなくわかるような、わからないような・・・
関西の夏ははっきり言って熱帯ですけど、そういう場合は食べていいのかしらね

ザ・リッツ・カールトン大阪にはマクロビオティック料理のレストランもあるそうです。
そういえばTVで見たことあるような・・・
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加藤礼子のハートフルキルト

2005-06-16 | パッチワーク
加藤礼子のハートフルキルト

主婦と生活社

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買わないつもりだったんだけどなぁ
やっぱり買ってしまった(・・;)
加藤さん特有のかわいいやさしいトープカラーが魅力です
キットも申し込めるので、オリジナルのカラーがすぐ再現できますよ
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遺伝子が解く!男の指のひみつ

2005-06-15 | その他
遺伝子が解く!男の指のひみつ

文芸春秋

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『男を見るのに必ず指をチェックしてしまう? 彼のペニスが曲がってる気がする? 離婚は遺伝する? -それは、こういうことなんです! 読者から寄せられた男と女とみんなの疑問を、動物行動学でスッキリ解決。痛快無比の竹内節がさらに冴え渡る、「週刊文春」の好評連載「私が答えます」の文庫化第一弾』

そんなバカな!―遺伝子と神についてを読んで、その本が1991年出版だったため、新しい本を(新しい学説を)探して読んでみた。

のっけから「男の指と生殖器」の相関関係についての考察で、ついにやにや(汗
ま、あまり電車の中では読まないことをおすすめする。にやにやしてるのを不審がられることは間違いない。
本文と近からず、遠からず。微妙な位置のイラストがまたいい。イラストは寄藤文平氏。


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唐招提寺全障壁画ー東山魁夷小画集

2005-06-13 | その他
唐招提寺は唐から艱難辛苦の末日本にたどりつき仏教の教えを広めた鑑真が開祖のお寺である。
開山忌の6月6日の前後3日間(今年は特例で9日間)鑑真和上像(教科書でご覧になっていると思う)が公開され、それが安置されている御影堂も公開される。(鑑真和上坐像・御影堂障壁画全面特別開扉
この御影堂のふすまに描かれているのが東山魁夷画伯の手になる唐招提寺障壁画である。

過日、およそ30年ぶりに訪ねてみた。気持ちのよい初夏の風の吹く晴れた日。木漏れ日。うぐいすの声。かすかなお線香の香り。東京などの博物館で見られた方には申し訳ないくらい絶好のロケーションの中、お座敷でのんびりゆっくり座ってくつろいで鑑賞。至福の時間。

唐招提寺全障壁画ー東山魁夷小画集(新潮文庫)にはその襖絵が完全収録され、魁夷自身の制作意図や感想などの文章も載せている。

でも、できることなら晴れた週日、自然光の中で、ゆっくり鑑賞していただきたい。五感全てから感動を得られるはずだから
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靖国問題

2005-06-12 | その他
靖国問題

筑摩書房

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『21世紀の今もなお「問題」であり続ける「靖国」。「A級戦犯合祀」「政教分離」「首相参拝」などの諸点については、いまも多くの意見が対立し、その議論は、多くの激しい「思い」を引き起こす。だがその「思い」に共感するだけでは、あるいは「政治的決着」を図るだけでは、なんの解決にもならないだろう。本書では、靖国を具体的な歴史の場に置き直しながら、それが「国家」の装置としてどのような機能と役割を担ってきたのかを明らかにし、犀利な哲学的論理で解決の地平を示す。決定的論考。』

首相のあまりに独善的な態度に驚きあきれ、地元選出国会議員の「A級戦犯は違法な裁判の結果なので無実である」発言には怒り・・・でも靖国神社というもののことをほとんど何も知らないことは確かなので読んでみた。

 のっけから
『靖国神社を汚すくらいなら私自身を百万回殺してください。たった一言靖国神社を罵倒する言葉を聞くだけで、私自身の身が切り裂かれ、全身の血が逆流してあふれだし、それが見渡す限り、戦士達の血の海となって広がっていくのが見えるようです。』に驚く・・・。
これが2002年4月19日に、首相参拝の違憲訴訟の公判で読み上げられたある遺族の陳述書なのである。繰り返すが、2002年である。明治時代から国家がどのように靖国神社を利用し、国家(=天皇)の為に死ぬことが名誉であり、善であると国民を洗脳してきたか、恐ろしいものがある。
 私自身の親戚に戦死したものがいなかったのでこのような考えとは無縁できたが、いまだにこのような考えを語り継いでいる家族もあるのだろう。「小泉首相が靖国神社に行くことはなんら間違っていない」といい続けている安倍晋三のお父さん安倍晋太郎の発言。
『私は、靖国神社が神道であるとか神道でないとかいうことではなくて、私にとりましては、いわば宗教を超えた、これはわれわれと一緒に闘った多くの同胞の英霊が祭られておる社である (中略) 靖国神社に対しては非常に崇敬の心で参拝を続けておるわけです。』(衆議院内閣委員会、1978.8.16) 念のために申し添えるが、総理大臣が一宗教法人である靖国神社に参拝することは合憲ではない。

「犀利な哲学的論理で解決の地平を示す」とされている本書を読んで、かえって深い奈落の底を覗き込んだような暗澹たる気がしてしまったが、国家は国民のためにあるべきであって、国家のために国民はあるわけではないということが基本であろう。国民一人一人の個人の尊厳のためには、国家という枠組みが犠牲になってよいと考える。それが近代である。靖国神社がまたしても戦死の美化に使われることのないよう、憲法改正(?)も含めて、しっかり目を見開いていなければならないのだろうなぁ。

さすがの遺族会も首相に「近隣諸国への配慮」を求めたという。
こちらでどのような論理のすり替えが行われようと、近隣諸国の数千万の人々を死に追いやったのは紛れもない事実なのである。

件のA級戦犯問題であるが、1951年のサンフランシスコ講和条約(日本の主権回復)において日本政府が連合国による戦犯裁判の「判決」を受諾している。これもまた動かせない事実である。
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