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【視点】原発のリスク

2011年04月01日 15時54分16秒 | 社会・経済
「絶対に安全」などというものはない。そんな当たり前のことが今回の原発事故で再認識させられた。

「世界最大水深の防波堤」を持つ釜石市でさえ今回の津波被害を免れることはできなかった。
それでは、今後津波に備えてそれ以上の防波堤を作るのか?
コストや景観を考えればそれは現実的とは言えないだろう。釜石市の防波堤は今回の津波を防ぎ切れなかったもののそれでも一定の効果はあったという。防波堤は防災としてだけでなく減災として設置されるべきものになるだろう。

少し前まで交通事故の死者数は年間1万人を越えていた。最近はかなり減ってはいるがそれでも多くの人命が失われている。だが、自動車をなくすべきだという声はほとんど上がっていない。
どれほど技術が進み、人々が気をつけても交通事故がゼロになることはないだろう。人は機械ではない。ミスは必ず起こる。それでも安全性より利便性が優先される。

「絶対に安全」などというものはない。安全性を高めるためにはコストがかかり、そのコストは社会として許容できる範囲に抑えられる。

原子力発電が絶対に安全なものでないことは当たり前のことだった。しかし、「絶対に安全」なものとしてしまった。
それは設置するための詭弁である。推進するために電力会社や国が繰り返したまやかしだ。けれど、電力会社や国だけが責められるべきなのか。

原発が置かれたのは大都市から遠く離れた場所だ。なぜか。当然、危険だからだ。
大都市に住む者は、電力会社や国の虚言に乗っかっていた。危険なものを遠くに押し付けて日常を暮らしてきた。

今回の事故への電力会社や国の対応は決して良いとは言えない。震災・津波対策はもちろん、後手に回った対応や発表の仕方など欠陥は山積みだ。
ただ都市に住む者が被害者面で電力会社や国を批判する姿は見苦しく見えてしまう。

遠い将来において脱・原発は目指すべき姿であることは間違いない。
問題は今すぐに脱・原発へ向かえるのかどうかだろう。
現在の日本の電力をクリーンエネルギーでまかなうことは不可能だ。脱・原発を目指すなら、火力発電へとシフトすることが必要だ。

その際にネックとなるのが地球温暖化の問題である。
地球温暖化は科学的に証明されたものではない。あくまでその可能性が高いというだけだ。地球温暖化が起こるとしてもその影響が深刻になるのはもう少し先、数十年あるいは数百年後になるかもしれない。
しかし、その影響が深刻になってから慌てても手遅れになることはほぼ間違いない。
これもまた将来に対する安全のリスクの問題だ。今、大人である者にとっては死後の話かもしれないが、だからといって無関係ではありえない。

地球上には現在70億の人間が暮らす。エネルギー問題はただ1国の問題ではなくなってしまっている。
例えば開発途上国に原発を作ることで地球上のCO2削減を進めようとする動きもある。だが、そのリスクは非常に高く、また、大都市の電力供給のために地方に原発を作ることの焼き直しでもある。

「絶対に安全」ではないと理解した上で、なおかつ安全性と利便性を秤にかけて冷静に原発を利用できるかどうか。今回の事故があって非常に難しいことかもしれないが、脱・原発可能なクリーンエネルギーを手に入れるまでのつなぎとして、原発は先進国にとって背負うべき重荷なのではないかと思う。