五井昌久さんという宗教家がおられた。
もう亡くなってしまったけれど、30年前に出された本を読んでみた。
地球への祈り、、今も様々あるけれど、この方も地球存亡の危機をずいぶん古くから感じておられたのだと思った。
ホピの人は“ホピは地球の守り人だ”と言うけれど、誰もが、一人ひとりその人のしなければならない仕事があるのだろう。
地球に生きる一人、として。。
地球の守り人、として。。
前に読んだときは宗教書だし、シンプルすぎて物足りないような気がして、本棚の奥の方に入れたままになっていたのだが、読み返してみると、こういう考えは底力をもつ考えだと思い直した。
本が出て30年、、30年を祈ってすごしたか、忘れてすごしたか?
そういうことが問われているのではないかと思った。
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普通の人々は、自分の想念波動が、それほど大事なものと思っていないようです。
しかし人間の想念波動ほど大事なものはないのです。
人間の想念波動が、地球世界の運命を決定するのです。
想念波動というと特別の言葉と思われる方々がいるでしょうが、わたしは人間の“想い”を想念波動と言っているのです。
なぜそこに波動という言葉をつけるかと言いますと、人間の想いというのは、波の動きのようになっていて、この地球をつねに経めぐっているのです。
人間の肉体は科学的研究の結果からみて細胞分子、原子、電子、素粒子というように、細かくできているもので、最後は波動になってしまっていますが、想いのほうはさらに微妙な波動なのです。
人間の想いはたとえどんな細かいことでも、この地球や宇宙を巡り巡っていくわけなのです。
人類はどうしても、大生命である神の永遠の道につながる、お互いの朝夕の道を歩まねば、いつかは滅びてしまうものでありまして、今日では大きく人類滅亡のきざしが見えているのであります。
人を傷つける想念波動や、不調和な波動の流れが、この地球世界には多くて、調和した波動の流れは少ないのですが、ただ縦の流れ、いわゆる神の大生命のひびきは、いつの日にあっても、なお調和の流れそのままであることを忘れてはいけません。
権力欲、金銭欲、そうした欲望につながる感情で世界が動いているわけですから、、その内容は生存競争ということになります。
そういう時代は人類時代ではなくて、獣類時代だと言えましょう。
人類と言うのには程遠い感じのする地球世界の住民なのです。
これは人類が進化途上にあるのですから致し方ありませんが、現在のような生き方で地球の住民が生存競争をやっていますと、この人類はいつかは滅びてゆくに違いないのです。
人類はまだ真実のものをほとんどわかっていない。
生命のことも、心のことも、時のことも、空間のことも。
それなのに、そういう重大なことをほったらかしにして、目に見えている世界、現在手のとどく世界のことだけに血眼になって競争しているのです。
情緒(心の本源)の世界をはなれた、肉体人間だけを保存しようとする欲望想念だけで、この地球世界に住み続けようとしているのです。
地球世界は現在、人類のさまざまな業想念波動で汚れきっているのです。
その汚れた波動を清めきらなければ、地球は地球本来の動き方を続けるわけにはゆかなくなってしまいます。
地球自体もやはり波動体であるから、その波動の流れが汚れきっていては動きが狂ってくるのは必定です。
現在の地球世界の崩壊を防ぐためには世界平和の祈り,のような光明波動で地球の掃除をし続けなければいけません。
そうして地球をきよめ続けながら、そこに新しい人類の生きる道をつくってゆかねばならないのです。
各人がなにもしないでのほほんとしていたら、地球は必ず滅びてしまいます。
滅びるより、滅びない方がよいにきまっています。
現在では個人だけの幸せなどというものはあり得ないのです。
現在幸せだと言っている人も、実は幸せそうに見えるだけで、その幸せはいつ崩れるかもしれないはかないものなのです。
宇宙は常に変化しています。
そして今や大きな変化を成し遂げようとしています。
地球も宇宙の一つの星です。
地球の動きも大きく変わりつつあります。
これは科学的に種々と知らされています。
今までのような生き方を続けていたのではやってゆけない程、地球の変化は大きいのです。
地球人類は好むと好まざるとによらず、大きな転換期に入ってきているのです。
五井昌久「純朴の心」(1978年)より抜粋
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wiki「五井昌久」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E4%BA%95%E6%98%8C%E4%B9%85