笑顔浴

優しい時間

私のゴミは、誰かの宝

2022年07月08日 | Weblog

甘夏が美味しくなりました

 

1年中、様々な蜜柑が食べられるのは嬉しい事です。

食卓に季節のフルーツさえあれば、文句を言わず、懸命に労働します。

フルーツは、私のお楽しみですから。

 

6月になると産直市に探しに行くのですが

なかなか見つからない果実が=桑の実=

今年はたまたま6月の研修会終了後に雑談していると

参加者の一人が、「今朝、採ったから持ってきてあげる」と

パックにぎっしり詰めてお土産に持たせてくださいました。

直ぐに傷み始めるので、冷凍品は購入できるのですが

やっぱり、生の桑の実が食べたい~。

10年以上探しまわった私が どんだけ嬉しかったか!! 

普通に食べてる方々には、この感動がわかるまーい。

感謝・感激!!

 

誰かのゴミは、誰かの宝というフレーズを どこで聴いたか忘れましたが

何に価値を見出すかで、同じものがゴミにも 宝にもなります。

原発の問題も プラスチック問題も 汚染問題も 食糧問題も

私たちは 結論を出せないまま先延ばししています。

ただ、このピンチが チャンスへと変わるよう願わずにはいられません。

 

さて、人に対してはどうでしょう

私は家族のお荷物で、人間のクズで、社会のゴミで、クソです。

と自己否定の強い言い方があるということは、

「私は」を「お前は」に換えると、他者否定になるわけで

良い評価を受けた人が、一方で悪い評価を受けることも よくある話。

所詮、人からの評価はいい加減なものばかりです。

適当にスルーしときましょう。

 

人は誰でもOKだ!で、毎日を過ごそうと努めておられますか。

私のことを<宝>と思えると、ラッキーですね。

周囲の人を<宝>と感じることが「幸福」です。

 


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