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ゲームにおけるシリーズものの功罪

2007年03月14日 20時48分50秒 | アニメ・コミック・ゲーム
国内のゲームで大作と呼ばれるもののほとんどはシリーズものだ。制作費が高騰する中で、ある程度の固定ファンの獲得が見込めるシリーズものはリスク軽減の一手段として利用されている。

ゲーム界でのシリーズものは、多くがタイトルと一部の名称などを引き継いではいるが物語的には独立した作品であることが多い。これは連続性が強いと新規プレイヤーの獲得が困難になるためだ。ロト三部作と言われる初期ドラクエでさえ、表向きは完全に独立した話となっている。
初めから物語の連続性を売りにしたごく少数の作品を除いて、ヒットを受けて内容を強く受け継いだ作品で成功したものはほとんどないのが現状だ。これは作品の独立性が重視される傾向が強いため、作品内で完結するため続編が作りにくいようになっているせいだ。
従って、ここで挙げるシリーズものは、原則として物語的には継続性はない。

ドラクエのように制作の主要メンバーが変わらない作品というのはもちろん稀な例であり、結局のところシリーズものである証は製作メイカーの事情による。メイカーがどんなタイトルとしてそれを売り出すかに掛かっていると言っても言い過ぎではないだろう。
それは逆に言えば、メイカーにとって看板となるタイトルは非常に大切ということだ。そのタイトルのファンを裏切れば、次作の出来が少々良くてもファンが帰ってきてくれる保証がない。評価の高いタイトルはファンの期待値が高いため、満足されるものを作ろうとすれば時間や経費が嵩んでしまう。ファンに受け入れられるものをある程度の間隔で提供しようとすれば、どうしても自己模倣とならざるをえない。

RPG系でこうしたタイトルを数多く所有しているのがスクウェア・エニックスだ。ドラクエ、FFという国内を代表する二大タイトルを始め、聖剣伝説やサガシリーズ、他にもRPG周辺に様々なシリーズがある。ただスピンオフ作品はともかく、新作としてこれらのシリーズの作品をコンスタントに世に出せている状況ではない。
最近では聖剣伝説4が発売直後から値崩れを起こすという事態を引き起こし、DS版も評価が芳しくないようだ(スクウェアは昔からよく発売直後の値崩れを起こしていたが、ロム時代ならともかくこのご時世にこの事態とは……)。スピンオフ企画がゲームジャンルを変更する例は枚挙にいとまがないが、聖剣伝説の名を冠する必要があったかどうかは少なくともファンの立場からは疑問の余地があるだろう(そもそも聖剣伝説自体がFFをスピンオフしたアクションRPGだった)。
大人の事情は推察されるが、それがファンに与えたダメージも推して知るべきだろう。

スクウェア・エニックスもシリーズものでない新規タイトルを数多く発売し、健闘を見せてはいたのだが、好評だったものの続編でことごとく討ち死にしている印象がある。他社ではセガの「龍が如く」やカプコンの「モンスターハンター」シリーズが新たなシリーズものとして確立した感はあるが、こうした流れは少数派だ。
今のゲーム業界は、既存のシステムを応用した原作ものか自己模倣したシリーズものばかりに見えてしまう。

FFシリーズやサガ・シリーズは毎回かなり実験的な試みを行っていた。それを支えるプレイヤーがいたという事情もあるが、シリーズものだから許される空気があったのも事実だ。成功失敗の評価は分かれるが、FFシリーズはそうした志のあるほぼ唯一のシリーズと言っていい。
新世代機だと言ったところで、遊ぶのはハードの性能でなくソフトの出来による。いかにして人々を惹きつけるソフトを作り上げるか。このブログが私の愚痴で埋まり切る前に、志あるソフトに出会えるかどうか。それが問題だ。