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古代メキシコのオルメカ文明とマヤ文明はどのような関係か、ということを考えているのですが、この二つの文明の関係はいまだはっきりと結論は出ていないようです。
一つの立場は、紀元前1500年前に出現したオルメカ文明がマヤ文明の源である、という立場です。
もうひとつは、マヤ文明には小規模ながら、オルメカ文明と同時期に出現した遺跡もある。
だから、オルメカ文明がマヤ文明の源泉とは言えない、という考えです。
ただ、歴史を跡付けるには決定的になにかが足りないようです。
どのような仮説も、すべての問題点を解くことはできないようです。
では、どうしよう、、と思っているのですが、「マヤの予言の書」というものを読んでみました。
これはスペイン人がやって来てから書かれたもののようで、キリスト教についても言及されています。
「困難な時代が来るが、耐えなければならない」という民族の予言があり、それゆえ、その困難を受け入れなければならない、彼らの深い苦しみの感情を感じました。
また他の文書も同じようなことになっているのですが、すでにキリスト教と同化したかのような、渾然一体とした表現になっていたり、すじが通らないと思われるところもあります。
でも、予言と言えばマヤ、、ということで言えば、これはそのオリジナルの一つだということができると思います。
以下、作家ル・クレジオが仏訳したものの日本語訳「マヤ神話――チラム・バラムの書」から、抜粋して引用させていただきます。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
*****
(引用ここから)
「チラム・バラムによって代弁された真実の神の予言」
これは唯一の神フナブ・ク、13の神、8000倍も偉大な神から、太陽の神官、予言者、チラム・バラムによって説明されるために、地上に下された故事の記録である。
彼らは予言者であった神官ナコム・パラムの家に集められた。
それからチラムの家で予言を受け、予言の重みを知った。
だが、彼らは発せられる予言の意味が分からなかった。
予言者がチラムと呼ばれる理由は、彼が動きまわらず、寝ている家を離れず、そこに寝、止まっているためである。(訳注よりーーマヤ語の“チル”は「寝ている」の意味」)
しかしその家の高みで述べ、その家に座しておられる方の顔も姿も見ることはできなかった。
太陽の神官たちは、チラム・バラムの家に集められた時、予言を受けた。
予言は彼らに及んだが、誰が述べているのか分からなかった。
伝えられるところによると、そのように話したのは、唯一の神、天空の殿フナブ・クだということである。
予言を聞き始めると、神官たちは地にひれ伏し、地べたに額をすりつけた。
第十のカトゥン、プルメリアのカトゥンが始まる日が訪れたことを知らねばならない。
三度の月の満ち欠けの間、ヤシュム鳥すなわちケツァル鳥の羽が現れる。
それから力に満ち満ちた神、九の山々の神、ヤシュム鳥の羽が現れる。
第12年が自らの名を名乗る時、首長たちの中で誰一人として、悔悛の日に気づく者はいないだろう。
その頭は“ジャガー”の頭、その歯は長く、その身体は、うさぎの身体、犬の身体である。
その心臓は槍で刺し貫かれている。
その食物は美味く、その飲み物は甘い。
それはおそらく話しもせず、聞こうともしないだろう。
その言葉は卑猥で、偽りに満ち満ちている。
どこにおいても、大地の最も若い娘たちは守られてはならない。
娘たちはこの国から、さらわれるだろう。
大地の最も若い乙女たち、明日生まれてくる娘たちも、そうなるであろう。
わが若い弟たちよ、兄たちよ、諦めよ。
訪れるカトゥンの不幸の重荷を、甘んじて受けよ。
もし汝らが従わなければ、汝らはその足が根付いた地からさらわれるだろう。
もし汝らが従わなければ、木の幹、草を食んで生きてゆかなければならないだろう。
(引用ここまで・続く)
*****
予言と言えば、マヤやホピが思い浮かびます。。
ホピの予言については、時代精神との関連にも注意を払ってきたつもりですが、マヤの予言もまた、身じろきもできないほど絶望的に重苦しい気配に、押しつぶされそうな気分になります。
マヤの予言とは?
“マヤの予言”と銘打たれた書であるからには、ここには何が記されているのでしょう?
あの2012年まで、あと一年を切りましたが、マヤの心は、今どこにあるのでしょうか?
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マヤ 15件
オルメカ 4件
ケツァルコアトル 11件
メキシコ 15件
ジャガー 4件
うさぎ 5件
ホピ 15件
キリスト 15件
予言 15件
などあります。(重複しています)
一つの立場は、紀元前1500年前に出現したオルメカ文明がマヤ文明の源である、という立場です。
もうひとつは、マヤ文明には小規模ながら、オルメカ文明と同時期に出現した遺跡もある。
だから、オルメカ文明がマヤ文明の源泉とは言えない、という考えです。
ただ、歴史を跡付けるには決定的になにかが足りないようです。
どのような仮説も、すべての問題点を解くことはできないようです。
では、どうしよう、、と思っているのですが、「マヤの予言の書」というものを読んでみました。
これはスペイン人がやって来てから書かれたもののようで、キリスト教についても言及されています。
「困難な時代が来るが、耐えなければならない」という民族の予言があり、それゆえ、その困難を受け入れなければならない、彼らの深い苦しみの感情を感じました。
また他の文書も同じようなことになっているのですが、すでにキリスト教と同化したかのような、渾然一体とした表現になっていたり、すじが通らないと思われるところもあります。
でも、予言と言えばマヤ、、ということで言えば、これはそのオリジナルの一つだということができると思います。
以下、作家ル・クレジオが仏訳したものの日本語訳「マヤ神話――チラム・バラムの書」から、抜粋して引用させていただきます。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
*****
(引用ここから)
「チラム・バラムによって代弁された真実の神の予言」
これは唯一の神フナブ・ク、13の神、8000倍も偉大な神から、太陽の神官、予言者、チラム・バラムによって説明されるために、地上に下された故事の記録である。
彼らは予言者であった神官ナコム・パラムの家に集められた。
それからチラムの家で予言を受け、予言の重みを知った。
だが、彼らは発せられる予言の意味が分からなかった。
予言者がチラムと呼ばれる理由は、彼が動きまわらず、寝ている家を離れず、そこに寝、止まっているためである。(訳注よりーーマヤ語の“チル”は「寝ている」の意味」)
しかしその家の高みで述べ、その家に座しておられる方の顔も姿も見ることはできなかった。
太陽の神官たちは、チラム・バラムの家に集められた時、予言を受けた。
予言は彼らに及んだが、誰が述べているのか分からなかった。
伝えられるところによると、そのように話したのは、唯一の神、天空の殿フナブ・クだということである。
予言を聞き始めると、神官たちは地にひれ伏し、地べたに額をすりつけた。
第十のカトゥン、プルメリアのカトゥンが始まる日が訪れたことを知らねばならない。
三度の月の満ち欠けの間、ヤシュム鳥すなわちケツァル鳥の羽が現れる。
それから力に満ち満ちた神、九の山々の神、ヤシュム鳥の羽が現れる。
第12年が自らの名を名乗る時、首長たちの中で誰一人として、悔悛の日に気づく者はいないだろう。
その頭は“ジャガー”の頭、その歯は長く、その身体は、うさぎの身体、犬の身体である。
その心臓は槍で刺し貫かれている。
その食物は美味く、その飲み物は甘い。
それはおそらく話しもせず、聞こうともしないだろう。
その言葉は卑猥で、偽りに満ち満ちている。
どこにおいても、大地の最も若い娘たちは守られてはならない。
娘たちはこの国から、さらわれるだろう。
大地の最も若い乙女たち、明日生まれてくる娘たちも、そうなるであろう。
わが若い弟たちよ、兄たちよ、諦めよ。
訪れるカトゥンの不幸の重荷を、甘んじて受けよ。
もし汝らが従わなければ、汝らはその足が根付いた地からさらわれるだろう。
もし汝らが従わなければ、木の幹、草を食んで生きてゆかなければならないだろう。
(引用ここまで・続く)
*****
予言と言えば、マヤやホピが思い浮かびます。。
ホピの予言については、時代精神との関連にも注意を払ってきたつもりですが、マヤの予言もまた、身じろきもできないほど絶望的に重苦しい気配に、押しつぶされそうな気分になります。
マヤの予言とは?
“マヤの予言”と銘打たれた書であるからには、ここには何が記されているのでしょう?
あの2012年まで、あと一年を切りましたが、マヤの心は、今どこにあるのでしょうか?
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マヤ 15件
オルメカ 4件
ケツァルコアトル 11件
メキシコ 15件
ジャガー 4件
うさぎ 5件
ホピ 15件
キリスト 15件
予言 15件
などあります。(重複しています)
諸世紀序文 「 わが息子セザール・ノストラダムスへの手紙 」 より
さらにわたしは、これからやってくる時代に対するいいしれぬほどの不安がある。 なぜなら未来の王国はひじょうに異常な形で出現するであろうからである。なぜなら、その法や教義や型というようなものが、現在のものと比べてまったく異なったものになるであろうといえるからである。 それらの予言は今という時代の境界線のなかで、あるいは社会のなかで、あるいは生活様式のなかで限定されてしまい、まちがって理解されてしまうことへの不安もわたしにはあった。はっきりいってしまえば、今の時代ではとうていこれらの予言が叙述するところの世界を信じようとはしないであろうということである。
http://www.ne.jp/asahi/mm/asakura/nostra/proph_text/Preface.htm
なぜなら、この先政府も党派も宗教もきわめて相反した、しかも現在と比べて正反対な変化をするだろうから、もし未来に起こることを叙述しておいたならば、統治にたずさわる人も党派人も宗教人も信者も自分たちの耳慣れた空想とそれがまったく一致しないと気づいて、これから数世紀先に目撃し納得することができるはずのことどもを断罪してしまうからである。
本預言書のどれほど多くの分冊が、長い世紀にわたって隠され、日の目を見なかったことだろう。しかし、この本を読んだ後に、まだ疑いを持つ人々は、火山という存在とそれが引き起こす事態、すなわち人々を焼き尽くしていく様子を見るはめになる。
大自然の炎は空気をなめ、奇怪なる明かりを生み、非常にまぶしく輝く。さながらそれは館の内部を照らす照明装置、閃光を放つクリスタルガラスの火のようである。しかもそれは国際紛争の大元凶でもあるのだ。打ち上げ花火の誤用などではなく、月も太陽も完全に変形させんばかりの衝撃である。それは灰に変わり、まさに我が預言を成就せんと到来するものである
引用終わり
コメントどうもありがとうございます。
ノストラダムスの予言も、解釈が難しい難解な
詩的な表現をとっているところが似ていますね。
また、マヤの思想とキリスト教の類似性について、本書巻末の「解説」にも触れられていました。
・・・・・
マヤ族をキリスト教化しようとするフランシスコ会修道士たちにとって、マヤ族の神官や神託の書は、唾棄すべき残忍な宗教の象徴であった。
だが、マヤ古来の宗教とキリスト教には、いくつかの点で類似した所があり、スペイン人宣教師を不安にさせた。
つまり中心思想の血と犠牲、偶像崇拝、洗礼や堅信礼の儀式、香の使用などがあげられるし、それになによりも十字の印がある。
スペイン人はキリスト教のシンボルである十字架によく似たものを異教徒の土地に発見して、そこにある種の神秘性を感じとっているし、マヤ人の方はマヤ人で、なんとか自分たちの宗教の偶像を守ろうとしたのだ。
この十字の標は恐らく命の木、聖なるケイバの樹を表していたろう。
・・・・・
マヤの思想が、キリスト教と思いがけずに似ていることが、歴史をさらに複雑にしているのだと思いますが、どちらも普遍的な何かを示しているのかもしれませんね。