始まりに向かって

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予言と世界平和の祈りの意義・・五井昌久さん

2008-10-25 | アセンション

老人ホームにも七夕祭りがあり、母も毎年お願い事を書く。
母は毎年、半分に切った鮮やかな折り紙にサインペンで“世界平和”と書く。
家にいた時、母とわたしはそういうことについて話をしたことはなかった。

台所にいる母、買い物かごをもっている母、庭の花の手入れをしている母の憶えはあるが、
母が“世界”について、なにがしかのはっきりとした思いを持っていることに気づくことなく過ごして
きたということに、今になって気がついたのだった。

前回に続き、五井昌久さんのお話。
いまから47年前に語られている。

「責めてはいけません」というタイトルの本で、平成になって出版された。
以前嫁姑の口げんかをしてしまって、、本屋で手にしたもの。(汗)
十数年、本だなにこっそり置いてある。

タイトルを見るたび、若かった自分の苦い経験を思い出す。
お姑さんとけんかをするなんて、ほんとうにわたしも若かったんだなあ。。
さすがにお姑さんとの戦いは終結したようだけれど、それでも何かにつけて常に自分の心は思うようにはならない。

愛せないということは、愛されないということと同じくらい、苦しいものだと思う。
浮世は憂き世、と言いたくなることは多いです。



        *****



今年(昭和36年)になっていろいろな予言が出ていますね。
さてはたして世界大戦があるものでしょうか、どういうものでしょうか。

これは実に大事なことですけれど、私は“ない”という予言をするのです。
“そういうことはありません”という予言。
わたしは良い方の予言者。
悪いことは一切予言しないことに決めているのです。

それでそういうふうに持っていくための世界平和の祈りなのです。

それではこれから世界平和の祈り,の重大なる意義を申しあげましょう。

世界が大戦になればどういうことになるかといえば、原水爆が落ちてくると、こういうわけです。

私どもは安閑として生活しておりますけれども、実は毎日毎日明日あさって死ぬかもわからない
生命のかたちで生きているわけなんですよ。
だた知らないだけなんです。

キューバでなにがあったって、インドシナでなにがあったって、ちょっとも関係ないような気がするでしょう?
ところがキューバであることが、インドシナであることが、朝鮮であることが、どこかであることが、
どんな小さな国である戦争でも結局は日本に影響してくるわけだし、全世界に影響してきて、
これが地球最後の日になるかわからない、という境目になるわけです。


肉体のほかに幽体というものがあって、その世界を幽界と言います。

幽界という世界はどういうことかというと、みんなの想いが溜まっているところです。

いろんなことが一年中ありましたね。
一年中あったことを皆さんは憶えていますか?

憶えちゃいませんね。
特別なこときり、憶えていません。
あとはみんな忘れているんです、
その忘れたものはどこにあるかというと、幽界を波になって、ぐるぐる廻っているわけです。
これを普通、潜在意識というのです。

そうした想念の波動が自分の幽体の中に廻っている。
それが他の人にも関係してずーっと幽界をぐるぐる廻っている。
だから一人の人がいろんな想いをすることは、幽界という広い範囲をぐるぐる廻っているわけですよ。

だから一人の人が、あのやろうやっつけちゃおう、あいつは憎らしいからやっつけちゃおうというように想います。
それで自分は忘れてしまう、
忘れてしまうけれど、その想いは、幽界をぐるぐるまわっているわけです。

そういうような想いがたくさん溜まると、憎らしいという想いと想いがぶつかって、それが
戦争になったり、天変地異になったりするのですよ。

天変地異をおこすのも、戦争をおこすのも、全部人間の想いなのです。

嵐が起こるのも、 地震が起こるのも、戦争が起こるのも、原因は一つです。
人間の業想念、自分勝手な想い、人をやっつけようとする思い、要するに調和しない、不調和の
想いがみんなそういうものを作るのです。

それで幽界を見ますと、そういう戦いの波だとか、やっつけちゃおう、やっちゃおう、いろんな波が
いっぱい溜まっているわけなんで、その波をたどってゆくと、ああ、今年あたり、もう戦争が
あるなという風に見えるわけなんですね。

そういう波が実際にあるわけなのだからね。


だからそういう予言は必ずしも嘘ではないんです。
けれども、そうなってしまったんじゃ、神は愛ではなくなってしまう。
みんな滅びちゃうんだからね。
そういうことがあるわけがない、あっちゃいけないように、守護霊、守護神があるんですね。

だから守護霊、守護神とか世界平和の祈りを考えなければ、神様なんていうものは非常に残酷なものですよ。

そのまま人間は滅びちゃうのだから。
かならず肉体界は滅びちゃうのですから。

ところが私は、破滅するとは思わない。

世界平和の祈りが生まれてきたということは、幽界にできているあらゆる業想念をみんな清め去って
きれいにして、本来ある神様の生命を、神様の子の生命を、このまますうっと神様の世界から
肉体界まで、まっすぐに光を投げかけて光の交流を図ればね、幽界というのは、きれいになって、
神様の御心の絶対調和がこの地球人類の世界に開けて来るに決まっているのですね。

そういう風にできているのです。


世界人類が平和でありますように
と、まともに言っている時は、その人は大きな観音様です。

そう思ってこの日常生活をしてください。
すると心が豊かになって軽くなって、この世が楽しいですよ。

そうしなければ、世界は平和になりません。

霊界から、サアーッと光をあててね、業想念の迷いの想い、人をやっつける思い、自分が威張りたい
思いを人類の潜在意識の中から、サアーッと消してゆくんですよ。

   
    五井昌久「責めてはいけません」予言と世界平和の祈りの意義

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コメント (8)
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