笑顔浴

優しい時間

不特定多数の信頼

2018年05月06日 | Weblog

 

私は高校生まで、ブロック塀の内側で暮らした。

学校と寮が渡り廊下でつながっており、この敷地内で現金は要らない。

生活のすべてが、この中で完結した。

 

小学校低学年の頃、私達はよく校門から外界を眺めた。

正確には、校門の5m先に小さな店があり、

近隣の子供達がアイスクリームを食べている姿を、

羨望のまなざしで見つめていた。

親子連れが通ると、姿が見えなくなるまで目で追った。

 

たまに 通りがかった中学生が、自転車から降りてきて

「気持ち悪い~」「ばーか、ばっかり!」「クズ人間」

「一生そこから出てくるな」と悪戯の標的にするので

オーム返しで応戦しつつ じわじわと後退した。

漫画「進撃の巨人」で、巨人から塀で守られている人間の村が描かれているが

奴らも、空き缶を投げるが、門扉を乗り越えてまでは侵入しなかった。

もしも敷地内を<安全地帯>だと勘違いしたら、中学卒業後は<恐怖>でしかない。

 

私が希望と共に卒業できたのは、

何の根拠もなく、信頼できる人がいると期待できたことと

たぶん私達は「クズ人間」ではないだろうと自然に思えたおかげである。

 

たとえば・・

校長先生の「ライオンズクラブの皆さんにお礼を伝えましょう」の合図で

私達は「ありがとうございます」と一斉にお辞儀した。

どれほどありがたい事なのか、よくわからないままである。

今思えば、

入園料や大型バスのチャーター、お弁当やお菓子の費用負担などに加え、

例会では作業計画を話し合い、貴重な休日の早朝から 荷物を運び込み

園内では、ハイキングシートを設置し、お茶と弁当を配り、

ゴミを片付け 階段で車椅子を持ち上げ、

抱っこして乗物に乗せ、おんぶしてトイレにダッシュするという、

教員のお手伝いも、さぞお疲れだったに違いない。

小学生だから、嬉しさもワクワクも、その場限りだし

不平不満しか言わない輩もいて、本当に申し訳ないけれど、

それでも、その日のオジサン&オジイサン達の姿が 

鮮明に浮かぶのは、私はじっと見ていたということで。

 

初夏の頃には、山の小学生が「蛍」を持参してくれた。

20×20×30cmの大型の木製の虫かごは 寮の各部屋に配られた。

水の器と葉っぱや小枝が入っていて、夜になると私達は大騒ぎした。

谷あいの小学生達が、どうやって たくさんの蛍を集めたか

お手製の虫かごを、どなたが作ったか

昭和40年代の往復路の交通手段がどれほど困難であったか、

想像も及ばなかったけど。

ただ、嬉しかった、そして、すぐに忘れる。

 

婦人会からお菓子が届けられ、農協から果物が贈られて

女子高校生のお姉さん達が文房具をプレゼントしてくれた。

そのたびに食堂に集合してお礼を言う。

どこの誰だか知らない、一期一会の出会いなのに

ぼんやりと、他者への信頼が育った気がする。

私も地域の大人として誰かを喜ばせるお手伝いをしなくちゃ。

 


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