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地下の秘密トンネル・・ペルー・イカの線刻石の研究史(3)

2016-05-16 | インカ・ナスカ・古代アンデス



コルネリア・ペラトゥ、ベルナント・ロイディンガー共著の「模様石に秘められた謎」をご紹介を続けます。

リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。

航空博物館館長との話は続きます。

        *****

     (引用ここから)

インカの新たなる謎 

航空博物館館長は次に、書類の中から、我々にとある雑誌を選び、読ませてくれた。

「ワスカラン山はペルーのアンデス地方にそびえたつ標高6747メートルの高山である。

インカ時代の輸送路(インカ道)はワスカラン山から北に260キロほど続き、山のなかで途切れている。

この地方では、すでにピサロの時代に堀り広げた入り口がいくつか発見されている。

当時そうした洞窟は貯蔵庫だろうと考えられていた。

最近これら「インカ洞窟」に興味をもった洞窟学者たちが、ケーブルウインチといった現代装備に身を固めて洞窟内部に挑戦し、驚くべき発見をした。

多層構造になっている洞窟の中を進んでいったところ、山脇から62メートル下がった地点で、岩の隔板が出てきた。

この板は高さが8メートル、幅が5メートル、厚さが2・5メートルある巨大なものだが、コロの役目をする石玉の上に乗っているため4人がかりで強く押せば動かすことができる。


壁を越えて進んでいくと、更に驚くべき発見が待っていた。

同じような壁を数枚越えた先に現代の地下工事現場も真っ青の巨大なトンネル構造物が広がっていたのだ。

トンネルは海岸へ向かって伸びている。

トンネルの傾斜は、急傾斜なところでは24パーセントになる。

トンネルの壁には溝をつけてざらざらにした石のタイルが敷き詰められ、すべりどめの役目を果たしている。

そのトンネルの長さは90ないし105キロ、深度は終点の海岸地点では海面下25メートルにも達する。

こんなトンネルを掘るのは現代の技術力をもってしても大事業だ。

ましてや14・5世紀にはどんなに難事業だったことだろう?

ピサロとスペイン副王の魔手から守るため、インカ帝国の人々は財宝をこの地下トンネルを使って疎開させた。

このトンネルは「グアナペの地下トンネル」と呼ばれている。

グアナペとは、トンネルの終点の島の名前である。

トンネルはかつてこの島にまで通じていたと思われるが、現在は海岸線まで到達した地点で終わっている。

トンネルが下降して行く先に投光器の光に照らされて真っ黒な海が見える。

インカ人とその祖先の地下トンネルはどこに通じていたのだろう?

もしかして、失われた文明の宝物庫に通じていたのだろうか?

今となっては誰にも分からない」。


雑誌を読み終わった我々に、館長は言った。

「この地下トンネルは、インカ時代の建造物と共通点などないにも関わらず、インカ人が造ったことになっています。

インカ人にあんなトンネルが造れたはずがないのです。

第一、 建設に必要な道具類がありませんでしたから。

それに建築様式も違います。

しかしインカ人がこのトンネルのことを知っていて、一部利用していたことは事実のようです。

この巨大な地下トンネル網に通じる入り口は、中米から南米のチリやアルゼンチンの至る地域で発見されています。

岩盤を彫り抜いて造られたこうした地下道は、迷路のようにあらゆる方向へ伸びています。

ペルーではこうした地下道はケチュア語で「チンカナス」と呼ばれています。

地下道の調査にあたったのは、おもに各国の将校たちです。

しかし、調査結果に関する各国間の情報交換は、情報機関レベルでさえも行われていません。

現代の地下鉄道をもしのぐこの地下トンネルを作ったのは、インカやプレインカよりはるか昔にこの大陸に栄えていた未知の文明です。

100キロに渡って続くこの地下道が何のために作られたのか、その目的は全く分かっていません。

地下道の大部分は地震によって崩れてしまっていたり、海面下で水没していたりで、調査不可能の状態です。

巨大な岩の板といい、複雑な構造の岩の壁といい、小柄なインディオや彼らの泥小屋や土器とはおよそ結びつきません。

かつてアメリカ大陸には、彼らとは似ても似つかないタイプの人間が住んでいたのではないでしょうか?

1966年に、合衆国デユーク大学海洋学研究チームがリマ西方80キロの地点で水中写真を撮影しました。

水深2000メートルの海中で撮影を行ったところ、非常に古い時代の都市の遺跡が水没していることが判明しました。

写真には象形文字の刻まれた遺跡が泥で覆われた海底に横たわっているのがはっきりと映っていました。

さらに水中探知機で調べたところ、古代遺跡と思われる丘の存在が確認されたとのことです。

カブレラ博士が研究を始める数年前に、イカの石のいくつかはすでに発見されていました。

それらは現在すべて個人所有となっています。

こんにち航空博物館でご覧になった石は間違いなく本物です。

イカの石はシンボルの壮大な集合体ですが、そこから読み取れるメッセージはある種の雑誌が書き立てたがるような〝予言めいた” ものなどではありません。

イカの石に描かれているのは、遠い過去の時代の知識と歴史なのです。

石に描かれた「科学技術」は、現在知られているどの古代文明にもなかったものです。

そこに描かれている人間の姿は、インディオには似ていません。

その体格はインディオのそれとは全く異なっています。

インディオよりずっと大きかったのです。

イカの石には何百万年前に全滅した動物と共に人間の姿が描かれています。

一方、原生動物、犬、猫、サル、馬などの絵は一つも発見されていません。

宇宙人やUFOと解釈できるようなものも描かれていません。

また象形文字やアルファベットのようなものもみつかっていません。イカの石の存在は国際的な考古学界にはまだほとんど知られていない。

これまで2人の世界的権威がイカの石をその目で見、意見をのべただけにとどまっています。

それ以来現在に至るまで、イカの石を巡っては混乱が続いているのです」。




偽造という問題に関して、次のような疑惑がわいてくる。

カブレラ博士の博物館にほんとうにそれほどの石が所蔵されているとすれば、それらすべてに精巧な細工を施したのは誰なのだろう?

なにしろそのカブレラ・コレクションは11000個をくだらないというのだ。

読み書きもろくにできない地元の農民にステゴザウルスとブロントサウルスの違いがわかるはずもない。

イカの石には、複雑な外科手術の様子が精密に描かれている。

彼らがそんなことを知っているはずもない。

ましてや1億年も2億年も前の大陸の分布などを彼らが知っているはずはないのである。

我々は、館長の話を聞きながら、茫漠とした気持ちに襲われた。

 
          (引用ここまで)

写真(下)は同書より。以下のように解説されています。

「イカの石の模写。「機械のような鳥」の頭に、アンテナのようなものがついている。
また階段のようなものが、恐竜に武器を突き刺している人間(おそらく狩りをしているのだろう)に向かって延びている。
彼は縄のようなものを片手で握っている。
下の恐竜の頭の周りには、蛇のようなものが見える。
これが何を意味しているかは不明である」
 

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