「イカ・線刻石に秘められた謎」のご紹介を続けます。
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(引用ここから)
カブレラ博士は言った。
「すべての種と同じように、人類にもかつて様々な種類が存在し、突然変異によって変化していったのです。
たとえばティアワナコ人にはずんぐりとした体形、大きな頭、短い足、長い腕、四本指などの特徴があります。
これらは、イカの石に描かれた人間の特徴と非常によく似ています。
マチュピチュ、サクサイワマン、ティアワナコなどにみられる謎めいた巨石建造物の最古の基礎を築いたのは、おそらくこれら最古の人類だと思われます。
その基礎の上に、それより小さな不揃いな石で比較的単純な作りの建造物が建てられていますが、これはプレ・インカ時代とインカ時代のものです。
わたしはこの現象を「文化的混合」と呼んでいます。
石刻人の進んだ技術と壮大な建造物に、それよりずっと単純なプレ・インカ人とインカの技術と芸術が後から付け足され、混合されたのです。
インカ人にあんな奇跡のような建造物が建てられたと、本当にお考えですか?
彼らには決してできなかったはずです。
現代の技術水準で考えても、どのようなシステムと技術を用いてあのような建造物を作ったのか謎なだけです。
あれほどの巨大な石の塊をどうやってあんな高さにまで積み上げたのでしょう?
漆喰も使わずに石垣を築けるほど正確に石を切るには、どんな道具を使ったのでしょうか?
皆目分かりません。
忘れてならないのは、こうした石垣がこれまでにおきた無数の地震にもびくともしなかったことでしょう。
そんなことはインカ時代の建造物にはありえません。
インカ時代初期の建造物は、技術的にかなり原始的なのですから。
ところが、たいがいの考古学者はこうした巨石建造物はインカ時代のものだと考えています。
技術上の問題は、膨大な労働力と時間を投入することでクリアできたはずだと。
しかしこの理論は、検証のしようがありません。
いくら膨大な労働力と時間をかけても、無理なものは無理です。
あれほどのものをつくるには、技術的なノウハウが必要です。
それだけの技術力が「石刻人」にはあったのです。
それがどこよりも明確にあらわれているのが、マチュピチュの遺跡です。
縦3メートル、横4メートル、重さ100トンもある巨大な基礎石が、完璧に組み上げられています。
インカ人たちはずっと小ぶりで不揃いな切石をその上に積み上げて藁の粗末な小屋を建てて生活していたのです。
これでは、どうにもちぐはぐです。
それなのに考古学者ときたら原始的な藁ぶき小屋の基礎にするために、何者かがあんな巨大な石の塊をアン
デスの頂上まで運んだと言うんですからまったくナンセンスです。
これに対して、イカの石は、文化的混合以前に制作されたものです。
インカ人もこの存在を知っていました。
知っていたのは、支配者とシャーマンやアマウタ(賢人と訳されることが多い。占い師と神官と学者を兼ねたような存在)だけだったかもしれませんが、
アウマタは石刻人の知識を伝える上で大きな役割を果たしていました。
彼らにしてもそれを完全に理解していたわけではありませんでした。
彼らがイカの石から学べたのは彼ら自身の知識水準で理解できることだけで、石に刻まれたシンボルの大半は彼らには解読できませんでした。
それでもイカの石を見ていたため、インカ人もプレ・インカ人も、馬や巨大な動物や舟などの存在を知っていました。
そこへスペイン人が大きな船でやってきて、馬を乗り回し始めたものだから、インカ人は神々が戻って来たと信じ込んでしまいました。
それで彼らは侵入に全く抵抗しなかったのです。
それどころか彼らはスペイン人に帝国各地を見せて回りました。
イカ考古学博物館には、横から見るとモアイそっくりの木彫りが展示されています。
この人物像は、頭に帽子かヘルメットのようなものを被っています。
モアイの頭にもかつて、これと同じようなものが載っていました。
モアイの制作年代は、正確にはわかっていません。
モアイの被り物はずっと以前に壊れてしまい、長い間、モアイの近くに落ちたままになっていました。
最近、モアイの被り物を治す復元作業が行われています。
わたしは不思議に思いました。
ペルーの砂漠や古い墓の中から発見された木彫りとモアイが似ているのはなぜなのか?
それにモアイとイースター島の現在の住民の顔立ちは、全く似ていない。
これはなぜなのかと。
過去に何度も地殻の大変動がおきたのは周知の事実です。
イースター島のモアイとペルーの木彫りとは、あるいはその2つの地域がまだ地続きだった時代に作られたのかもしれません。
古代を解くカギは、今では海底に沈んでいるのではないでしょうか?
木彫りを制作した人々が生きていた古代の時代には、大陸の分布は現在とは全く異なっていたことでしょう。
彼らの特徴と「石刻人」のそれとは非常によく似ています」。
アメリカ大陸の先住民と東南アジア、ポリネシア、メラネシアの住民との間に、人種、道具、習慣、制度などの点で多くの共通点があることは、つとに指摘されている。
したがって、アメリカの先史時代を研究する場合には、大陸の移動という問題をけして忘れてはならない。
イカの石に刻まれた、太古の大陸の分布を示したものと思われる2種類の図を見て以来、我々は太古の大陸に関する従来の定説に疑問を抱くようになった。
地球には5つの大陸と大洋がある、と生徒たちは学校で教えられる。
だがもし2億5000万年前に地理の授業があったなら、まったく違うことが教えられていたはずである。
地球には一つの大洋と一つの大陸がある、と。
現在の5大陸は2億5000万年前には一つに固まっていた。
そしてそのまわりを、果てしなく広い太古の海が囲んでいた。
わずか80年前まで、そんなことは誰も夢にも思わなかった。
イタリアのメローニが唱えた大陸移動説は、当時嘲笑をかっただけだった。
地球はきっちりと繋ぎ合わされた形ある塊ではなく、煮えたぎる巨大なるつぼのようなもので、地球表面はたえず変化しているのだという耳新しい理論に、人々は次第に慣れてきたのだ。
(引用ここまで)
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