奇想庵@goo

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フィギュアスケート世界選手権男子フリー

2007年03月22日 23時51分45秒 | スポーツ
上位の競技を見たので、ちらっと感想を。

優勝はフランスのBrian JOUBERT。正直今日の演技はつまらなかった。ショートプログラムである程度点差を付けてトップに立ち、大きなミスさえしなければ優勝できるという状況だったので、手堅く堅実に演技したその選択は決して間違いではないし、重圧の中でそれをやり遂げたことは評価できるが、それでも見ていて惹き込まれるものはなかったのは事実。フリーだけなら3位の成績。プルシェンコ不在ということでもあり、誰もが納得する優勝とまでは言えない。今後の結果でそうした声を払拭してもらいたい。

2位に高橋大輔。最初の4回転で手を付き、ややジャンプでキレの無さを感じた。また後半は疲れも感じられたが観衆の声援もあって最後まで見せる演技が出来た。フリーだけならトップの成績は見事。やや点が高めにも感じたが、ジャンプ以外の部分は明らかに他の選手より上だったので、妥当な評価とも言える。地元ということで重圧もかなりあっただろうが、その中でこれだけの演技ができたことが何よりも評価したい。ただ世界のトップを狙うにはもうワンランクのステップアップが必要だろう。

3位スイスのStephane LAMBIEL。世界選手権3連覇を狙ったランビエールだが、昨日の出来が悪かったのが敗因。今日は昨日よりは安定していたが、絶好調とはいかなかった。高橋同様やや高いと思わせる点数だったが、他との比較でフリー2位は妥当。まあオリンピックイヤーの翌年のシーズンはどうしても実力者は低調になってしまうもの。今後に期待だろう。

4位チェコのTomas VERNER。今日の演技で最も溌剌としていた。最後の転倒がもったいないが、2度の4回転の成功は目を見張るものだ。トリプルアクセルの安定感と、ジャンプ以外の部分での成長があれば一躍トップに立つかもしれない可能性を感じた。

5位はアメリカのEvan LYSACEK。ハマれば高得点を叩き出せる実力者だが、安定感に欠けることの裏返しでもある。8位に終わったJohnny WEIRとともにアメリカ勢は精彩を欠いた大会となった。

6位カナダのJeffrey BUTTLE。昨日いい演技で2位につけ、彼の実力から2位キープは可能と思っていたが、予想外の悪い結果となってしまった。1位だったジュベールの点があまり伸びず、逆に3位だった高橋の点が伸びた中での最終演技者としての登場。堅実に2位狙いという選択もあっただろうが、ベテランは勝負に出た。最初に4回転。しかし、失敗。その後トリプルアクセルを2度失敗し6位まで落ちた。既に実績あるバトルにとって、ここでの銀メダルはそれほど価値がないのかもしれない。それよりも金を目指したその姿勢は理解できる。4回転失敗後の演技に精彩がなかったのは、転倒時にダメージがあったかもと心配したが大事には至ってないようだ。

7位に織田信成。残念ながら演技を見ていないのでコメントはないのだが、またも構成ミスをやらかしたようだ。3回目。さすがにシャレにならんだろ(笑)。彼には4回転を身に付けるという課題があるが、それより先にもう少し頭をどうしかしなきゃいけないようだ。

プルシェンコというトリノで圧倒的な強さで勝った王者が不在の世界選手権となった。プルシェンコが今後アマチュアを続けるかどうかは分からないが、彼を脅かすような演技は今大会で見られなかったのは残念だ。なお、今大会の上位8人とプルシェンコの年齢を比較してみよう。
プルシェンコ、バトル24歳。ジュベール、ウィアー22歳。高橋、ランビエール、ライザチェック21歳、ベルネル20歳、織田19歳。年齢がすべてではないが、3年後のバンクーバーを見据えると21歳前後の選手たちがどれほど成長するかとても楽しみになる。高橋や織田にも十分にチャンスはある。もちろん、ここには出ていない若手の台頭も楽しみだが。


エヴァ

2007年03月22日 23時02分09秒 | アニメ・コミック・ゲーム
『新世紀エヴァンゲリオン』の話。

「過去のアニメ、マンガ、特撮のいいとこの寄せ集め」だとか、「マニア受けする表現の寄せ集め」だとか、エヴァのオリジナリティに対する浅薄な意見は放映当時から見受けられた。その原因は以下に挙げられる。

TV放映終了時にファンの失望や反発が作品全体への批判に繋がったこと。
他の作品よりもオマージュの要素を鮮明に表し、またその原典を明示することも多かったこと。
庵野監督自身がオリジナリティについて語ったことが曲解されたこと。これは創作活動全般について、真の意味でオリジナルと呼べるものは作れないといった内容の話が、エヴァがオリジナリティがないという話へ摩り替わった。
この作品はアニメとしては稀有なことに時代との連関が強く、時代性を認識していないと物語の真意がつかめないこと。
それ以前の作り手が小説などの影響を強く受けているのに対して、庵野以降はアニメなど同分野からの影響が強いこと。
細部の類似を以てオリジナルの有無を計るような短絡的な見方しかできない人が多いこと。
正当なアニメ批評が存在しないため、極端な意見が流布しやすいこと。

などだ。

エヴァのオリジナリティは、先行するヤマトやガンダムと比較して大差はない。もちろん、現在広く受け入れられている作品と比べても。
物語にしても、設定にしても、演出にしても、表現にしても、アニメに関してはほとんど手垢の付いた状況だ。新しいメディアであれば、或いは大きな技術革新があれば、演出や表現の面では新たなフロンティアが切り拓かれるかもしれないが、物語に関して言えば、もはや語り尽くされていると言っても過言ではないだろう。
新しいものを作ると言うことは、過去に膨大に積み上げられた山にほんのわずかに何かを上積みすることと言ってもいい。オリジナリティはそのほんのわずかな部分を指す。だから、それを知るには過去の蓄積についてそれなりに知っておかなければならないとも言える。過去への知見抜きには浅薄な意見しか出てこない。

エヴァのオリジナリティで最も大きい点は、実は売り方だったりする。それまでのロボットアニメがおもちゃを売るための宣伝広告だったのに対して、エヴァはその制約を取り払った。エヴァはVHSやLDなどの映像の二次利用とフィギュアなどのオタク向け商品開発によって制作費を回収した。アニメ製作会社と放送局のコラボが有効に機能したこともその後のアニメ製作に影響を与えた。結果、製作委員会制度の確立とDVDなどでの制作費回収システムが功を奏し、物が売れない時代にオタク向け市場を築き上げた。現在の深夜アニメの膨大な数はエヴァの成功なしにはあり得ない。と同時に、複数の組織の利害が絡む製作方式ではどうしても売れ筋ばかりが狙って作られ、野心的な作品などが作られない状況も生み出している。

エヴァを同人誌的とする見立てはあながち間違いではない。これほど監督の個性が発露したアニメは少ない。ゲームなどと同様に多くの製作スタッフを必要とする中で、監督が細部にまで自分の思いを注ぎ込むことは難しい。実写映画のような仕組みが生まれれば成り立ちうるのかもしれないが。
エヴァのヒットの要因はいろいろと挙げられている。それぞれに納得できたりするものの私の結論としては時代との融合性を最大の理由にしている。時代には空気がある。放映当時の空気に最もマッチしていたのがエヴァだった。それはアニメ等の垣根を越え、当時の日本の文化の中で最も時代性が高かった作品だった。

私がエヴァに感じたのは物語の終焉だった。阪神大震災、オウム真理教の数々の事件、神戸の児童連続殺傷事件などの社会情勢、後に失われた十年と呼ばれる停滞感、そして世紀末の閉塞感。日本アズナンバーワンと吹聴したバブル期から一転し、何を信じていいか分からないほど混沌とした時代に、価値観やモラルは流動化し、物語は信頼性を失った。
物語はその内部にルールを必要とするが、そのルールが社会の中に見出せなくなっていた。更に、物語は理想という目標なしに成立しない。たとえその理想に達し得なくても、或いは理想と反することを目的としても、信じられる理想なしには成り立たない。だが、そうした理想も描けない社会となっていた。
ポストモダンがいう大きな物語の終焉はすでにあった。人々はそれに気付いても気付かないふりをしていた。それが白日の下に晒された。エヴァによって。
衒学的な謎の数々を解こうという試みは、不安の解消のためだ。しかし、それは決して解けることのない謎である。解くことで物語を手に入れることは許されていない。

物語の成立しない世界とは、RPG風に言えばレベルアップのない世界だ。スキルアップはできても、真の成長はできない世界。どれほどのスキルを身に付けようと、脆さが消えない世界。不安から人々は、大きな物語の幻想を生み出そうとしたり、小さな物語を無数に生み出して代用しようとしている。物語の再生への一つの答えがガンパレだが、それは別の機会に語ろう。
エヴァが物語を終わらせたという言説は正確ではない。だが、事実でもある。ゆえに、エヴァへの呪詛も消えないのかもしれない。エヴァ自身の物語も真っ当に終わらなかった。終われなかったと言うべきか。エヴァという作品にとって終わらないことが真のあり方だと思う。作り手の意思は別として。
リメイク版が出るが、正直時代性と切り離されたエヴァには興味がほとんどない。それよりも今の時代を表出する作品が世に出ることを切望している。