ラブコメが少年向けマンガ誌に登場したのは1978年。少女マンガで人気のあった恋愛ドタバタコメディを少年誌に持ち込んだ形だ。
柳沢きみおの『翔んだカップル』は高校のクラスメイトの男女が手違いから二人だけで同居することによるドタバタ恋愛劇としてスタートした。お互い好意を抱きながら素直になれずにケンカを繰り返す展開はラブコメらしさを強くアピールすることとなった。
しかし、作品は現実と同様の速度で展開し、三角関係などドロドロの愛憎劇へと変化していく。連載期間3年で高校生活3年間を描き、後半は時代性の色濃い青春ものとして成立した。柳沢きみおはその後も続編を書き続けたが、ラブコメとはかけ離れたものとなっていった。
同じ1978年にスタートした高橋留美子『うる星やつら』は恋愛要素は非常に薄く、あくまでもファンタジーコメディとして描かれた作品だった。ただ多種多様な美少女・美女が登場し、1981年よりTVアニメ化され原作よりもキャラクター色の強い作品となった。
押井守を始め若手のアニメスタッフが数多くこの作品で才能を伸ばし、後のアニメ界に大きな影響を与えることとなった。美少女アニメやハーレム系アニメのきっかけになった作品だと言える。
その後、1981年にスタートしたあだち充『タッチ』が大ヒットして、ラブコメは少年マンガの主流となった。1対1の恋愛関係がベースにあり、野球と融合することで新しいラブコメ像を作り出した。
80年代のラブコメで忘れてはならないのがまつもと泉『きまぐれオレンジ☆ロード』(1984年)だ。二人のヒロインとの三角関係がメインでありながら、妹など脇役にも美少女を配して現在のハーレム系ラブコメに近い構図を作っている。主人公の優柔不断さものちのハーレム系に受け継がれた。
1988年に藤島康介『ああっ女神さまっ』が連載開始。初期はドタバタ色の強いラブコメだった。ベースはメインヒロインとの1対1ではあるが、主人公を中心として美少女が集合するハーレム系特有のキャラクター関係を築き人気を博した。
1992年、OVAで『天地無用! 魎皇鬼』の第1期シリーズがスタート。主人公の周りに、ライバル関係のメインヒロイン二人、天才科学者美少女や幼女、天然キャラなど個性的なキャラクターを配してハーレム系の構造が完成の域に達した。
ここで主人公は優柔不断な性格ではなく、オールマイティな能力を持ちながら欲などがほとんど存在しない空っぽな印象の存在として描かれた。これは一人称的観点を必要としないアニメだからできた手法ではあるが、これが空気系へと繋がっていくことになる。
同じ1992年PCゲーム『同級生』が発売される。これまでアダルトゲームはSEXそのものを扱っていたが、この作品は恋愛をゲーム化した。さらにその方向性を進化させた『ときめきメモリアル』が1994年に発売され、高いゲーム性もあって新たなジャンルを生み出すまでに至った。
多数の美少女キャラクターが用意され、主人公=プレイヤーが特定のキャラクターを「攻略」するというシステムが誕生した。
1997年PCゲーム『To Heart』が発売され、シミュレーションゲームからヴィジュアルノベルへの転換が起こる。これによりキャラクターごとにシナリオが用意され、「攻略」する意味合いも深化していくこととなった。
ゼロ年代に入ると「萌え」という概念が普及する。男性オタク向けの作品は美少女キャラクターや属性を複数登場させるのが一般化した。ハーレム化が進行する中で、主人公の内面描写がどうしても必要とされるライトノベルで特にハーレム化対策が進むこととなった。
優柔不断な性格が強調され、誰にでも優しく、何も決められない存在へとなっていく(一昨日の記事「エンターテイメントにおける男女の役割の変遷」参照)。一方で、こうしたハーレム的人間関係をヒロインの視点から描いたのが2005年発売『School Days』の鬱展開だった。
多数のヒロインを用意し、その中から好みの美少女のファンになってもらうという販売戦略はなにもフィクションの世界だけに限ったものではない。古くは1985年のおニャン子クラブ、1997年からメンバーを入れ替えながら続いているモーニング娘。、2005年誕生しいまや国民的アイドルとなったAKB48など、エンターテイメントの戦略に欠かせない手法となっている。
フィクションの場合、問題はフィクションの世界にどう落とし込むかということだ。
現在アニメ界で最も影響力を持つヒロインを複数有する作品は『けいおん!』だろう。空気系は先にも触れたように、本来ハーレム系ラブコメの主人公の立ち位置を消失させることで成立した作品群である。主人公の位置がぽっかり空き、そこに見る者が入り込める幻想を生むことも強みだ。
ライトノベルでは優柔不断でトコトン鈍い主人公という設定自体をパロディ化しつつある。『僕は友達が少ない』はその典型であり、分かった上で読者と共犯的に楽しもうという作りになっている。ある種の開き直りとも言えるだろう。
『東方』のようにヒロインたちとある程度の設定だけ用意してあとはファンに委ねることで成功したケースもある。初音ミクなどのヴォーカロイドもこの形に近い。もう作り手がストーリーを用意するのではなく、ファンに好き勝手にいじってもらうことを前提にキャラクターを生み出している状況さえ存在している。
恋愛を女性同士に限定する百合展開も男性主人公不在を補うための手段として最近多く使われている。フィクションにおいて男女の恋愛を正面から描きにくいことが時代時代で様々な理由で存在しており、古くから少年同士の同性愛やその後のやおい系作品の発展を促したわけだが、百合系の隆盛はその流れに位置するようにも感じる。
性の問題を含めた恋愛をライトに描くことがコミックやライトノベル等若者向けのエンターテイメントでうまく機能していない。同性愛というファンタジーを用いることでそれを成立させている面もある。
フィクションの世界に多数の美少女キャラクターを落とし込む手法は増えたが、物語として描けているわけではない。もちろん、物語化することだけが正しいというわけではない。ライトノベルでもハーレム色の薄い人気作は数多い。物語性で勝負できるのであれば、ハーレムにこだわる必要はないだろう。
『GJ部』は四コマ漫画の手法をライトノベルに取り入れた一種の実験作だが、物語性を排除してハーレム系ラブコメとして成立させた。3月に9巻で完結したあと、4月から『GJ部中等部』として再スタートする。ライトノベルで「空気系」に挑むのかどうか注目している。
主人公の内面を描写する必要性の薄いアニメやコミックではこれからもハーレム系ラブコメは需要を満たすために作られ続けるだろう。そこから単に消費されるだけでない作品が生み出されるかどうかは作り手次第とも言える。
ライトノベルのように主人公の一人称が前提となっている場合、優柔不断という同じパターンの繰り返しでは飽きられつつあり、何らかの変化がなければヒットしにくくなっている。ハーレム系ライトノベルは急速に広まり、大量に生産されたが、これからも定着していくのかさえ不透明だ(ただ深夜アニメが急に廃れない限りはその供給源のひとつとして存在し続けるとは思う)。
柳沢きみおの『翔んだカップル』は高校のクラスメイトの男女が手違いから二人だけで同居することによるドタバタ恋愛劇としてスタートした。お互い好意を抱きながら素直になれずにケンカを繰り返す展開はラブコメらしさを強くアピールすることとなった。
しかし、作品は現実と同様の速度で展開し、三角関係などドロドロの愛憎劇へと変化していく。連載期間3年で高校生活3年間を描き、後半は時代性の色濃い青春ものとして成立した。柳沢きみおはその後も続編を書き続けたが、ラブコメとはかけ離れたものとなっていった。
同じ1978年にスタートした高橋留美子『うる星やつら』は恋愛要素は非常に薄く、あくまでもファンタジーコメディとして描かれた作品だった。ただ多種多様な美少女・美女が登場し、1981年よりTVアニメ化され原作よりもキャラクター色の強い作品となった。
押井守を始め若手のアニメスタッフが数多くこの作品で才能を伸ばし、後のアニメ界に大きな影響を与えることとなった。美少女アニメやハーレム系アニメのきっかけになった作品だと言える。
その後、1981年にスタートしたあだち充『タッチ』が大ヒットして、ラブコメは少年マンガの主流となった。1対1の恋愛関係がベースにあり、野球と融合することで新しいラブコメ像を作り出した。
80年代のラブコメで忘れてはならないのがまつもと泉『きまぐれオレンジ☆ロード』(1984年)だ。二人のヒロインとの三角関係がメインでありながら、妹など脇役にも美少女を配して現在のハーレム系ラブコメに近い構図を作っている。主人公の優柔不断さものちのハーレム系に受け継がれた。
1988年に藤島康介『ああっ女神さまっ』が連載開始。初期はドタバタ色の強いラブコメだった。ベースはメインヒロインとの1対1ではあるが、主人公を中心として美少女が集合するハーレム系特有のキャラクター関係を築き人気を博した。
1992年、OVAで『天地無用! 魎皇鬼』の第1期シリーズがスタート。主人公の周りに、ライバル関係のメインヒロイン二人、天才科学者美少女や幼女、天然キャラなど個性的なキャラクターを配してハーレム系の構造が完成の域に達した。
ここで主人公は優柔不断な性格ではなく、オールマイティな能力を持ちながら欲などがほとんど存在しない空っぽな印象の存在として描かれた。これは一人称的観点を必要としないアニメだからできた手法ではあるが、これが空気系へと繋がっていくことになる。
同じ1992年PCゲーム『同級生』が発売される。これまでアダルトゲームはSEXそのものを扱っていたが、この作品は恋愛をゲーム化した。さらにその方向性を進化させた『ときめきメモリアル』が1994年に発売され、高いゲーム性もあって新たなジャンルを生み出すまでに至った。
多数の美少女キャラクターが用意され、主人公=プレイヤーが特定のキャラクターを「攻略」するというシステムが誕生した。
1997年PCゲーム『To Heart』が発売され、シミュレーションゲームからヴィジュアルノベルへの転換が起こる。これによりキャラクターごとにシナリオが用意され、「攻略」する意味合いも深化していくこととなった。
ゼロ年代に入ると「萌え」という概念が普及する。男性オタク向けの作品は美少女キャラクターや属性を複数登場させるのが一般化した。ハーレム化が進行する中で、主人公の内面描写がどうしても必要とされるライトノベルで特にハーレム化対策が進むこととなった。
優柔不断な性格が強調され、誰にでも優しく、何も決められない存在へとなっていく(一昨日の記事「エンターテイメントにおける男女の役割の変遷」参照)。一方で、こうしたハーレム的人間関係をヒロインの視点から描いたのが2005年発売『School Days』の鬱展開だった。
多数のヒロインを用意し、その中から好みの美少女のファンになってもらうという販売戦略はなにもフィクションの世界だけに限ったものではない。古くは1985年のおニャン子クラブ、1997年からメンバーを入れ替えながら続いているモーニング娘。、2005年誕生しいまや国民的アイドルとなったAKB48など、エンターテイメントの戦略に欠かせない手法となっている。
フィクションの場合、問題はフィクションの世界にどう落とし込むかということだ。
現在アニメ界で最も影響力を持つヒロインを複数有する作品は『けいおん!』だろう。空気系は先にも触れたように、本来ハーレム系ラブコメの主人公の立ち位置を消失させることで成立した作品群である。主人公の位置がぽっかり空き、そこに見る者が入り込める幻想を生むことも強みだ。
ライトノベルでは優柔不断でトコトン鈍い主人公という設定自体をパロディ化しつつある。『僕は友達が少ない』はその典型であり、分かった上で読者と共犯的に楽しもうという作りになっている。ある種の開き直りとも言えるだろう。
『東方』のようにヒロインたちとある程度の設定だけ用意してあとはファンに委ねることで成功したケースもある。初音ミクなどのヴォーカロイドもこの形に近い。もう作り手がストーリーを用意するのではなく、ファンに好き勝手にいじってもらうことを前提にキャラクターを生み出している状況さえ存在している。
恋愛を女性同士に限定する百合展開も男性主人公不在を補うための手段として最近多く使われている。フィクションにおいて男女の恋愛を正面から描きにくいことが時代時代で様々な理由で存在しており、古くから少年同士の同性愛やその後のやおい系作品の発展を促したわけだが、百合系の隆盛はその流れに位置するようにも感じる。
性の問題を含めた恋愛をライトに描くことがコミックやライトノベル等若者向けのエンターテイメントでうまく機能していない。同性愛というファンタジーを用いることでそれを成立させている面もある。
フィクションの世界に多数の美少女キャラクターを落とし込む手法は増えたが、物語として描けているわけではない。もちろん、物語化することだけが正しいというわけではない。ライトノベルでもハーレム色の薄い人気作は数多い。物語性で勝負できるのであれば、ハーレムにこだわる必要はないだろう。
『GJ部』は四コマ漫画の手法をライトノベルに取り入れた一種の実験作だが、物語性を排除してハーレム系ラブコメとして成立させた。3月に9巻で完結したあと、4月から『GJ部中等部』として再スタートする。ライトノベルで「空気系」に挑むのかどうか注目している。
主人公の内面を描写する必要性の薄いアニメやコミックではこれからもハーレム系ラブコメは需要を満たすために作られ続けるだろう。そこから単に消費されるだけでない作品が生み出されるかどうかは作り手次第とも言える。
ライトノベルのように主人公の一人称が前提となっている場合、優柔不断という同じパターンの繰り返しでは飽きられつつあり、何らかの変化がなければヒットしにくくなっている。ハーレム系ライトノベルは急速に広まり、大量に生産されたが、これからも定着していくのかさえ不透明だ(ただ深夜アニメが急に廃れない限りはその供給源のひとつとして存在し続けるとは思う)。
というかただ単に好きなだけですけどw
それでも変遷を語る上でのピースとしてちゃんと機能していますが
主人公が割と対照的なのに似通った方法論で成立しているところが興味深いですね
片や優柔不断のテンプレ、かたやしっかり者だけど作品の中で空気っていうw
主人公のタイプがパロディの連鎖に陥っていく流れを踏まえると、物語の強度を高めることだけが「強い主人公」の裏付けになっていくようにも思えますね。
ある要素が強調される→それを「ネタ」にして新しい要素の敷衍元である(あるネタからあるネタを生み出しうる)キャラを作り出す、という流れの中では、どんな要素であっても「それ」を欲しているコミュニティの中で評価されていくという前提からは逃れられないでしょうし、物語は物語、という捉えられ方の中で、「その物語」を支えられる要素になれば、と。
当時のハーレムラブコメは「誰かを選ぶ」ことでテーマを完結させていたのだと思いますが、ハーレムを継続すること自体が目的の今の作品がオチを見付けるとすると、「TOLOVEる」みたいな話になるのかもしれませんね。
『ああっ女神さまっ』『天地無用! 魎皇鬼』の二作品がその後のハーレム系ラブコメのテンプレとなっていきますが、そこに少しずつ独自の色合いを織り交ぜて人気作が生み出されていったんですね。
ラブコメ通史を書くのであれば外せない作品ですが、なかなか読む機会がないのが残念なところですw
to 名無しさん
さすがに少女マンガのラブコメ発祥期の作品をリアルタイムで読んだわけではありませんが、例えばWikipediaでは『おくさまは18歳』が取り上げられています。コミックでは読んでいませんがTVドラマを見たのは記憶しています(さすがに再放送ですが)。
私自身は空気系をプッシュしているので、ライトノベルで空気系を描けるのかどうかが関心のあるところですが(『GJ部中等部』が空気系の要件を満たすのかどうかはまだ不明です)、ライトノベルにおけるハーレム系は読者との共犯を狙ったものが増えていきそうな気配ですね。
とある魔術やSAOをハーレム系としてどう位置付けていくかもなかなか難しいところですが。とある魔術の場合は恋愛要素を前面に出さないことでハーレム化を物語内に組み込んだ感じですし(アニメも原作も序盤しか知らないのでなんですが・・・)。
少女マンガのラブコメの場合、状況的に逆ハーレムであっても関係性は1対1がベースだったりします。美男子がどれほど多く登場しても、ヒロインの恋人役は最初から最後まで固定という形です。だから、誰を選ぶかという展開は少なくて、結ばれることがゴールというものが多いわけですが、最強のラブコメと私が呼んでいる『イタズラなKiss』の場合、結婚してもまだ作品は続きました。妊娠・出産という流れになりそうなところで著者急逝により終わってしまいましたが、1対1の関係でも描こうと思えばいくらでも読者を惹きつけられるものが描けるものだと思いました。
男性向けラブコメは類型化が激しく、もっと多様な描き方や展開があっても良いと思うのですが、なかなか目新しい作品は出て来ていないように思います。
ラブコメははしかのようなもの、とよく言ってますが、卒業してしまうとなかなか新しいものを読もうとしなくなっちゃいますね。