始まりに向かって

ホピ・インディアンの思想を中心に、宗教・心理・超心理・民俗・精神世界あれこれ探索しています。ご訪問ありがとうございます。

「賢治の学校」の映画をみた

2008-10-01 | 心理学と日々の想い

宮沢賢治の人間観を教育理念として、シュタイナー学校を運営している
東京賢治の学校」という学校が東京・立川にある。

その学校が、“宮沢賢治の教え子たちが語る賢治”というテーマで
DVD11巻を作った。

その中の一本の上映会があったので行ってみた。


東京賢治の学校HP
http://www.tokyokenji-steiner.jp/
カフェオハナHP
http://www.cafe-ohana.com/



賢治は花巻農学校を辞するときにこんな詩を書き残したという。

「この四ヶ年が
 わたくしにどんなに楽しかったか
 わたくしは毎日を
 鳥のやうに教室でうたってくらした
 誓って言ふが
 わたくしはこの仕事で
 疲れをおぼえたことはない」


そんな賢治の思い出を、老人たちがつぎつぎに語っていく。

賢治が花巻農学校で教師をしていたのは
1921年から4年4ヶ月間だった。
当時ローティーンだった生徒たちは撮影当時80代、
現在はご存命の方はおられないという。


      ・・・


「(先生とふたりで川で舟に乗ったとき)
 ちょうど静かな水面にねえ、日が照っているでしょ。
そうして先生も、とっても気持ちがよかったんでしょう。
川の真ん中あたりに行ったときにね、どこにしまってあったんだか、
りんごを出して水の中に入れたんだね。
そうしたところがねえ、トポンとりんごが落ちるでしょう。
日が照るでしょう。
水の中に入ったときのりんごの輝きがね、
ちょうどプリズムで見るように、色が分かれる感じでね。
それを何回も繰り返すんですよ。上げたり下げたり。
はあっ、きれいだ!という、その声がね、
全部同じ声じゃないんだ、喜び方がね。

言葉にあらわせないですよ、あの喜ぶ姿というのは。
本当に、童心というか、天真爛漫といいますかね。
ただただその世界にとけこんでいるもんだから。」

あっけにとられる少年に、賢治は
「泳がねすか?」
と誘いかける。

少年が断ると、賢治はひとりでさっさと泳ぎだす。。

      
      ・・・


そんな映像が2時間続いた。

DVD製作者であり、学校代表の鳥山敏子さんは、
この場面を著書で分析している。

「Tさんがそう話すのを見て、わたしはあっ、この人は
この時先生にまいってしまったんだな、と思った。
なにしろTさんはこれまで会ったことのないおとなに会ってしまったのだから。

賢治のその喜びの姿を見たとき、少年のなかに“大事件”が起きたのだ。
なぜ“大事件”ということばを使うかというと、
「生徒のなかに大事件が起きないような授業は授業ではない」という
以前宮城教育大にいらした林竹二先生のことばが
強くわたしのからだに残っているからである。

人間として生きていくうえで本当に必要なこと、
からだやこころが本質的に求めているもの、
人間の欲や勘定を越えたもの、
それはものすごくたくさん人間のからだのなかにしまいこまれている。

「宇宙の星のかけら」である人間として、わたしたちのからだのなかには
計り知れないなにかがある。
その何かのなかのひとつが賢治の振る舞いを見た瞬間、
T少年のなかで火花を放ったように感じられた。」
    
  鳥山敏子「賢治の学校・・宇宙のこころを感じて生きる」


鳥山氏は30年間の公立校での教員生活に限界を感じ、
1995年自分の願う教育を実践できる学校を
「賢治の学校」として設立した。

鳥山氏にとって、宮沢賢治は、理想の大人であり、理想の教師なのである。
シュタイナー教育なのだけれど、ちょっと一味和風の、
いわばよく咀嚼された“和製シュタイナー教育”のようである。

教育理念は、賢治の次のようなことばに要約されるという。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない
 自我の意識は個人から集団、社会、宇宙としだいに進化する
 この方向は古い聖者の踏みまた教えた道ではないか
 新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
 正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識して
 これに応じて行くことである
 われらは世界のまことの幸福を索ねよう
 求道すでに道である」
      
         「農民芸術概論綱要」


東京賢治の学校は今高校生まで170人の生徒が在籍している。

わたしは母親なので、こどもを育てる中でいろいろなことを
考えたり学 んだりという経験をさせてもらっているのだけれど、
子どもになにをどのように伝えるか、
どうしたら子どもは幸せになるのだろうか、
子どもの人生への親の責任とは、
また子どもを生んだことへの社会に対する責任(しつけ)とは、
といった種々の問題は、本当にむずかしい問題だと思う。

日々至らない自分を反省するばかりである。

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“わたしは生に入れあげている”

2008-10-01 | メディテーション

 
昔々、10代の頃、はじめてのボーイフレンドがわたしに
「僕は人生に恋をしているんだ。」と言った。

彼はわたしを見ながらそう言ったので、それは「僕は君に恋をしている」
という意味なのはよく分かった。

すごくドキドキするよ、というような感じをそういう風に
表現する人だったのだ。

じっさい、学校帰りのデートだったんだもの、わたしもそうだった。

わたしは恋を告げられてはじめて、自分の心と体が出会いがしらに
不用意に出会ったように感じ、戸惑った。

並んで歩きながらソフトクリームを食べても、静かなお店でお茶を飲んでも、
うれしさと同じくらい、困惑と切なさで胸がいっぱいになった。

自分の心とからだと、相手の心とからだは、4つの透明な実体であって、
決してまじわることなく流線型の動きをしているようだった。

生きているということを考えれば考えるほど、どんなにしっかりと
彼が手をつないでくれても、2つの心ははるかかなたに離れている気がした。



その後大学生になって、Oshoを好きになったのは、
Oshoが「わたしは生に入れあげている」と語る人だったからだと思う。

わたしは今度こそ、人生と大恋愛をするすべを知りたいと願った。



「もし神を知りたいと望むならば、できるかぎり全的に(トータルに)、
できるかぎり激烈に、できるかぎり情熱的に生きなければならないのだ。

だれもかれも、ひとりの神になるためにこうしている。
それはあらゆる人の天命に他ならない。
それを延期することはできる。
が、その天命をもみ消すことはできない。

(略)

わたしはあなたからいっさいの人格をとりはらって、
あなたが創造的カオスのなかにおきざりにされるようにしたい。。。
毎瞬毎瞬、人が一定のパターンからではなく
生に対応せざるをえないように。。

(略)

人は未知から未知へと進まなければならない。
それは純粋な冒険なのだ。

古いサニヤス(弟子入り)の概念はひどく生にたいして否定的だった。
しかしわたしの考えは絶対的に生を肯定している。
なにひとつ落とされるべきではない。
すべてが変成されるべきなのだ。

(略)

古いサニヤスは生の一部だけを受け容れて、残りの部分は否定していた。
心は受け入れたけれども体は否定した。
愛は受け入れたがセックスは否定した。
神は受け入れたが世界は否定していた。
しかしそれらはみな一体なのだ。

(略)

わたしのサニヤスは絶対的なまでに生にたいして肯定的だ。
わたしはすっかり生に入れあげている。
わたしのサニヤスはあなたや他のだれかの中にあるものを非難したりしない。
それはあなたをして生のあらゆる限界に気づかせ、
なおかつそうしたすべての限界の中で楽しむことを助けてくれる。

このサニヤスを生そのものとの大恋愛にするがいい。
そして、生をおいて他に神などいはしないのだ。
もし生を見つけることができたら、あなたは神を見出したことになる。」
    
   「反逆のブッダ」p203-206



そう、こんどの恋人は、、、大物だったのだ。。。
彼は、こんなふうに続ける。



「この存在は神聖だと認めた瞬間、多くの夢が実現可能なものになる。
そうしたらあなたは冒険の生を生きることができる。
神とは最大の冒険だ。
最大の巡礼なのだ。

わたしはだれはばからぬ詩人だ。
わたしは自分を神と呼ぶ。
わたしはあなた方を神と呼ぶ。
岩石を神と呼び、樹々を神と呼び、雲を神と呼ぶ。
神といっしょなら、あなたは成長することができる。
神といっしょなら、大津波にも乗ることができる。
それに乗って向こう岸まで行くことができるのだ。

神とはあなたの天命の一瞥(いちべつ)にすぎない。
それによって、あなたは存在に個性をあたえるのだ。

そうなれば、あなたと木とのあいだにあるのは虚空ではない。
そうなれば、あなたと恋人のあいだにあるのは虚空ではない。
神がすべてを橋渡ししているのだ。
神があなたを取り巻き、神があなたの環境となる。
神は内にあり、外にもある。」

       同p242


若い時は過ぎ去ったけれど、(“生”との)大恋愛は終わらない。
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フィンドホーンのダンス

2008-10-01 | 心理学と日々の想い

先日オハナカフェにて、フィンドホーンの集いに参加させていただいた。

数年前、雑誌アネモネではじめてフィンドホーンという所を知ったときは、
心底驚いた。

イギリスの一人の大人しい女性(アイリーン・五児の母)が、
神様のガイダンスを受け取りはじめることになり、
霊的つながりがあると思われるピーター・キャディ氏とかけおちをして、
日々を祈りと労働にささげることになり、
何もない荒地を一大スピリチュアルコミュニティにつくりあげる、、
というニューエイジの伝説的なできごとは、とても興味深く、心踊った。

フィンドホーンHP
http://www.findhorn.org/workshops/japanese/japanese_home.php
オハナカフェHP
http://www.ohanacafe.jp/img/top.img/new_top/left-main02.gif


わたしはフィンドホーンで行われている「セイクリッドダンス」というダンスを
踊ってみたかったので、夢がかなって嬉しかった。



一番印象的だったダンスを図解してみた。

1、二重になって、手をつなぎ、外側の円の人は右回りに、内側の円の  人は左回りに16ステップ歩く。

2、反対回りに16ステップ歩く。(写真1)

3、中心にむかって4歩歩き、次に4歩しりぞく。

4、外円の人が、手をつないだまま、8ステップで内円に入る。
  こうすると、二重の手の輪が、ひものように交差する。(写真2)

5、そのまま右回りに、次は左回りに16ステップ歩く。

6、手をつないだまま、外円の人が内円から手をはずして、後ろに戻る。



2番は、4のところで次のように踊る。


4、外円の人が中心に向かって8ステップ歩く。
  その時、つないだ手を上にあげて、内円の人の輪の上に、もう一つの輪を作る。

5、外円の人が後ろに8ステップで退く。
  その時、内円、外円両方とも、つないだ手をはなし、外円の人は手を上から下に下ろす。(写真3)



   ・・・・・・  
 
手をつないで円になるのは、とても気持ちがよかった。
簡単な動きで、幾何学的な形のエネルギーが作りだされるようで
空間が開かれ、大きな花が生まれたようだった。

花が開くとき、ハートも開くのが感じられた。


会のはじめと終わりに引いたわたしのエンジェルカードは、
「サポート」と「ラブ」だった。

「サポート」を引いたとき、「サポートされる」のかな?ラッキー~。
と思ったのだが、ファシリテーターのまりりーなさんは、「シェアね。」
とおっしゃったのが印象的だった。

そうか、、助けてもらうのではなくて、助け合う、ということなのか、
と考えなおした。


ダンスの他にも、いろいろなゲームなどして、楽しかった。
ゲームは、頭で判断しないで瞬間瞬間を味わう練習なのだろうと思った。
頭の重さをわきによけると、ただ人と共にあることに
シンプルな喜びを感じている、こどものような自分を見出すのだった。

フィンドホーンへの思いは尽きない。。

ハートの喜びを分かち合うひと時をすごさせていただき、
ほんとうにありがとうございました。
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ヴォイスヒーラー渡辺満喜子さんの声

2008-10-01 | 心理学と日々の想い

わたしはひねくれ者なのだろう、、“癒し”ということばになかなかなじめない。
いやし、と聞くとおもわず、いやしいを連想してしまうほど、違和感を感じてしまう。

それは、“癒し”などというものでは決してわたしは満たされることがないであろう、
というほどの、大量の虚無と絶望を、くもの糸のように、
わたしの意識が吐き出し続けているからであろうと分析する。

哀れんでもらわなくて結構。
そんなことはこの世の習いよっ、と息巻くわたしがつねにいる。

そしてわたしは大いなる満足を夢想する。。

そんな愚かなわたしであるが、ヴォイスヒーラー渡邊満喜子さんの声は、いいなあと心底思う。

その声はまるでりりしい大木のように、天と地のあいだをつなぐ声なのだ。

曲のタイトルはこんな感じで。

1、声は天から降り立つ
2、声は大地の息吹となる
3、声は人の心で目覚める
4、声は心を解き放つ
5、声は歌うために立ち上がる
    CD「The Birth of Voice」より

渡邊満喜子HP
http://homepage2.nifty.com/VoiceHealingHarmony/
紹介HP
http://www.mammo.tv/interview/archives/no162.html


この人の歌声は、夫の赴任先のメキシコに滞在中に、土地の息吹にふれることで目覚めはじめ、
帰国後は、野口整体をしているはずみに、溢れはじめた。


「(野口整体の)意識を超えた身体的な動き」のなかで、意識を通さない「声」があらわれる人がたまにいるようで、
私はある日、活元が起こっている最中に勝手に胸郭の両側がうごきだして、
澄んだ美しいソプラノの声をあげた。(略)

初めての「活元」が身体を去ったあと、夢のなかにいるような定まらぬ心地で家路についた。
12月の透明な冷たい空気のなかを運ばれていく自分の身体は、
未知の財宝を隠す手付かずの大地のようであった。

「私とは、いったい誰か?」いぶかしげに自分を見つめるまなざしが生まれ、
初めて異性の愛にめぐりあった少女のように、不思議なときめきがあふれていた。」
      
 渡邊満喜子「聖なる癒しの歌」P,94



そうした内側の感覚と外側の自然から来る感覚は、メキシコに滞在しているあいだ、
常に感じられていたようで、それは、生きとし生けるものとの間に交わされる、深い愛情体験だったという。


「夕方、ひとりで台所に立って、窓から入ってくるかすかな風のなかにいたときのことである。
わたしはおぼろげながら自分がなにかを待っているのを知った。
ふしぎな実感だった。そしてまもなく、それがやってきた。
最初は頬をなぶっていた夕べの微風とほとんど変わらないものだった。
しかしすぐに深い懐かしさが突き上げてきた。
ひんやりとした霊気のなかで、誰かの優しい手が私にふれていると思った。

(略)

優しい不思議な手のひらが触れて癒してくれているのは、
緊張にこわばった私の心であり、身体だった。
不思議な恍惚感が潮のように引くと、今度はせきを切ったように涙があふれてきた。
「おまえはなぜこんなところまで来てしまったのか」
と繰り返し何かが私に問うていた。
「どこから道をまちがえたのだろう」しきりに問い返す自分がいた。
       
 同著p、45


彼女は、生きとし生けるものとたくさんの愛情をかわしながらも、
なお生きることへの恐れを感じる自分を感じて、
なぜそんなにもみずからの「自然」を抑圧してしまったのだろう、
それはなぜかと考えている。

そしてこのように考える。


「自然を飼いならし、自然を従わせることによって多くの生産様式を獲得してきた私たちの文明が、
その底に自然に生きる愛しい者たちを殺戮してきた記憶をもっているなら、
私たちという存在そのものの奥深くにも「殺戮された自然という名の愛しい自分」が
隠されているにちがいない。
私たちが「自我の領域でとらえることのできない自分」に強くひかれながら、
同時に深い抵抗と恐怖を感ずるのはそのためではないだろうか。」
        
同著P,267




これを原罪というならば、わたしは原罪を膝にのせ、
腹をくくって生きてみたい。

また、原罪によって傷を負ったままになっている、むき出しの野生と、
その魂であるならば、わたしはそれらと共に生きてみたい。

ヴォイスヒーラー渡邊さんの声はすばらしい。
だからこそ、安易に“癒されることを求めるのではなく、
なにが人を苦しめ、なにが人を癒すのだろうか、
どのような在り方が芯から人を満たすのだろうかと、
思いをはせつづけたいと思うのだ。
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春分の夜の蝶

2008-10-01 | 心理学と日々の想い



春分の夜は、母の老人ホームに行ってすごした。

いつもは遅くても夕食の準備までには帰宅するのだけれど、
母はいつも、「ここは夜になるとこわいのよ」と言って引き止めたがっていたので、
祝日のこの日は、夕食の準備をはやばやとすませて夕方老人ホームに向かった。

母はこのごろ少し幻覚が出るようで、
夜中に大きな蝶が飛んでくると言って、
おびえたりベッドから下りようとすると、寮母さんから聞いていた。

夜の闇のなかで、母がどんな気持ちでいるのだろうと思った。

蝶は古来、死者の魂の使いと言われているという。

母を訪れるその蝶は、どこから来て、なにを告げようとしているのだろう。

ずいぶん前に新聞で読んで、切り抜いていた石牟礼道子さんの随筆を読み返したくなった。



               *****



              (引用ここから)


   「自分と出会う 石牟礼道子 「ふたりのわたし」」 

                      朝日新聞 1994年12月27日 


いくつばかりだったろう。

母はサフラン畑の手入れをしていて、わたしはその脇に寝かされ、空ゆく雲に見とれていた。

黄金色の霧がときどき目の上を流れた。

蜜を含んだ椿の花粉だったかもしれない。

おおきな椿の木のある丘の上だった。

刻々と変わってゆく空の様相、
その光の彩と影の動きの壮大なこと。

一生を通して、
幾度この時の雲の記憶がわたしを呼び戻したことだろう。(略)


このような年齢のときは、言葉より思念の方が先に育つのであろうか。

というのもその時わたしは

“もう一人の自分”が雲の彩といっしょにやって来て、
地面の上のわたしと入れ替わるのを感じたのである。


それは漠とした悲しみを伴った、
長い旅への出発に似ていた。

母はそばにいたが、天涯孤独な小さな自分を脱け出して、
その魂のようなのがゆく後ろ姿。

どこへそれはゆくのだろう。

彼方の世界にはここらあたりとそっくりなおおきな椿や畑があり、
父母や近所の人たちがいるかもしれない。

けれどもなぜだか少しずつ違うひとみの色をして、

どきどきするような懐かしいことが、
そこにはあるのではないか。

向こうのわたしは、こちらのわたしとまるで似ていて、

心もそっくりで、

今も同じことを考えているのではないか。

わたしはもうひとりの自分とあいたくて切なかった。(略)


こういうわけで天の運行というものは、

人の心の深層をも呼び起こしてゆくものだと、
このごろまた思うことである。

以来わたしは15,6の頃までこの丘にゆき、
夕暮れの雲を見るのが大そう懐かしかった。


陽の落ちてゆくさきは天草島で、

わたしが幼時に眺めて天の神が来て座するのだと信じ込んでいた大岩は、
25年くらい前にダイナマイトを仕かけられて割られ、

そこらには市営住宅が建ち並んでいる。


隣の畑の境木だったあの大椿は切り倒されて、

まわりを囲んでいた椎の林や柏林も今はない。


そして興味深いことに、

わたしの中ではいまだに二人の自分が出たり入ったりしていて、
迷い子になりながらも住み分けをやっているのに気づかされる。


どうやらこれは、
近代的な自我の分裂などとは違うもののようである。

子供心に思っていた彼方とは、
たぶん前世のことではなかったか。

この世にやっては来たものの、
ちゃんと生まれていなかったのかもしれない。

ただそちらの方に、雲の光があるもので、
わたしの二人旅は終わらない。

   
               (引用ここまで)

 
                *****


死者たちのすむ彼岸のくには明るい世界で、
ひとびとがかつてやってきた処であり、また帰ってゆくふるさとだ、

という東洋に昔からある思いは
なんと安らかな、おだやかな思いであろうか。

闇のなかで母のまわりを飛び交うという、おおきな黒い蝶に、
わたしは親愛のきもちを感じた。

きっとその蝶は、いつだって飛んでいるにちがいないと思うのだ。

ただ、エンジン全開で運転している時には、うまく焦点があわない、
たましいの記憶ではないだろうか。

午後9時老人ホームを出るまで、その夜そこには蝶はやってこなかった。



wikipedia「石牟礼道子」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E7%89%9F%E7%A4%BC%E9%81%93%E5%AD%90
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「ア コース イン ミラクルス」を聞きかじって

2008-10-01 | 心理学と日々の想い
 


  あなたは知っている

愛し合う関係がどのようなものか
その記憶は私たちのなかに埋もれている
それがどれほど神聖で
やさしさに満ちあふれ
天国のくちづけで祝福されたものか
また、その愛はすべての人に可能だということも


私たちだれのなかにもその場所はある
だれもがすべてを憶えていて、知っている場所
今はかすかなささやきになってしまったかもしれないけれど
静かに耳を傾ければ
それは今でも聞こえる

愛の名において席巻する狂気
機能不全のパターンや分離、そして怖れ
そうしたことすべての根底に
この古代の叡智は横たわる

私たちは戦いのためにここにいるのではない
聖なる地を地獄にするために地球にいるのではない
お互いを愛しあい、ともに地球で天国を体験するために
私たちは今この時、ここにいる

「聖なる愛を求めて(「奇跡についてのコース」にもとづく愛の実践編)」ジョーン・ガトゥーソ著 大内博訳 まえがきより




「ア コース イン ミラクルス(奇跡についてのコース)」は名前しか知らなかったのだが、受講生であった著者の本書は、そのとてもわかりやすい解説書となっているようだ。

心理学的な洞察とアプローチによって、神秘主義的な境地に到達することが試みられているようで、それが真理であるかどうかは、一人ひとりが判断しなければいけないことであるけれど、心理学的な飢餓感を洞察によって解消することで、「むさぼる愛」、「比べる愛」から、「与える愛」「個我をこえた愛」(聖なる愛)に、自分の愛を発展させることで、あたらしい世界観を拓こうとする試みは、時代の要請にかなっていると思う。

「コース イン ミラクルス」HP
http://www.acim.org/Image/Home/acimlogo_and_words.gif (日本語テキストは来年発刊予定)



「私たちの世界は、なんの意味もないことや重要でもないことで、あっという間にいっぱいになってしまいます。
私たちの考えは本末転倒もよいところで、まるで私たちは狂気と貧欲と憎悪のブラックホールに吸い込まれてしまったようです。

そういう状態にあっても、私たちの内なるスピリットは目を覚ますように、喜びに目覚めるようにと呼びかけています。

私たちがめざすゴールは、毎日毎日の生命の営みのなかに喜びを見出すことであり、いたるところで奇跡を体験することです。」P.118



「あなたの兄弟、姉妹を自分自身として愛する、それがスピリチュアルな現実です。

「聖なる関係」においては、まず自分自身を本当に愛することを学び、それからパートナーを自分と同じように愛することを学びます。
これこそ祝福された行為です。

私たちがこの地球に存在して、それぞれの人生を歩んでいる理由は、お互いを愛するためです。「聖なる関係」は、そこに到達するためのひとつの道なのです。

わたしたちの魂はそれを知っていて、身体をもった「親愛なる魂」との出会いを準備してくれたのです。
それなのに、わたしたちがその計画をぶちこわしにして時間がかかっているというのが実状です。

わたしたちのちっぽけな計画は放棄して、神様が準備してくださっている壮大な計画を受け入れてください。
神様が通れるように、道を譲ればよいのです。

すばらしく、かつ簡単なお祈りを紹介しましょう。
「わたしは道をゆずり、大いなる存在に導いてもらいます」。」P225




「コース イン ミラクルス」は、キリスト意識からのメッセージであるという。
フィンドホーンが、キリスト教と一線を画しているのに比べて、これは、キリスト教文化の中の、ネイティブマインドと言えるだろうか?
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聖なる4色の環・・インディアンスピリットと、ロンゲストウォーク

2008-10-01 | 北米インディアン

北米の「ロンゲストウォーク2」が始まって、もうすぐ一月たつ。

ウォークは、
“All Life is Sacred"(すべての生命は聖なるものである)と語り、
“Clean Up Mother Earth"(母なる地球をきれいにしよう)をスローガンに、沿道のごみを拾いつつ、行進を続けているという。



主催者デニス・バンクス氏の自叙伝「聖なる魂」にこんな言葉があった。

「精神的であることは、宗教的であることとはちがう。それは人間と人間が、人間と自然が、人間と母なる大地が、ひとつの環(サークル)と
なって互いの生命を敬いつつ生きることに他ならない。

インディアンは環の力を信じている。

環(サークル)は、地上に生きるすべてのものが、互いに深くつながりあって生命を営んでいることの象徴である。

それはどこまでも生を肯定する。
だから私たちは、この生命のつながりの環が切れることのないように祈りを捧げるのだ。

宗教の教義にとらわれるのではなく、この生命の環の一部となって、他者を敬い、鳥を、木を、大地を敬うことが、精神性(スピリチュアリティー)の意味するところである。

これがない社会は、たとえそれがアメリカであれ、ヨーロッパであれ、アジアであれ、アフリカであれ、決して正しく社会を運営し、導いていくことはできない。

精神的な基盤のない社会に生きる人間は、ビジョンも方向性も持つことができない。」
  「聖なる魂」P.284より
  参考サイト「メディスンホイール




1978年の「ロンゲストウォーク1」を体験され、現在までネイティブアメリカンの文化の継承に尽力しておられる方がこのほど当時の記録をサイトに作られた。ご紹介者の承諾を得て、紹介したい。

河本和朗氏サイト「1978年ロンゲストウォークへの経過と最初の48時間ノンストップ行進」
http://www.osk.janis.or.jp/~kazkawa/longestwalk1978.htm

「スウェットロッジではいろいろな祈りがなされていました。しかしメディスンマンが求めたのは、最初に合衆国大統領ジミー・カーター氏のために祈ることでした。
メディスンマンは、ジミー氏も子供たちのために自己犠牲を引き受けていることを話し、ジミー氏と白人の健康のために祈ることを求めました。
私は彼らが合衆国や白人に対して憎しみをもっても当然だと思っていました。
しかしメディスンマンが若いインディアンに教えていたのは逆のことでした。」
  同「スウェットロッジセレモニーでのデニス氏との出会い」より



「ロンゲストウォーク」はみずから「ノーウェポン(武器)、ノードラッグス(麻薬)、ノーアルコール」を掲げました。
アメリカにおいては、銃の保持は合法であり、他方では日常的に発砲事件があります。ましてインディアン運動は活動家の射殺事件を経験してきました。
行進が武器をもって襲われる危険は否定できません。にもかかわらず、ノーウェポン(武器)を掲げて、銃の携行と持ち込みを禁じたことは、この行進が積極的に非暴力で行われることを宣言しているということです。
ロンゲストウォークが、非暴力を宣言して行われることはとてもうれしいことでした。」
  同「しだいに現れてきたロンゲストウォークの姿」より



「2月9日はメディスンマン、イーグル・フェザー氏が話をされていた。
「わが孫たちよ。われわれはレッドパワーと言う。
われわれ(インディアン)の肌を切れば、赤い血が流れる。
黒人の肌を切っても、赤い血が流れる。
黄色人の肌を切っても、赤い血が流れる。
白色人の肌を切っても、赤い血が流れる。
それがレッドパワーなのだ。」
これはわたしが思っていたレッドパワーとはまったく異なるものでした。
それまではレッドパワーとは、ネイティブアメリカンの権利の主張だと思っていたのです。
メディスンマンは誰もが持っている自己犠牲の心こそ、レッドパワーだと教えたのです。」
   同「しだいに現れてきたロンゲストウォークの姿」より


「われわれには、方角を示す4つの色がある。
西北東南の方位を示す色は、それぞれ黒、赤、黄、白である。
そして白人が来た。黒人も来た。黄色人も来た。
われわれはこのことをコロンブスが来る前から知っていた。
4つの肌色による聖なる環が、この大陸、亀の島に現れる。
これはわれわれが伝えてきた予言である。」
これを聞いて、ネイティブアメリカンには、その伝統の中に平和へのヴィジョンがあることを知り、大変驚きました。
  同「しだいに現れてきたロンゲストウォークの姿」より




思うに、人類の叡智とは、信頼に値するものなのではないだろうか?

書きとめられた30年前のこれら(ごく一部しか触れていないのですが)の思いは、今も少しも色あせていない。

と言うか、脈々と息づいてきたこれらの思いは、現代のわたしたちのスピリチュアルな世界観の、基本的な感性をつちかっているものと、同質であると言えないだろうか?

今、再度このムーブメントが世界に問いかけていることは、何なのだろうか?




世界民族の4色と聞いて、日本の阿蘇の幣立神社をちらっと思い出した。
そこでは、人類は白、緑、赤、黄、黒の五色で表され、祭りでは、5色の神々が集い、地球の安泰を祈るという。
古事記以前の系譜として、研究が待たれるところであるが、地球という観点から人類をとらえるスケールの大きさは、日本人ばなれしている。
もしかしたら、日本人も、古来はこれくらいのスケールだったのかもしれない。。
 参考サイト「日本人ルーツ考4」


先日より日本には、マヤ神官が、ネイティブアメリカンのメディスンマンと共に訪日され、沖縄の聖地や伊勢神宮、富士に祈りの場を持たれていると聞く。



大きな視野に立ち、マザーアース母なる地球と、思いを通じることが求められているのだと思う。

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すべての命は聖なるもの・・ロンゲストウォーク2が始まった

2008-10-01 | 北米インディアン

2月11日、北米で「ロンゲストウォーク2」という催しが始まったという。

7000キロの道のりを、地球の平和を祈りつつ歩くという催しである。

主催者のデニス・バンクス氏はアメリカン・インディアン・ムーブメント(AIM)の提唱者。

「“すべてのいのちは聖なるものである”というメッセージを運んで行くのがわれわれの主目的です。
生きとし生けるすべてのものに対し、われわれは関わりがあり、人間と聖なる地球との間に存在する繊細なバランスを維持する必要があるからです」、という。

デニス・バンクス情報
http://www.rakuten.co.jp/supersmith/1850514/
Longest Walk2
http://longestwalk.org/index.php?option=com_frontpage&Itemid=106
北山耕平氏ブログ
http://native.way-nifty.com/native_heart/2007/11/post_c835.html



「ロンゲストウォーク1」は、1978年、今から30年前に行われた。

「北米先住民に残された統治権を守るという約定を廃棄する」という「11か条の法案」に対する抗議行動として、ネイティブアメリカン自ら立ち上がって行った平和的アクションだったというが、全米のみならず、世界的に大きな反響をよんだという。
わたしはその頃学生になりたてだったが、そのムーブメントのことは記憶にあるように思う。



生存への行進」というムーブメントもあった。
これは日本版ロンゲストウォークという感じで、わたしでも参加できそうな感じであった。
例によってわたしは参加しなかったのだけれど、チラシを受け取っただけで、魂が爆発しそうになったことを忘れられない。

「生存への行進」は、現在は有機農業の八百屋をしておられる大友映男氏の主催であった。

やさい村HP
http://yasaimura.seesaa.net/

2007年春に行われた島根から六ヶ所村への行進「Walk9」も、同系列ではないだろうか?


1988年の「いのちの祭り」には、デニス・バンクス氏はじめ先住民の方々が、「大地といのちのためのランニング“セイクリッドラン”」(広島からアイヌモシリ幌延まで)のイベントで日本を訪れたという。

有名なホピインディアンのドキュメント映画「ホピの予言」が完成したのが1986年。

監督の宮田雪氏は1978年の「ロンゲストウォーク1」に参加されて、以後の人生をインディアンとともに生きることを決断されたという。

「ホピの予言」公式HP
http://www.h6.dion.ne.jp/~hopiland/top.jpg

寝袋をかついで、仲間とともに、地球に祈りをささげながら歩くという、歩く瞑想者たちのことを思うと、“遊行(僧侶が諸国をめぐりあるくこと)”という言葉を思い出す。



今、行われている「ロンゲストウォーク2」は、5ヶ月後の7月に、ワシントンDCに到着するという。日本からの参加者も多い。
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「酋長シアトルからのメッセージ」を読む・・祖先たちの声

2008-10-01 | 北米インディアン
 
 (略)
「遠い祖先たちの声は、わたしにこう語った。
 小川や大川をきらめき流れていく水は、ただの水ではない、
 お前たちの祖父のまた祖父たちの血でもある。
 すきとおった湖水のなかのおぼろな面影は、
 わが一族のいのちの営みの記憶をものがたる。
 せせらぎの音は、おまえの祖母のまた祖母たちの声よ。
 川はわれらのカヌーを運び、またわれらの子らを養う。
 おまえも川にやさしくあれよ、
 兄弟たちにやさしくあるのと同じように。

  (略)
 聞いていただきたい、わたしの声を、わたしの祖先たちの声を、
 と、酋長シアトルはいった。
 あなたがた白人の宿命は、わたしたちには測りがたい。
 なにが起きるだろうか、バッファローが殺しつくされたときに?
 野生の馬がみな、かいならされてしまったときに?
 なにが起きるだろうか、森の秘密のすみずみまで、
 人間のにおいで満たされてしまったときに?

  (略)
 わたしたちはこの地を愛している、
 生まれたばかりの赤ん坊が母の鼓動を愛するように。
 わたしたちの土地を買い取られるならば、
 わたしたちと同じに、この地を大切になされよ。
 この地の秘める思い出を、心にとどめおかれよ、
 この地を受け取られたならば。
 あなたがたの子どものまた子どもたちのために、
 大地や大気や川を、いつくしみ守られるように。
 そしてわたしたちが愛してきたと同じに、この地を愛されるように。


  「ブラザーイーグル、シスタースカイーー酋長シアトルからのメッセージ」徳岡久生、中西敏夫訳 JULA出版社




この本は、1850年代の中ごろ、アメリカがイギリスの植民地から独立し、国家として拡大を続けた時代に、白人たちに追い詰められ疲弊した一インディアン部族の酋長が、彼らの土地を白人に譲るためのテーブルで語った言葉として伝えられた言葉を記したものです。

もとの言葉は手紙だったのか演説だったのかわからないのですが、彼をよく知っていたヘンリーAスミス博士によって書き写されたものだということです。


今生きているネイティブの方たちの土地と、魂の自由が守られますように、祈ります。


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叱られました。。

2008-10-01 | メディテーション


ゆうべ寝るとき、呼吸に意識を向けていたら、いつの間にか、明るい空間に出た。

そしてわたしのまわりの人間関係が、大空をハングライダーで飛行している人たちのように、わたしのまわりにマンダラ的に広がったかたちで見せてもらえた。

やっぱり、そうなんだ。。
やっぱり、在るべくして在るんだ。。
出会うべくして、出会っている。。

今あるそのままが、読み取るべき神秘の答えなんですね?

そしてそして、それは生きることが許された神秘であり。。


少し悩んでいることがあったので、そのことを思い浮かべてみたら、、しかられました。。

「思い違いをしていますね。とんでもない思い違いです。」と言われました。


言われてみたら、本当にわたしが間違っていることは一目瞭然で、よく分かった。

ああ、ごめんなさい。ごめんなさい。。

ありがとうございます
ありがとうございます。

そうとしか、言えなかった。

からだが細かい細かい砂粒になったようで、戻ってきて、いつまでも小さな震えがとまらなかった。
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「無」のカードを引く

2008-10-01 | メディテーション

八月の終り頃、グリンプス禅タロットのクラスに行ったとき、「無」のカードを引いた。

漆黒のカードを手にし、勢いづいていた心が、一瞬止まった。

Oshoの、“Ok,enough..(充分だ、これでいい)”という声が、わたしを包んだ。

わたしは満たされ、そうだ、充分なのだ と理解した。

常にenoughである“それ”

常に過不足なく現前している“それ”

その優美さを、わたしはいつも自分のtoo muchな過剰な性急さでぶち壊し、わからなくしてしまう。。

わたしのなかのどこかのエンジンが止まり、また別のどこかのエンジンが始動するのを感じた。

なにかを求めるとき、人は卑しくなる。

なにかを求めないとき、人は鈍くなる。

そのどちらでもない状態にチューニングしていたいと、わたしは痛切に思うのだ。

「無」のカードの解説のページには、このように書いてあった。


        ***

「はじめに自然があり、おわりに自然がある。
 だとしたら、なぜ、その中間でそんなに大騒ぎするのかね?
 なぜ、その中間で、そんなに心配し、そんなに気をもみ、そんなに野心を抱くのかね?
 なぜ、そんなに絶望をつくりだすのかね?
 無から無へ、それが旅のすべてだ。」
        「Take it easy」 Osho



「『隙間の中』にいると、方向を見失い、怖くなることすらあります。しがみつくものはなにひとつなく、方向感覚もなく、この先にどのような選択と可能性が待ち受けているのか、そのヒントすらつかめません。しかし、宇宙が創造される以前から存在していたのは、まさに純粋な潜在能力という、この状態だったのです。今あなたにできることは、この無のなかへとリラックスしていくことだけです。
言葉と言葉のあいだにある、この沈黙のなかへと落ちること。
出て行く息と入ってくる息の中間にある、この隙間を見守ることです。
そしてその体験の空っぽの瞬間を、ひとつひとつ大切にしましょう。
神聖ななにかが、まさに生まれようとしています。」


        ***


そうだ、隙間だ。出て行く息と入ってくる息の、隙間。

なにも変えずに、すべてが変わるポイント。

有ることの隙間にある 無いこと

有ることを成り立たせている 無いこと

この世の中にある あの世

こちらの中のあちら

あちら、と指させない あちら

こちら、と名乗れない こちら

遠くて、親密なもの

魂の飢えと乾きを満たす源泉への通路

昔仲間うちでおしゃべりしていた時、ふと しんとしたとき、誰ともなく「あ、バグワン(Osho)が来た。。」と言って顔を見合わせたけれど、そう表現してもいい なにか。

そう表現しなくてもいい なにか。

季節は夏から秋に、それから冬へと過ぎてゆき、わたしは虫取り網を持ったこどものように、次から次へと 面白いものを追いかけて生きている。

奇跡のように美しいこの世界。

かつて生起し、そして消滅したものごと、そしてこれから生起し、やがて消滅するものごと。

すべてが息をのむほど美しいと思う。
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「ガイアシンフォニー5番」を観た

2008-10-01 | アセンション
ふとチラシを手渡していただいたのがご縁で、今日は有名なこの映画シリーズを初めて観た。 ガイアシンフォニー5番,である。

「すべての存在はつながっている」、が副題なのだろうか、たくさんの登場人物(自然探検家が多い)の半生のドキュメントと、何人かの故人となった登場人物と、何人かの無名の人々と、あと各地の神社の神事の映像が、ひじょうに複雑にからまりあって流れた。

ずいぶん観念的な、作りこまれた映画だなあ、というのが第一印象だが、これは「現代のバイブル」あるいはその「バイブルのビジュアル版」のようなものなのだろうとも思った。

このとてもはっきりした自然観を主張する映画は、今の時代の信念の潮流をつくっているものを集約して表現しているのだろう。

時の潮の流れの、、潮のいきおいの強さが、ガイアーー魂としての地球ーーと共振し、ガイアを呼び起こしているのだろうか、、いや、、ガイアを呼び起こしているから、時の流れをつくることに成功しているのだろうか。。

音楽と映像のくみあわせは、ちょっと意図的でくどいようにも思ったが、それはさておき、こういう映画を広めつつ、仲間意識をもって生きるのは、すばらしい人生だ、という考えに落ち着いた。

登場人物に共通するのは、物質でもあり、魂でもあるこの世界、、その見えつ隠れつする、物質と魂のあわいの様相をじっと見据えるまなざしだ。
つまり、ガイアを見据えるまなざしである。


むかしは自分(達)の理想郷を望むことは、自分(達)が属していない世間に対抗し、肩で風切って歩くことだった。

それに比べて、今の若いひとたちは、なんと成熟していることだろうか!

こんなに思想性にみちた映画を、落ち着いて、興奮も逆上もせず、秘密めかせもせず、日常の中で上映して、その思想を世間に広めていくことに成功しているんだ。。

じつに大人だ。

これが“今”の、あかぬけたスピリチュアル(スピリチュアリティー)なんだあ。。といたく感心したのだった。


主催しておられたのが、自然育児のサークルの方だったので、映画館には、乳幼児を抱いた若い父母の方がたが多かった。

画面近くの客席は椅子でなく、床にタオルをしいて座れるようにあつらえてあったので、おさな児をともなった若いご家族方の、砂浜でくつろいでいるようなリラックスしたシルエットが、映画の映像に勝るとも劣らないメッセージをたたえて、ひじょうに美しく、印象的だった。

よいひとときをありがとうございました。
どうぞ、またお声かけてくださいね!



ガイアシンフォニー五番公式HP

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先住民族サミット・・あれからどうなった?(2)

2008-10-01 | アイヌ


前回に続き、「先住民族サミット宣言文」です。

人類が自然を操り支配できるという考えは誤りであると考える・・・なかなかすてきだと思うのですが。。

これだけのことが行われ、これだけの宣言が採択されたということが、ほとんど世界に知られていないということは、じつに世界の情報が片寄っているということを示しているのではないでしょうか?

これからも、世界でサミットが開かれる度に、先住民族もまたサミットを開き、彼らの視点からの彼ら自身の言葉を発していくことが採択されました。

これからの世界に必要なことだと思います。

彼らがなによりも大切にしている、“世界のバランスを保つ”ために。


        *****


我々の抱える問題と懸念


我々は、この地球の現状にかんして多大な懸念を抱いている。

「母なる自然」は我々を育んでくれる。

我々は、G8 諸国によって促進される「人類が自然を操り支配できる」という考えに基づいた経済成長モデルと近代化は誤りであると考える。

この支配的思考と実践が、気候変動、世界的食料危機、石油価格高騰を招いた原因である。

貧困や、富を持つ者と持たぬ者の格差を拡大し、平和への道を見えなくするこれらの問題は、正にG8 諸国が今回の北海道サミットで取り組もうとしているものである。


我々の抱える問題と懸念は以下の通りである。(略)



G 8 への我々先住民族からの提言


我々の価値観は、互いへの敬意、母なる地球への敬意、そして私達の家族、共同体であり、我々が繋がる全ての生命体への敬意に基づいている。

我々の宇宙観と哲学、伝統的な暮らし、持続可能な消費手段、生き方は、持続可能な世界に繋がる最も効果的な道筋であると考える。

悲しくも、極度に商業化、個別化された消費・個人主義的な世界の中で、我々の価値観は本来それらに取って代わるものとして、先住民族のためだけではなく、その他全ての人類のための指針となりうるにも関わらず、主流から排除されている。


従って、我々はG8 に以下の22 項目を実行するように求める。



1.先住民族の権利に関する国際連合宣言を効果的に実行し、先住民族に影響する政府開発援助、投資、政策、そして計画には、この宣言を主要な枠組みとして利用すること。

2.カナダ、アメリカ合衆国、そしてロシア政府は、それぞれの国の先住民族が、先住民族の権利に関する国際連合宣言を採択するよう各国政府に要求していることを尊重すること。
そして、ニュージーランド、オーストラリア両政府が同様に採択するよう圧力をかけること。

3.国連による「気候変動枠組条約」(UNFCCC)の全ての過程に先住民族の効果的な参加を確保し、促進すること。
そして地域的な気候変動影響緩和と適応策についての先住民族の作業部会を設立すること。

4.気候変動の緩和対策が先住民族とその共同体に及ぼす悪影響について、先住民族との共同査定と評価を行い、この問題に取り組む為の行動をとること。

5.再生可能なエネルギー資源の一部としての巨大水力発電ダムを排除し、またそれらへの資金提供を停止すること。

原子力エネルギーをクリーン・エネルギーとしてとらえる提案を拒絶すること。

6.我々先住民族共同体における、小規模、地方で管理がなされる太陽熱、風力、水力と潮力を用いた再生可能なエネルギー計画の発展を、技術的そして財政的援助を通じて推進、協力すること。

7.島嶼諸国や海抜の低い沿岸地域の水没、永久凍土層の融解による土地の浸食と破壊、強力な台風とハリケーンや干ばつによる砂漠化など、気候変動の影響のために自分達の国を強制的に去らなくてはいけない先住民族の移住を可能にするため移民法を改正すること。

8.森林や水域の持続可能な管理と利用、そして生物多様性の維持を確保するための我々の生物的資源の保全など、先住民族が世界に提供している環境のサービス(安全な大気、安全な水、肥沃な土壌など)への対価として、企業、政府が財政上や他の手段を通じて、我々に補償するよう求めるキャンペーンのために財政的な支援を提供すること。

9.我々の食物に対する権利、我々の伝統的な暮らしの実践の権利、そして自己決定による発展の権利を保護し、尊重し、確保すること。


これは以下のことを意味する。

我々の食料資源として輪作、放牧、狩猟、採集、そして罠による狩猟、高地での農耕、海洋、沿岸地域での暮らし、手工芸品の発展などの伝統的な暮らしと生業用資源を我々が管理し、アクセスを保証することを確保すること。

我々先住民族共同体への、多額の助成金による安価な農産物のダンピング輸出を停止
すること。

我々の土地におけるバイオ燃料の生産拡大にたいして、我々の自由で事前の十分な情報を得た上での同意がない限りでは、猶予期間を設けること。

食料価格への投機を厳しく抑制すること。

食料カルテルとシンジケートによる食料の買い占めを犯罪とすること。


10.我々先住民族共同体での科学物質集約的な工業型農業の促進を止めること。
そして、我々の土地での遺伝子組み換え種の頒布を止めること。
禁止されている有害な化学物質と農薬、殺虫剤の先住民族共同体、特に開発途上国での、現在続いている利用と輸出を禁止し、処罰すること。

11.先住民族共同体における、先住民族の自由で事前の十分な情報を得た上での同意を得ずして、鉱物、石油、ガス、石炭等を採掘することに関与している多国籍企業の参入促進を停止すること。

我々の領土における環境破壊に関与し、我々の人権を迫害し続けるG8諸
国からの企業は、正義に照らして処断され、彼らが環境汚染しもしくは損害を与えた共同体への補償責任を要求されるべきである。

12.先住民族共同体における軍事化、超法規的殺害に反対する先住民族の運動を支援し、先住民族活動家のテロリスト扱いを速やかに止めること。
破壊的な開発プロジェクトや政策に対するわれわれ先住民族の正当な抵抗を抑制する目的での国家安全保障法や対テロリスト法の適用を止めることを求める。

13.国家による我々の権利侵害に対する異義申し立てを、国際連合の条約機関や、米州人権裁判所(Inter-American Court of HumanRights), アフリカ民族人権委員会(the AfricanCommission on Peoples and Human Rights )ヨーロッパ人権委員会(European Commissionon Human Rights)といった地域人権委員会や人権裁判所へ訴える活動に対し、技術的、財政的支援を通じて支援すること。

14.「アセアン人権憲章」(ASEAN (Association of South East Asian Nations) Charteron Human Rights)に「先住民族の権利に関する国連宣言」を盛り込むことを支持し、これが新設されたアセアン人権委員会の不可分の一部となることを確保すること。

15.我々先住民族共同体においてさらなる文化センターや博物館設立へ支援を提供すること。

多文化教育、二言語教育、先住民族の伝統的な口承教授法ならびに学びと知識獲得に関するローカルな方式を尊重することを通じて学習ならびに教育方法を利用すること。

先住民族言語を教授する言語コース利用を促進する教育機関やプログラムの設立に支援を提供すること。

16.先住民族の精神文化と先住民性の実践、伝承、そして維持という我々の人権と世代間への責任を認識し、伝統言語や慣習、儀式や儀礼を通じて未来の世代へ神聖なるものを残しそれらの継続を保証するための先住民族の聖地の保護を実行すること。

17.バイオテクノロジー企業、文化産業、国家、個人としての科学者や研究者による、先住民族の伝統的な知識、文化的表現(先住民族のデザイン、美術、工芸品、歌、音楽を含む)、人間の遺伝子資源を含む生物遺伝子資源等の盗用と略奪行為を差し止めること。

18.先住民族の集団的な伝統的知識や文化表現を尊重し保護するため、世界貿易機構(WTO)の「知的所有権の貿易関連の側面に関する協定」(Trade Related Aspects of IntellectualProperty Rights Agreement(TRIPS))や、世界知的所有権機関(WIPO)の「実体特許法」を含む国家の知的財産権に関する法律および知的所有権制度を改正すること。

19.核拡散ならびに劣化ウラン弾の兵器としての使用を差し止めること。
先住民族の土地において、放射性廃棄物の投棄ならびに他の有害廃棄物の投棄を差し止めること。

20.先住民族女性として、先住民族女性、マイノリティ女性ならびに全ての女性に対する差別や暴力を廃絶するために、我々はG8各国に対し、「女性差別撤廃条約」(Convention onthe Elimination of All Forms of Discrimination against Women)の実施を強く支持することを求める。

21.先住民族の土地からアメリカ合衆国の軍事基地を撤去させ、先住民族女性に対するレイプの容疑をかけられた軍人を裁くことを求める。
また、先住民族の青年に向けての軍隊への強制的徴兵や募集を差し止めること。


22.日本政府がアイヌ民族と協力して「先住民族の権利に関する国連宣言」を国内法として遂行し、実施することを強く奨励する。

さらにアイヌ民族を先住民族として認知した決議を敷衍し明確化するため、具体的な活動や政策改正を行うこと。

我々はまた、この決議をさらに履行する目的で設立された有識者懇談会の委員8 名の中にアイヌ民族が1 名しか含まれていないことに抗議する。
我々は日本政府に対し、この有識者懇談会のアイヌ委員の数を増加するよう求める。



先住民族自身への提言


我々はまた、先住民族として「先住民族の権利に関する国連宣言」を実施し、先住民族間ならびに他の支援団体やNGO との連帯の強化について議論を行い以下の点を確認した。


1. 将来に向けてG8 サミットと連動して先住民族サミットを開催する任務を継続するために先住民族によるネットワークを設立する。

カナダ先住民族に対しては2010 年カナダで開催のG8 サミットに向けて、先住民族サミットの開催を実現する組織づくりを促す。
我々はまた、イタリアにおいて先住民族の権利回復に取り組む諸団体に対して、2009 年イタリアで開催のG8 サミットと連動した先住民族サミットの開催を試みるよう促す。

2. 世界中の先住民族として我々は、「先住民族の権利に関する宣言」を自ら実施する責任を担い、本宣言がローカル、国内、地域、国際的レベルで効果的に実施される方法について議論すべく、国家、国連システム、他の政府間機関とともに、建設的な対話を持つことを確保する。

3. 「先住民族の権利に関する国連宣言」が上記の各主体によって実施されることを監視し確保するメカニズムとして、国連の先住民族問題常設フォーラム、先住民族の権利に関する専門家メカニズム、先住民族の権利と基本的自由の状況に関する特別報告者を利用する。

4. 「先住民族の権利に関する国連宣言」の広範な普及を行うため、マルチメディアの活用、先住民族が理解できる言語への本宣言の翻訳、その要点を簡単に伝えることができる汎用版の作成などを行う。

5. 「先住民族の権利に関する国連宣言」が幼児教育から高等教育までの学校に於ける教育カリキュラムの一部として取り入れられよう働きかける。

6. 世界から先住民族の言語を消滅するのを止めるため、マオリやその他の民族の経験を活かし、先住民族が自分の言語を流暢に話せる方法を学ぶ場所である「言語の巣学校」を設立し、模範とする。

7. 先住民族のための教育や勉強会を推進し、先住民族が「先住民族の権利に関する国連宣言」の概要をより深く理解し、また国家が「先住民族の権利に関する国連宣言」を履行しない場合に懸念を申し立てる国連、地域の人権機構と、裁判所などの既存の文書やメカニズムについて学ぶ事ができるようにする。

8. 先住民族問題を聴聞し取り組むとともに、国内法および国際法のもとで、先住民族問題が十分に扱われていない事項を審理する為の国際法廷を設置する。

9. 先住民族が自ら決めた開発のビジョンに沿って伝統的な暮らしや美術、手工芸品、その他の開発の形態を確立し強化しようとするイニシアティブを支援するため、先住民族グリーン基金を設立する。

10. 先住民族が所有し運営する文化センターを、国および自治体の管轄内に設置することにより、文化史を実践し、享受する基本的権利、および文化的遺産を自ら守り、享受する先住民族の権利を支持する。

11. 土地をめぐる裁判での先住民族の闘争および森林や伝統的な土地を先住民族の所有と管理の元に取り戻すための先住民族の闘争を支援る。



「先住民族の権利に関する国連宣言」の履行は、先住民族のみならずその他の人々や地球にとっても良いことである。

先住民族が地球に、そして親族―人間だけではなく植物、動物、その他の全ての生き物―に持続可能に配慮するやり方を続けられれば、これは全体への恩恵となる。

我々が民族の言語を話し、この多様な文化を持ち続けられたなら、世界の文化遺産はより豊かになるであろう。

我々の多様な経済的、文化的、精神的、社会的、政治的システムが支配システムと共存できれば、我々の子供に、そして次世代の子供への文化遺産はより豊かになるであろう。

我々の多様な経済的、文化的、精神的、社会的、政治的システムが支配システムと共存できれば、我々の子供に、そして次世代の子供に、さらに多様で希望に満ちた未来を残すことが可能である。


2008 年7 月4 日、以下の参加者の同意の下で本宣言がなされた。

アジア:
アイヌ(日本): 宇梶静江、萱野志朗、秋辺日出男、島崎直美、結城幸司、酒井美直、木幡カムイサニヒ、木幡弘文、ヒロトゥレシ(川上裕子)、酒井厚司
アミ(台湾):オラム・シン
イゴロット(フィリピン):国連先住民族問題常設フォーラム議長ヴィクトリア・タウリ・コープス
カナカナイ(フィリピン):ジョアン・カーリング
ジュマ(バングラディシュ):ディプティ
太平洋:
チャモロ(グアム):ファナイ・カストロ
ハワイ:プアナニ・バージェス、プアエナ・バージェス
ナティ・マニアポト(マオリ、アオテアロア):ホヘパ・ラウプト
ナティ・ランギヌイ、ナティ・トゥッワレトア(マオリ、アオテアロア):ザック・ビシャラ
ナ・プヒ、ナティ・カフ、テ・ララワ(マオリ、アオテアロア):エディ・ウォーカー
ナイタフ(マオリ、アオテアロア):ステーヴン・ケント
タラナキ、テ・アティ・アワ、ナティ・マニアポト、テ・アティ・ハウヌイ・ア・パパランギ(マオリ、アオテアロア):リアナ・プートゥー
ウチナンチュ(日本):ナカイマ・ケンタ
ヨータ・ヨータ(オーストラリア):ウェイン・アトキンソン
ヨーロッパ:
サーミ(ノルウェー):マグネ・オヴェ・ヴァルシ
米州諸国:
マヤ・カチケル(グアテマラ):ロサリーナ・トゥユック
ミスキート(ニカラグア):ロス・カニングハム
ナワァ(メキシコ):マルコス・マチアス・アロンソ
チェロキー(アメリカ合衆国):ジャクリーン・ワシレウスキー
コマンチ(アメリカ合衆国):ラドンナ・ハリス、ローラ・ハリス
イズレタ、タオス・プエブロ(アメリカ合衆国):ロン・ルッキング・エルク
ヘメス・プエブロ(アメリカ合衆国):ポール・トサ
モホーク(カナダ):ベン・パウレス
ラコタ・スー(アメリカ合衆国):マカ・アカン・ナジン・クリフォード
スタッリムック(リルワット)(カナダ):アティラ・ネルソン



      *****    


「先住民族サミット」HP
http://www.ainumosir2008.com/map5.jpg
wiki「先住民族の権利に関する国連宣言」
http://www1.umn.edu/humanrts/japanese/Jdeclra.htm








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先住民族サミット・・あれからどうなった?

2008-10-01 | アイヌ



7月に北海道で開かれた「先住民族サミット」の事務局長、「アイヌアートプロジェクト」の結城幸司さんの話を聞く機会に、先日恵まれた。

アイヌ民族にとって時代の節目を刻む大きな催しを企画し,成功させたという喜びと、さてこれからだ、という充実した気力がみなぎるお話を伺うことができ、有意義なひとときだった。

G8サミットの開催地(北海道)の先住民族が、G8という一部先進国による密談で世界の行く末が決定されることに、きちんと異議を申し立てたこと、
海外・国内から22族の先住民族を招待し、のべ1500人の参加を得、「大会宣言」・「G8サミットへの提言」を採択することができたことを、心から喜びたい。

HP「先住民族サミット」から、宣言文と、G8への提言文を転載する。

まずは、宣言文の序文から。続きは次の日記に。

    


      *****


「先住民族サミット」アイヌモシㇼ2 0 0 8

二風谷宣言

序文

イランカラプテ ―アイヌ語で「あなたの心にそっと触れさせていただきます」というご挨拶を申し上げます。

我々、日本および世界の先住民族は、2008 年のG8 サミットに先立って開催される「先住民族サミット」アイヌモシㇼ2008 に参加するため、2008 年7 月1 日から4 日にかけて、古来アイヌの土地であるこのアイヌモシㇼ(北海道として知られているところ)に集いました。

「先住民族サミット」アイヌモシㇼ2008 に参加した先住民族は、アイヌモシㇼ(北海道)、ウチナンチュ(沖縄)、日本、台湾、バングラディシュ、フィリピン、ハワイ、グアム、オーストラリア、アオテアロア(ニュージーランド)、アメリカ、カナダ、メキシコ、グアテマラ、ニカラグア、ノルウェーなど12 カ国22 民族に及び、平取、二風谷、札幌での参加者は延べ1,500 人近くになりました。

我々先住民族は、世界における自らの位置づけ、とりわけ自然と人間との相互関係についての根本的な価値観や考え方を共有しており、それによって一体となっています。

このサミットのテーマはアイヌ語で「幸運」や「幸せになろう」という意味の「マウコピリカ」で、これは幸せとは何かを定義する先住民族の価値観や概念を前面に出し、我々がこのサミットや集まった人々に接する際の誠実な気持ちを表しています。

G8 サミットに合わせて我々先住民族が集まり、G8 が話し合う問題について考え、それがどのように先住民族に関係してくるかを検討するのは今回が初めてのこころみです。

このサミットはアイヌモシㇼ実行委員会を通してアイヌの人々が実現したもので、我々は実行委員会の努力に感謝し、祝意を表明します。


我々の知恵と知識を統合したことにより、G8 に届けるべき重要なメッセージについて合意に至りました。
アイヌや互いの民族の現状や将来への抱負を、より深く知ることがでました。

今回の集いはまた、2007 年9 月13 日の先住民族の権利に関する国際連合宣言の採択を祝う目的もあります。

これは歴史的な出来事であり、地域から地球規模での先住民族の運動がひとつになって達成されたものです。

我々は、2008 年6 月6 日に参議院と衆議院によって採択され、同じく2008 年6 月6 日に内閣官房長官によって受諾された「アイヌ民族を先住民族と認めることを求める決議」を歓迎します。

アイヌ民族の何世紀にもわたる苦闘の末の勝利を、アイヌ民族とともに讃えます。


           *****

「先住民族サミット」HP
http://www.ainumosir2008.com/map5.jpg
アイヌアートプロジェクトHP
http://www.ainu.info/ainuartproject.html
金沢文庫芸術祭HP
http://bunkoartrally.blog6.fc2.com/blog-entry-163.html
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大洪水による、前の世界(第3の世界)の滅亡・・ホピの伝承

2008-10-01 | ホピの宇宙神話・伝承・祭



横須賀に米原子力空母ジョージ・ワシントンが配備されてしまった。
この世の終わりを感じさせる出来事である。
「滅びよ」という声は、神の意思なのだろうか?




北米インディアン・ホピ族の人々は、今ある世界は四番目の世界であり、ひとつ前の世界(3番目の世界)はグレートスピリットの意思により大洪水で滅ぼされたと言う。

ホピ族の長老30人からの聞き書きがまとめられている本「ホピ・宇宙からの聖書」(フランク・ウォーターズ著)に、グレートスピリットの意思によって「第3の世界」が大洪水で滅ぼされたため、「第4の世界」にやって来たホピの祖先たちが、「第3の世界」が沈みきるのを眺めるところまでを語ったものがある。

シュールだけど、、リアルです。


***

3番目の世界でふたたび人類は増え広がり、生命の道の上を進み続けた。

第1の世界では、人々は動物といっしょに素朴な生活をした。
第2の世界では、手工品や家屋、村落を発展させた。
この第3の世界では、人々は大都市や国々、大文明を築くにいたるほどまでに人口が増え、急速に発展した。

しかしこのことが、創造の計画に従いタイオワとソッツナングに賛美の歌を贈ることを難しくさせる結果になった。
人々はますます自分たち自身の地上的な計画に取り込まれるようになった。

もちろん、人々の中には初めに授けられた知恵を保っている者たちもいた。
彼らはこの知恵によって、人が生命の道からはずれて発展すればするほど、事が困難になることを理解していたのだ。

まさにこの理由により世界は2度まで破壊され、はじめからのやり直しを迫られたのである。

あまりに多くの人々がその生産力を邪悪な方法で使っているため、彼らは特に心配になった。
第3の世界も、かつてと同様に腐敗と戦争の場と化した。

ソッツナングがクモ女にこう告げた。
「今度は最後まで待つ必要はない。今すぐ手を打たないと、心の中に讃歌を歌い続けている者たちさえ汚されて、滅びてしまうだろう。」

「ここまで破壊がすすんでいると、わたしが指定する地の果てにまで彼らが辿りつくのは難しい。
そこで、わたしが世界を水で滅ぼすときに、あなたは彼らを助けよ。」

「どうやったら救えるのでしょう?」とクモ女はたずねた。

ソッツナングはこう命じた。
「中空になっている背の高い植物がみつかるはずだ。
それを切って人々を中に入れなさい。」

クモ女は指示どおりにした。
葦(あし)を切り、その中の空間に人々を入れ、少量の水と食料をつめて封印した。

こうして全員が収容されるとソッツナングが現れた。
「さあ、彼らの面倒をみるためにあなたも中に入りなさい。わたしが封印をする。それから世界を滅ぼそう。」


こうしてかれは地上の水の力を解いた。

すると山々よりも高い大波が陸地を襲い、陸という陸は破壊されて海中深く沈んだ。
雨はなおも降り続き、波は荒れ狂った。

中空の葦の中に封じられた人々ははげしくぶつかりあう大波の音を聞いた。

空中に高く上げられ、それから海にまた落とされたような感じがした。

そして長い間、いつ終わるとも知れぬほど長いあいだ、彼らは海の上を漂いつづけた。

さいごに動きが止まると、クモ女は葦の封印を解いて、人々を次々に頭から引き上げ、残っている食べ物をすべて取り出しなさい、と言った。

食べ物を取り出すと、ずっと食べ続けていたにもかかわらず、その分量は変わっていなかった。


見渡すと、自分たちがかつての最高峰の山の峰にいることがわかった。
他は見渡す限り海である。
第3の世界で唯一残された場所に彼らはいたのだ。

そうするうちにソッツナングが現れてクモ女に言った。

「あなたがたは旅を続けなければならない。内なる知恵が導いてくれるだろう。」

そこでクモ女は葦で丸く平らな船をつくるよう人々に命じた。

人々は船に乗り込み、海と彼らを導いてくれる内なる知恵に身を任せた。

長い間、水の上を漂ってのち、ようやく岩の多い島に辿り着いた。

「これからは上り坂になり、あなた方は自分でとる道を決めなくてはなりません。
だからソッツナングは「遠くに行けば行くほど道は険しくなる」と言ったのです。」
とクモ女は言った。

(略)

途方に暮れた彼らは漕ぐのをやめて、頭頂の扉を開き、導かれるに任せた。

するとほぼ同時に水の動きが収まり、いかだは穏やかな海流に乗り始めた。

まもなく彼らは上陸し、砂浜で喜びをかみしめた。

「第4の世界だ。ついに出現の地に着いたのだ!」と誰もが叫んだ。

全員がそろったところでソッツナングが現れた。

「よろしい。ここがあなた方に用意しておいた土地である。
あなた方の来た道を見てみよ。」

西と南に目をやると、自分たちの休んだ島々が見えた。

「あれはあなたがたの旅してきた跡である。

わたしの滅ぼした第3の世界の高い山々の頂きである。

さあ、見よ。」

人々が見続けていると、一番近い島が海中に没した。
まもなく、次の島が没し、ついに島々はすべて沈み去り、見えるは海ばかりとなった。

「見よ。」
ソッツナングは言った。

「わたしはあなたがたの足跡さえも洗い流した。

この海の底には、誇り高き都のすべて、空飛ぶパツボタ、悪に染まったこの世の富、山の頂きから創造主に讃歌をささげることに時間を使わなかった者たちが眠っている。」

「だが、あなた方が出現の記憶と意味を保っていれば、いつかこれらの足跡がまた浮かび上がり、真実を告げてくれる時が来るだろう。」

これが、第3の世界の終わりである。

***


Wiki「大洪水」より「ホピ族の大洪水」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B4%AA%E6%B0%B4

ホピ族の神話によれば、人々は創造主のソツクナングから繰り返し排除されたという。世界を破壊するのに、神は最初は火を、次には氷を使ったが、二度とも世界を作り直している間、まだ創造の掟に従っている人々を地下に隠して救った。しかし人々は3度目にも堕落して好戦的になった。そのため、ソツクナングは人々を蜘蛛女のところに導き、彼女が巨大な葦を切り落として人々を茎の空洞に避難させた。ソツクナングはそれから大洪水を起こし、人々は葦で水の上を漂った。 葦は小さな陸地にたどり着き、人々は葦から出て出発できるだけの食べ物を得た。 人々はカヌーで旅したが、それは内なる英知に導かれてのことだった。内なる英知は、頭頂にあるドアを通じてソツナングから伝えられるのである。彼らは北東に旅を続け、もう少し大きな島々を通り抜け、第4の世界にたどり着いた。 彼らが第4の世界にたどり着くと、島々は大洋の中に沈んだ。


Wiki「大洪水」より

文明を破壊するために、天誅として神々によって起こされた大洪水(洪水神話、洪水伝説)は、世界の諸神話に共通して見られるテーマである。聖書(旧約聖書)『創世記』のノアやノアの方舟、インド神話、ヒンドゥー教のプラーナのマツヤ、ギリシャ神話のデウカリオン、および『ギルガメシュ叙事詩』のウトナピシュティムの物語は、よく知られた神話である。過去現在の世界の文化のうち大部分が、古い文明を壊滅させる「大洪水」物語を有している。

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