始まりに向かって

ホピ・インディアンの思想を中心に、宗教・心理・超心理・民俗・精神世界あれこれ探索しています。ご訪問ありがとうございます。

人類は何かを知っているのだ、だが何を?・・ナスカ・イカの線刻石の研究史(6)

2016-05-29 | インカ・ナスカ・古代アンデス


著者たちは再び、カブレラ博士の元を訪れます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

        *****


      (引用ここから)





博士は我々に直径およそ1メートルの黄色っぽい石を見せてくれた。

重さは200キロ位だろうか?

浮彫のような手法で文様が刻まれている。

博士のコレクションの中でも最も美しいものの一つである。

「この石はとくに念入りに調べました。

ここに1億5000万年前のジェラ期に繁栄していたステゴザウルスの姿が描かれています。

背中にステゴザウルスの体を守っていた剣盤が二列に並んでいるのがはっきりと分かります。

武器の役目をしていた尾の先の4本のとげもはっきりと描かれています。

この石にはステゴザウルスの成長過程が描かれています。

すこし長めの首を持った方が小さい方の恐竜のメスです。

メスの横に子供の変態の様子が描かれています」。


確かに互いに関連のある絵が連続的に描かれている。

始めにオタマジャクシのような姿。

次に後ろ足が生えた姿。

最後にサンショウウオのように四本脚の姿。

「この発見はきめて画期的です。

古生物学者は、恐竜は現在の爬虫類と同じようにして繁殖したと主張しています。

つまり親と同じ姿、卵から生まれてきたと。

これに対して変態は両生類の特徴です。

両生類は孵化したあと、幼生の状態を経て親へと変態するのです。

この石には、恐竜の知られざる成長過程が描かれています。

恐竜の成長過程をつぶさに観察した者でなければこれほど詳細な知識を得られるはずがありません。

この石の浮彫を解読した後、おどろいたことに、ティラノサウルス、パラサウロロフス、ランベオサウルスなど他の恐竜の成長過程を描いた石もみつかりました。

これまでに古生物学の研究成果と一致する恐竜の絵が37種確認されています。

未知の恐竜の絵もたくさんあります。

これらを分類することはできません。

同じ種を描いた複数の石が発見されて、その種について詳しくわかることもあります。

石の一つ一つに驚くべき精密さで変態の一コマ一コマが描かれています。

これらの石には古生物学上の全く新しい知識が含まれています。

これまでに発見された化石からは、この魚の起源がおぼろげにわかる程度だったのです。

これらの石は、石に彫られた動物と石を彫った人間が同時代に存在していた証拠となるだけではありません。

これらは石を彫った人間の知能の高さも明らかに証明しています。

高い知能の持ち主でなければ動物の成長の過程をこのような細密さで描くことなど到底できません。


6300万年前に生息していた巨大コウモリの成長過程を描いた石が、48個みつかっています。

巨大コウモリは、普通の哺乳類と同じように子供を産んで繁殖すると考えられていました。

しかし石にはこの生物が鳥のように卵から産まれる様子が描かれています。

正直言って、私自身、この発見にはたまげました。

イカの石にはわたしが医科大学で教えてきた人類学的・生物学的知識に全く反することが描かれていました。

私としては、従来の学説をもう一度じっくりと考えなおすことを余儀なくされました。

私はあらゆることを問い直し始めました」。


恐竜が地球上に現れたのは2億年以上も前のことである。

しかし人類が恐竜の化石を始めて見たのは20世紀に入ってからのことだ。

最初に発見されたのは歯だったが、最初それはサイの歯の化石とされた。

遠い過去の闇に光が当たるようになるまでには、もう少し時間が必要だった。


太古の地球では激しい地殻変動が頻繁におきていた。

大陸は水没と出現を繰り返していた。

火山は爆発を繰り返し、地殻を揺るがしていた。

生物は環境が変わるたびに適応を余儀なくされ、適応できなかった種は絶滅した。

恐竜はおよそ1億4000万年のあいだ地球に君臨した。

恐竜は幾多の気候変動、大陸移動、地球的なカタストロフィーに耐えて生き延びたのである。

一つの種の平均寿命がたったの400万年しかないことを考えれば2億5000万年を生き延びた恐竜は極めて適応能力の高い種であったといえる。


恐竜は(現在の)人類の誕生のはるか以前に地球上から姿を消していたにもかかわらず、世界中の聖典、神話、伝説にはなぜか恐竜そっくりの怪物が登場する。

竜や巨大な蛇や怪物の姿が、石や着物や布の上に残されている。

竜の神話、伝説は直接的な交流のない世界各国の文明に共通して見られる。

こうした神話・伝説の語り手が恐竜の化石を目にしていたとはとうてい考えられない。

それではこの現象をどう説明したらいいのだろう?

自分の目で見たはずのない大昔の生物をかなりの正確さでイメージするなどということがなぜできたのだろう?

恐竜絶滅の原因を説明できないのと同様に、恐竜が人間のイマジネーションの世界で生き続けた理由も説明しがたい。

多くの研究者が指摘していることだが、恐ろし気な恐竜の絵を見ると、人間はなぜか嫌悪感と同時に魅力を感じる。

恐竜ほど我々人間をとりこにする動物はないのではあるまいか?

さらに、蛇やワニに対して本能的な恐怖感を抱くのはサルと人間だけである。

サルと人間という、近縁の種だけが、大型爬虫類に対して先天的に恐怖心を抱く。

これに対して他の動物は経験によって蛇やワニが危険な敵であることを学習するのである。


霊長類は「なにか」を知っているのだ。

だが何を?



カブレラ博士は続けた。

「アルゼンチンの古生物学者アメジーノは、アルゼンチンの考古学会では高く評価されています。

彼はアルゼンチンのエルモソ山で、先史人類の大腿骨一本と脊柱のかけら1個と頭蓋骨の破片数個を発見しました。

同じ頃、ブエノスアイレス港の工事現場で中新世(2500万年から500万年前まで)に属する地層から人骨が発見されています。

その他の地域からも中新世に属する地層から人骨や道具類の発見が報告されています。

碧玉製のナイフ、石製の金敷きひとつ、飾り玉数個、線刻が施された大きな石の玉数個、石器20個ほどが同じ地層から発見されました。

しかしセンセーショナルだったのは、こうした道具類とともにトクドソン(中新世の草食性哺乳類。約1300万年前に生息していた)の大腿骨が、しかも珪岩性の矢じりが刺さったままの状態で発見されたことです。

古生物学者たちは、これらは人類の遺物であって、けっして進化した類人猿のそれではない、という結論に達しました。

2000万年以上前のアメリカに人類がいたとすれば、しかも彼らが石を打ち欠いたり磨いたりすることができたとすれば、・・ヨーロッパの人類がこのような技術を覚えたのはずっと後のことです・・、アメリカの人類はヨーロッパの人類とは全く違う発達を遂げていたのだと考えざるをえません」。





私たちが「それではアメリカには類人猿はいなかったのですか?」
と尋ねると、博士は答えた。

「いなかった、というのが古生物学者たちの公式見解です。

これまで類人猿の化石は発見されていないのでね。

原類人類(現在のサル類と類人猿の祖先)から原生類人猿であるゴリラ・オランウータン・チンパンジーは進化した。

南米には類人猿はいない。

だから現類人猿も南米にはいなかったというわけです。

これはあくまでも公式見解ですよ。

しかし、この公式見解も数年前から通用しなくなってしまいました。

センセーショナルな発見があったのです。


ある学術調査隊が南米人跡未踏の原生林を探検中に、2頭の巨大類人類に襲われました。

一頭は射殺され、一頭は逃走しました。

射殺された類人類は死んだ後、撮影されました。

調査隊員は死んだ類人猿を椅子に座らせ、倒れないようにつっかえ棒をして写真に撮りました。

それは体長1メートル以上もあるメスで、他の大陸原生類人猿と同じように尾はありませんでした。

そしてそれは他のどの「類人猿」よりも人間に似ていました。

この画期的な発見は類人猿から人類への進化のプロセスがアメリカ大陸で起こったとするテーゼを補強するものです。

射殺された類人猿が人類に非常によく似ていることを考えると、それは進化した類人猿、つまり猿人なのではないかと思えてきます。

もしかしたら猿人の最後の生き残りなのではないかと。

ほかの猿人は化石の形でしか残っていませんからね。


1972年に人類学者クシャリチャードがおよそ280万年前のものと思われる頭蓋骨の化石を発見しました。

その頭蓋骨は原始人類のものととてもよく似ていました。

それよりずっと新しい化石よりも、それはホモサピエンスの頭蓋骨に近い形をしていました。

放射性の年代測定法による測定が行われているので、この化石の年代には異論の余地はありません。

この発見によって人類誕生はそれまでより1万年遡ることになりました。

この年代測定法がアメジーノの時代にあったらよかったのにと時々思いますよ。

彼の言ったとおり2000万年前と判定していたら、人類学にどんな革命が起きたことでしょう?

しかし当時は化石が発見された地層をもとに判断するしか年代測定の方法がなかったのです。


こうしたセンセーショナルな発見が幸運な偶然の賜物であることは、否めません。

クロマニヨン人もネアンデルタール人も、皆そうです。

こうしたわずかな出土品からは、その時代の地球全体の様子は分からないのです。


シュメール以前、つまり紀元前7000年ないし8000年より古い時代のことになると、分かっていることはまだほとんどありません。

先史時代のおぼろげな異名をはっきりさせてくれる発見は、まだあまりにも少ない。

人類学の歴史はまだ始まったばかりなのでしょう。

イカの石は、人類学の新時代に向けてのささやかな一歩にすぎません。

これからの人類学には、どんなものをも拒否しない柔軟な知性が要求されます。


           (引用ここまで)

写真(下)説明文

ベネズエラのジャングルで射殺された類人猿の写真。「南米に類人猿はいない」というのが専門家の一致した意見だが、南米に大型の類人猿が生息していたこと(もしかしたら現在も生息しているかもしれない)をこの写真が証明している。フランシス・デ・ロイス博士によって撮影されたこの写真は、アルゼンチンの自然科学事典にも掲載されている。


           *****

ブログ内関連記事

「グラハム・ハンコック・ダイジェスト(3)・・人類は記憶喪失している」(5)まであり

「大洪水が起きる前、恐竜と人類は共に生きていた・・木内鶴彦さんの証言」

「2012年(6・終)・・オリオンからの訪問者」

「インカ文明展に行ってきた・・4000年の歴史をさかのぼれるか?」


「ナスカの地上絵(1)・・長さ50キロメートルの矢印を眺めたのは誰か?」(3)まであり

「南米大陸の古代文明(1)・・14000年前の人々」

「南米の「白い人」伝説(1)・・ビラコチャは帰ってくる」(3)まであり

「氷河とアメリカ大陸(1)」(3)まであり
http://blog.goo.ne.jp/blue77341/e/29d4d40ef6cf6d4e1879c9549fd0f1b3

「インカ・ナスカ・古代アンデス」カテゴリー全般
「その他先史文明」カテゴリー全般

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 人類は退化の過程を辿ったこ... | トップ | 知床のシマフクロウ あえて... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

インカ・ナスカ・古代アンデス」カテゴリの最新記事