開高賞受賞で、このブログの閲覧者がバブル的に増えている。いまのうちに北極探検史のマニアックな話を書いて、少しでも興味を持つ人を増やしてしまおう、ということで、再び北極点初到達論争でピアリーの敗れ去り歴史的ペテン師と評価された探検家フレデリック・クックの話。
某翻訳者から某編集者を通じて、chris Jones 'Climbing in North America'の第四章'to the top of the continent'の翻訳文をご厚意でいただいた。この本にクックのマッキンリー初登頂偽造事件が詳しく報告されている。
それによると、1906年に二度目のマッキンリー探検にやってきてクック隊は、南面からの登頂を狙い二カ月半、活動したが失敗。その後、他のメンバーがニューヨークに帰ったり、植物採集したりした後、再び隊員が集まった時、クックから馬方と二人で登頂に成功したという話を聞かされたという。その後クックはマッキンリー初登頂者として各地で講演などをおこなったが、彼の記録に疑問を抱いた隊のほかのメンバーが、現地踏査によってクックの登頂写真をくわしく検証し、その山頂がマッキンリー山頂からは遠く離れた別の山であることをつきとめたのだ。
クックは1909年に北極から生還し、一時、北極点初到達者として英雄になるが、その後、ピアリーとの初到達論争に巻き込まれる。そのさなかにマッキンリーの初登頂についてのこうした経緯が明らかになり、そのことも北極点初到達もフェイクだったという有力な証拠にされた。
こうした話に興味を持った人は、広辞苑のようにぶあつい、
こういう本を読んでみましょう。ついでに翻訳して、A4用紙にプリントアウトし、豊島区長崎のわたしのアパートに送っていただければ、大変に助かります。
某翻訳者から某編集者を通じて、chris Jones 'Climbing in North America'の第四章'to the top of the continent'の翻訳文をご厚意でいただいた。この本にクックのマッキンリー初登頂偽造事件が詳しく報告されている。
それによると、1906年に二度目のマッキンリー探検にやってきてクック隊は、南面からの登頂を狙い二カ月半、活動したが失敗。その後、他のメンバーがニューヨークに帰ったり、植物採集したりした後、再び隊員が集まった時、クックから馬方と二人で登頂に成功したという話を聞かされたという。その後クックはマッキンリー初登頂者として各地で講演などをおこなったが、彼の記録に疑問を抱いた隊のほかのメンバーが、現地踏査によってクックの登頂写真をくわしく検証し、その山頂がマッキンリー山頂からは遠く離れた別の山であることをつきとめたのだ。
クックは1909年に北極から生還し、一時、北極点初到達者として英雄になるが、その後、ピアリーとの初到達論争に巻き込まれる。そのさなかにマッキンリーの初登頂についてのこうした経緯が明らかになり、そのことも北極点初到達もフェイクだったという有力な証拠にされた。
こうした話に興味を持った人は、広辞苑のようにぶあつい、
こういう本を読んでみましょう。ついでに翻訳して、A4用紙にプリントアウトし、豊島区長崎のわたしのアパートに送っていただければ、大変に助かります。