ナスカの地上絵について、(株)レッカ社編「マヤ・インカ文明の謎・未解決ファイル」という本では、次のように書かれていました。
リンクは張っておりませんが、アマゾンなどでご購入になれます。
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(引用ここから)
「ナスカでは太陽への感謝のしるし、あるいは雨乞いや豊穣祈願といった類の宗教的な儀式が行われていて、動物などの地上絵はそれと密接に関わっていたのではないか」と考える研究者が多い。
また1997年から行われたドイツの調査では、地上絵の内部につくられていた石造建築物からトウモロコシや貝類が発見され、土器が意図的に割られていた形跡があったことが判明した。
これらの痕跡が発見された場所が、周囲からよく見える位置にあることも明らかになっており、何らかの儀式が行われていたとする根拠とされている。
とはいえこの説についても決定的な証拠は見つかっておらず、やはり仮説の域にとどまっている。
また考古学者のジム・ウッドマンは1973年に、「ナスカ人は気球に乗って地上絵を見ていた」という斬新な説を唱えた。
幾何学模様にも見える無数の線は、気球が離着陸するときの目印であり、「地上絵は高貴な身分の人物に捧げられた贈りもので、彼らが死ぬと空中で葬送の儀式が行われた」のではないかと考えた。
この説はナスカ地方に空気を逃さないほど目がぎっしり詰まった織物の技術が伝わっていることと、軽くて強固なバルサ材がチチカカ湖周辺で採取できることが根拠となっていて、ウッドマンは現地で調達できるこれらの材料だけを使って実際に気球を作成し、飛行に成功している。
気球による飛行は1700年代に初成功したとみられているが、この実験によってナスカ文化でも気球に乗って空を飛ぶことが可能だということが証明された。
俗説ではあるが、中国では三国時代(200年頃)に諸葛孔明が「天灯」という熱気球の一種を発明したとも言われており、その時代にはすでに成立していたナスカ文化で熱気球が使われていた可能性はゼロではない。
しかし実際に気球を使っていたという証拠は発見されていない上、地上にある幾何学的な線は離着陸時の目印にしては多すぎるため、熱気球の信ぴょう性は低い。
「未来の記憶」をはじめ、古代宇宙史に関する多くの著書で有名なエーリッヒ・フォン・デニケンは「ナスカの地上に残された無数の線は、宇宙船が離着陸するための滑走路、もしくは宇宙人に離着陸場所を示すための標識だ」と考えた。
動物の絵も宇宙人に向けて描かれたものだという。
たしかに「フクロウ男」と呼ばれる地上絵には、頭にヘルメットをかぶり、ブーツのようなものをはいた人が描かれており、宇宙服のようにも見える。
この説は否定的に受け取られていたが、20世紀末にNASAが打ち上げた地球観測衛星「ランドサット」が地上900メートルの地点から送ってきた写真をアメリカの物理学者が分析した結果、全長50キロメートルにも及ぶ矢印のような地上絵を発見し、再びデニケンの説が注目されることとなった。
この件に関してNASAから公式見解は発表されていないが、もしかしたら真実に迫る重要な情報が隠されているのかもしれない。
(引用ここまで)
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前の記事の50キロメートルの長さの矢印は、いったい誰が、どのようにして、何のために描いたものなのか、大変興味が引かれます。
これは一つの仮説ですが、地上絵はそうとう巨大な視点から描かれているということは確かだと思います。
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