笑顔浴

優しい時間

十七回忌

2021年04月24日 | Weblog

 

父の十七回忌が来ます。

今日は 父を偲ぶ1日にします。

父のことを思い出し 語りあえる母が亡くなり

ひとりでアルバムを引っ張り出してみていたのですが、

父の好物をお供えしようかと急に思いつき

松山寿司を作ることにしました。

 

お正月も お盆も お祭りも 季節の行事はもちろん

人をお招きする時も お祝い事がある時も

いつでも 父は松山寿司を作りました。

亡くなった伯母が 父のお寿司のファンだったので

作れば必ず、お弁当箱に詰めて持参しました。

郷土料理の記事を読むと、このあたりの先人は

なにかにつけてお寿司を作ったとありました。

 

正岡子規さんを夏目漱石さんが訪ねてきた時も

母親の八重さんが松山寿司でもてなしたそうですよ。

少年の頃、祖父が病気で亡くなり、

母子家庭で育った父は、祖母のお手伝いをして

料理男子になりました。

父がお寿司を作る時、私はいつも海老の殻むきでしたから

指が痛くて まーた、お寿司かあ と渋々お手伝いしたもんです。

 

前日の朝、父は朝市で食材を買ってきます

午後からの作業は・・・

私が海老の殻むきをしている間に 筍をゆがきます。

父は穴子を手際よくさばいて 串にさし蒲焼にしている間も

刻んだ しいたけ・人参や 筍・ゴボウ・ぶんど豆と

地物の海老を松山揚げと一緒に 甘辛く煮ていました。

続いて、

酒で茹でた海老を すり鉢ですりおろし、調味料を入れて

フライパンに移したら、弱火にかけて 木べらで煎り付けて

海老そぼろを作ります。

母が錦糸卵を作り、絹さやを塩茹でしたら終了。

翌日朝・・・

寿司米と水を1:1の固めに 酒と昆布を入れて炊き上げます。

えその身を甘めの合わせ酢に入れてほぐし、

弱火でさっと火を通したら、白濁した寿司酢ができます。

うちわで扇ぐのがもっぱら私の役目でした、

具を混ぜ、最初にお弁当箱へ盛りつけます。

待っている伯母ちゃんに届けなくてはね。

 

えその身を探す、地物の海老を探す、穴子を探す、

いくつものスーパーをはしごして

東へ西へ馳けることになりました。

なかなか入手できなくなっています~

 

<馳走>は、「馬を駆って走らせる」

《その準備のために走りまわる意から》

食事を出すなどして客をもてなすこと。

 

お父ちゃん、ご馳走さまでした!

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする