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毎回同じ結論となるゲームの話~「海外でシェア落とす日本製ゲームソフト」を読んで

2007年03月17日 22時32分48秒 | アニメ・コミック・ゲーム
今日も「GAMENEWS WATCHER」さんで見た記事をもとに。

海外でシェア落とす日本製ゲームソフトITmedia News

書かれていることは非常に興味深い内容で改めて語ることはないのだが、唐突に現れる締めの言葉「『ゲームが好きだから』というだけの“オタク”的視点で対応できる時代は終わっている。」にケチをつける。

確かに、MMORPGにおけるWoWの成功のように、徹底した市場調査などによって成功を収めたゲームは少なくない。また、記事に触れられたようなローカライズの問題もこうした市場調査など必要だろう。ただし、こうした組織的な製作によって成功が約束されているわけではない。
このような作り方は既にあるシステムをより洗練し、対象となるユーザーの好みに合わせるために行われる。ローカライズも同様だ。これらに求められるのは創造性ではない。既にあるものを取り込み、それを改良して使いやすくするというのは、日本のものづくりでよく語られる神話であるが、ハードの分野ではともかくソフトの分野でそれを重視するのはどうかと思う。

日本映画が一時の低迷を脱し、収益を上げている。その要因のひとつはTV局などと連携したTV的な作り方だ。これは従来の監督中心の製作から組織性を高めた製作への変化とも言える。それによってヒットした作品を生み出しているが、それらの作品の評価は高いとは言えない。最近海外で評価を得た日本映画はこうした仕組みから生まれたものではない。まあヒットする作品が次々と出たお蔭でマイナーな作品を作る環境ができたとも言えるので全く無関係とは言わないが、独創性・創造性などの面ではやはり監督の個性抜きに存在し得ないと思う。

日本はソフトに弱いと言われるが、映画の分野では古くは黒澤明、小津安二郎、最近でもビートたけしなど個性的な監督が生まれた。決してソフトが弱いわけではなく、単にソフトに対する評価が低いだけだ。コミック、アニメ、ゲームなどが世界を席捲しても、その作り手の評価は日本国内では非常に低い。

ゲーム界に話を戻そう。一時期クリエイターに注目を集めた時期もあったが、その組織性がゆえに個人の名前よりもメーカー名が強く出てくるのは仕方がない。ゲームクリエイターは今も人気のある職業だが、現実に「好き」だけでできる仕事ではないし、好きなものを作れる状況ではないだろう。ゲーム黎明期は別として、制作費の高騰から失敗時のリスクはどんどん拡大している。リスクを回避する仕組みが作られていないため、冒険ができなくなり、続編などの分かりやすい作品ばかりが作られているのはもう散々言われてきたことだ。

ローカライズしても「ときメモ」が北米で受け入れられるか微妙に思うが、正直いまだに「ときメモ」という過去の遺産にしがみついている姿勢にがっかりしてしまう。シェアを失った最大の理由は単純にいい作品が少なかっただけだろう。ソフト産業の基本は売り方よりも優れた作品を作ることであり、その環境作りが今のゲーム界に足りないものではないか。
今のゲーム界は、「ゲームが好きだから」というだけの“オタク”的視点は置き去りにされて、低リスクで売れるゲームの模索ばかりが目に付く。リスク軽減の構造作りも必要だが(例えばPCゲーム市場の開拓と整備など)、もっととんがったゲームを作る志がクリエイターに問われていると思う。アニメが低制作費の劣悪な試練の中で独自の文化に成長したように、限られた条件の中でもっと個性を出して欲しい。