笑顔浴

優しい時間

一隅(いちぐう)を照らす

2019年04月04日 | Weblog

 

 

数年ぶりに、緩和ケア病棟ティーサービスへ参加しました。

マイカー40分強のドライブで駐車場に到着すると、桜が満開でした。

混雑した外来の隅をトボトボ歩き

12時30分にボランティア室のドアを開けると

珈琲の香りでお迎えしてくれました。

「はあ~、いい香りですね~」

4人で準備開始、3人とも70代の姉さまと兄さまである。

今日のお菓子は、Iさん手作りの

ヨーグルトぱむぱむと、ふれ愛プリンでした。

 

ふれ愛プリンはカボチャのプリンです。

甘くて口当たりがよいので、患者さんでも食べやすいと思います。

 

「リハビリになるから、30分ほど椅子に座っていてくださいね」と

看護師さんに促されて 席についた白髪の男性と 目があいました。

病室で野球をご覧になっていたらしく

日本の観光地DVDを、高校野球に切替えて みんなで観戦!

あら、今日は決勝戦だったのねー!

 

30分間も退屈なさるのではないかと心配でしたが

酸素吸入中とは思えないほど大きな声で雑談くださって 

結局、ラストまでおられました。

「あんたらのしよることは、<一隅を照らす>ゆうやつやなあ~」

と褒めてくださった(?)ので、

丁寧にお礼を述べ 活動記録にも書いたのですが、

教養のたりない私は、その意味がわからない。

 

 

(忘備録)

「一隅(いちぐう)を照らす」という言葉は、

天台宗の伝教大師最澄(でんぎょうだいし・さいちょう767~822)様の

『山家学生式』(さんげがくしょうしき)の冒頭にあるらしい。

「国宝とは何ものぞ。宝とは道心なり。道心あるの人を名づけて、国宝となす。

 ゆえに古人いわく、径寸十枚、これ国宝にあらず。一隅を照らす、これ即ち国宝なり・・・・・」

 

直径3cmの宝石10個 これが宝ではない

国の宝は「道心」「菩提心」である、

人を救うという思いである。

社会の一隅にいながら、社会を照らす生活をする。

自分の周りの狭い範囲だけでも、明るく照らす。

明るく照らすとは

人の嫌がるものを 少し引き受ける。

人の欲しがるものを 少し分けてあげる。

 

姉さま、兄さまの活動は粛々と無欲で、

一隅を照らして おられると感じました。

私は、まだまだ人間が未熟で

もっと教え(生き方)を学ばねばなりませんわい。

人間の本能に従うならば

私が嫌なものは 全て他者に押し付ける、

私が欲しいものは、直ぐに他者から奪い取る、

さすがに 直接的な行動はしないけれど、

間接的な利益を得たことを 否定できません。

 

人口爆発中の地球で、温暖化もすすみ自然災害が増加して

食糧不足は直近の課題らしいです。

昔から続く 人と野生動物とのバトル 人と人とが奪い合う破壊行為で

生き残った人々が手にするのは廃墟だと 数々の映画が告発しています。

人類の明るい未来のために、私は食品ロスをもっと減らそう~。

 


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