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アメリカ先住民の謎は深まるばかりである・・ペルー・イカの線刻石の研究史(8)

2016-06-23 | インカ・ナスカ・古代アンデス




「イカ・線刻石に秘められた謎」のご紹介を続けます。

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              (引用ここから)


先史時代の最大の謎の一つに、アメリカ大陸に、いつどのようにして人類が移住してきたかという問題がある

これについては現在もおおいに議論が分かれている。

従来最も有力なのは、アメリカインディアンの祖先は3万年から2万年前に、当時陸続きで氷結もしていなかったベーリング海峡を渡ってシベリアからアラスカへ移動したという説である。


しかし、この独断的な学説の信ぴょう性が最近揺らぎ始めている。

インディアンの祖先が太平洋を舟で横断していたとするヘイエルダールの説の他にも、さまざまな説が従来の定説に修正を迫っている。

ヘイエルダールはインディアンの伝統的な工法で組み立てたいかだで海流を利用して太平洋と大西洋を横断するという冒険を自らやってのけた。

こうして彼は、東西両半球の間に、海の道による交流があったという大胆な仮説を証明してみせたのである。

つまり、「ベーリング海峡説」だけがアジアの諸民族とアメリカ先住民の文化に類似が見られることを説明する唯一の理論ではないのである。


数年前には、こんなことを言っても嘲笑を買うばかりだった。

「アジア人やエジプト人のいかだと、チチカカ湖周辺のアイマラ族のいかだはよく似ている。

先史時代に彼らの間に交流があったのではないだろうか?」

などと言おうものなら、文化人類学者から総スカンをくったものだった。

それが今では歳月、新発見、関心の広がり、若い研究者たちの自由な発想によって古い学説の基礎がぐらつき始めている。


考古学の発見が増えるたびにアメリカ先住民の起源にまつわる謎はさらに深まっていく。

ほんの数十年前には、「中米最古の高度文明が誕生したのは紀元後2世紀のことである」と言われていた。

それが今では、その年代を数千年遡らせなければならなくなっている。

もっともおそく見積もっても紀元前150年は下らないだろう。


オルメカ文明の発見と、ベリーズでの土器の発見によって、中米に文化が誕生した年代は2000年も遡った。

最近では、ベリーズで発見されたような土器は紀元前3000年ごろにはすでに使用されていたと推測されるようになった。

マヤ文明が極めて高度な文明であることは誰しも認めざるをえないところである。

古典的な学説では、マヤ人の祖先はアジアの遊牧民アメリード族である。

彼らは13000年ほど前の最後の氷河期にベーリング海峡を渡り、北米大陸を経由して中南米へ移動したという。

しかしマヤ人の記録を読めば、彼らが遠方からやって来たことは間違いないにせよ、全く別の方向からだったことは明らかである。

カクチケル族の年代記「ポポル・ヴフ」とマヤの預言書「チラム・バラム」には、「我らの祖先は向こう側から、トゥランと呼ばれる土地へやってきた」。

「我らはトゥランで生まれた」と書かれている。

また別の箇所には、「人々は4つの場所からトゥランへやって来た」とある。


紀元前3000年ごろ、大西洋で地殻変動による大災害が起きたと推測されている。

このときアイスランドでは火山が大爆発を起こした。

地中海の島々にはこの時の破壊と復興の跡が見られる。

津波は南米にも押し寄せただろうか?


ホピ族の言い伝えによれば、その昔、大津波によって太平洋に沈んだ「カスカラ」という大きな島があった。

この「カスカラ」から難を逃れて南米大陸へ渡ってきた人々に先導されて、ホピ族はアンデス沿いに北上して、北米大陸まで移動したという。

この言い伝えによれば、この移動が始まったのは40万年前のことだという。


チリ北部の都市でパイプラインを建設中に、砂漠の中から保存状態の良いミイラが多数みつかった。

年代測定の結果、紀元前6000年頃から紀元前2000年頃のものまであることがわかった。

紀元前6000年といえばエジプトのミイラも遥かに及ばない古さである。

そんな古い時代にミイラ製造技術を取得していたのは、いったいどんな民族だったのだろうか?
従来の学説によれば南米はまだ原始状態だったはずなのだが。

これらのミイラのうち数十体が発掘され、現在チリのタラパカ大学に保管されている。


ミシガン大学の考古学学者グリーンマンも、アメリカ大陸には非常に古くから人類が定住していたと考えている一人である。

彼によれば旧石器時代に、人類はカヤックやカヌーに乗って大西洋を横断していたという。

合衆国西部から、そこが食う石器時代のフロンティアだったことを示す遺物が多数出土していると述べている。


ホピ族の民族起源神話はグリーンマンの説よりさらに挑発的である。

それによればホピ族の祖先は海のかなたにある島々からアメリカ大陸へ渡ってきたのだという。


ホピ族は現在世界ができる以前に、3つの世界が存在したという。

最初の世界はすべてを燃やしつくす火によって破壊された。

ふたつ目の世界は氷に覆われて滅びた。

第三の世界は水中に没したという。

ホピ族はこれらの4つの世界はオライビ地方(サンフランシスコ周辺の丘陵地帯)にあったものと信じている。

ホピ族は現在もオライビ地方に住んでいる。

この地方は北米大陸で最も古くから続く集落がある場所として知られている。

ホピ族のこの神話は、オライビ地方の地理的な位置から解釈することができる。


最初の世界を破壊した火とは、25万年前に起きた火山活動のことかもしれない。

第2の世界を滅ぼした氷とは、10万年前の氷河期のことかもしれない。

第3の世界を滅ぼした水とは、2万5000年前に地球を襲った大洪水のことかもしれない。


インカの古い言い伝えに、パカリモク・ルナ(はじめの人間」ほどの意味)と呼ばれる、洞窟に住む平和的な遊牧民が登場する。

興味深いことに、パカリモク・ルナは白い肌をしていたという。

進化生物学者のリチャード・トンプソンは、次のように述べている。

「ホモ・サピエンスとは別系統の原人とホモ・サピエンスとが、何百万年にもわたって共存していたかもしれない。

人類の発達史はより複雑になってしまうが、これは決して考えられないことではない。


こうした原人も、ごく原始的な石器を作っていたかもしれない。

中央アジアでサルと人間の中間のような動物を見たという報告が相次いでいるが、それによればその生物は石を割って道具を作るという。

実際にこれまでに発掘された骨格化石や石器を見ると、ホモ・サピエンスと原人は想像もつかないほど古い時代から共存していたのだと考えざるをえない。

そしてホモ・サピエンスと原人の手によって、非常に原始的なものからきわめて進化したものまで、様々な石器が同時代に製造されたのだ、と。

更新世中期のアメリカ大陸に道具を作る能力をもった生物が存在したことを証明する遺物がこれだけ出ているのにも関わらず、学会の権威者たちはいまだ、従来の学説に固執している。


1982年、ブラジルで洞窟画が複数発見された。

発掘調査の結果、洞窟内には4つの地層が重なっていることが判明した。

最上部は固い炭化層。

その下の3層は砂まじりの粘土層だった。

最も下の層から石灰とともに哺乳類の化石が発見された。

3か所の研究所で化石を分析したところ、29万4000万年から29万5000万年前のものであるとの結果が出た。

発掘を仕切っていたフランスの考古学者ルムリーは、「従来考えられていたよりずっと早い時期からアメリカ大陸には人類が存在していたものと思われる」と述べている。


            (引用ここまで)

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