たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

簡単ではない認知症ケア <フランス発「魔法の」認知症ケア 「ユマニチュード」>を読みながら

2018-08-20 | 医療・介護・後見

180820 簡単ではない認知症ケア <フランス発「魔法の」認知症ケア 「ユマニチュード」>を読みながら

 

今日はたまたま、2つの介護施設を訪ねました。一人は私が保佐人をしている男性の入所する民間の特養、一人は後見人をしている女性の入所する別の特養。いずれも病気で一旦入院した後、老健に入所し、その後に現在の施設に移りました。病気の影響で、いずれも発語力が弱っていますが、男性の方は徐々に歩けるようになり、会話も少しずつ会話ができつつあります。女性の方は発語といっても聞き取りが容易でなく、簡単な言葉がやっとというところでしょうか。

 

それでも私がこのブログで連載して紹介したユマニチュードを少しでも自分で試そうと思うのですが、まったくできません。だいたい触れること自体が簡単ではないのです。自分の母親なら、私のことをもう分からなくなっていても、触れることは簡単ですし、ユマニチュードを意識してなくてもでてきていました。しかし、他人となると、手に触れることも躊躇します。女性に対してもですが、男性でも、私が触れたら、何をするのかと怒られそうです。

 

男性の方は発語することが簡単ではないですが、私の話はだいたい理解できていますので、言葉を発するのをしばらく待っていると、少しずつ言葉になって出てきます。なにか話したいけど、病気の影響でなかなかスムーズに言葉がでないのですね。それをじっくり待つのも大変ですが、頑張っています。おそらく介護職の人からすると、そんなの当たり前と思われるかもしれません。

 

女性の方は、なかなか言葉を発するのがさらに大変で、結局、私がいろいろ話して、相づちを促したり、希望を聞いたりして、なんとか会話を引き出そうとしますが、たまに会う程度ですので、なかなかスムーズにはいきません。それでも私と話すのは嫌ではないと、一応話してくれます。ま、目の前で嫌とは言えないでしょうけど、それでもしばらく会話につきあってくれました。

 

そんな私の悪戦苦闘?とまで行かなくてもユマニチュードのいろはも実践できていない私にとっては、イヴさんの話はやはり心を打たれます。いつか少しでも実践できればと思うのです。

 

さて今朝の毎日記事<そこが聞きたいフランス発「魔法の」認知症ケア 「ユマニチュード」考案者 イヴ・ジネスト氏>を読み、再び、イヴさんの話を取り上げたいと思います。

 

イヴさんの次の言葉は正鵠を射ていると思うのです。

<認知症の人が家族を認識できなくなると、家族は愛する人を失ったような悲しみに襲われます。しかし、その人の中に、子や夫、妻を愛した感情は残っています。92歳で亡くなった母は、私が息子だと分からなくなっても、息子を愛する気持ちを忘れることはありませんでした。>

 

そうですね、私の母親も私を認識できませんが、人への優しい気持ちは残っていて、息子に対する愛情のように誰にでも接するのです。以前徘徊していた頃は、お世話になったおまわりさんには心を込めて接したそうで、癒やされるといわれとのことでした。

 

イヴさんは<認知症は、介護する家族をより深い人間に成長させてくれる贈り物だと考えています。>とまさに至言を述べています。

 

ではイヴさんが考案したユマニチュードとは何でしょうか。

<ユマニチュード(humanitude)は、人間らしさを取り戻すことを意味するフランス語の造語です。具体的には400を超えるケアの技術があり、それらは、「見る・話す・触れる・立つ」に関するユマニチュードの四つの柱=1=を基に考えられています。>

 

この四つの柱は以前もブログで詳しく紹介しましたが、おさらいの意味で、解説を引用すると

<正面から、同じ目線の高さで、長く見つめる▽優しく、歌うように、ポジティブな言葉で話しかけ続ける▽手のひら全体で、ゆっくり、包み込むように触れる▽1日に計20分は立つ時間を作り、患者が寝たきりになるのを防ぐ--という基本技術。これらを組み合わせて相手とコミュニケーションをとる。>

 

とても簡単そうで、すてきな内容です。実際、イヴさんが行った場面がNHKで放送されたことがありますが、それを見るとほんとに衝撃を受けます。でも簡単ではないですね。

 

どのようにしてユマニチュードが生まれたのかについて、体育教師だったイヴさんが40年前にフランスの介護現場を見たときの衝撃が契機だったそうです。

看護師に腰痛になる人が多い、その対策を任されたのです。

<患者は「重たい荷物」と同じで、移動させるため多くの看護師が腰痛に苦しんでいた>というのです。現在の日本でもそういう状況がのこっていないでしょうか。

 

イヴさんは<私が学んできた体育学では「動くことが健康である」というのが大前提でしたから、強い疑問を感じました。そこで私は、寝たきりの患者を起こすことを決意しました。>

患者との関わり方を大変革したのです。

<亡くなるその日まで、人間として他者から見つめられ、触れられ、話しかけられ、自分の足で立つべきだと考えたのです。それを実現するために、同僚とともに患者との関わり方を見直し、さまざまなケアを試行錯誤しながら生まれたのが、ユマニチュードです。>

 

イヴさんは認知症患者の拒否反応や暴力的・理解不能な行動について、それには必ず理由があると強調しています。

<認知症の方の視点で考えると、患者の抵抗のほとんどは自然な「防御」なのです。>人間が本来備えている防衛本能から生まれたものと言うことでしょうか。

 

具体的には<認知症は新しい記憶を保つことができなくなる病気です。進行すると、自分がいる場所や、人の認識ができなくなります。認識できる視野も狭まり、すぐ隣で話しかけられても気づきません。そんな状況で、オムツを替えると言って、突然、知らない人の手が下着をはがそうとしたらどうでしょうか。知らない人から手をつかまれたら? 怖く、不安なはずです。>

 

最近、厚労省は介護ハラスメントの調査を始めるとのことですが、介護職員の被害状態を把握することは大切ですが、その前提事実も丁寧に調べないと、バランスを欠くことになりかねません。

 

最近は拘束はいけないことということで、物理的な拘束はあまりないと思いますが、他方で、向精神薬の処方に依存して増大していないでしょうか。私がいろいろな施設を訪ねるのですが、ただ机の前でじっとなにかを見つめている高齢者がほとんどのように感じることがあります。

 

イヴさんはこの点について、<現状では多くの場合、こうした行動・心理症状を薬で抑えようとします。認知症者への薬物の過剰な処方が世界的に問題になっています>と指摘しています。他方で、

<ユマニチュードは薬を減らす上でも大きな成果を上げています。パリのある高齢者専門病院では、ユマニチュード導入前(2005年)と導入3年後(08年)の比較で、抗うつ薬や抗不安薬といった向精神薬の処方が88%も減りました。>

 

薬に頼らない介護のあり方こそ、今後目指す方向ではないでしょうか。そうすると、薬でおとなしくなっている患者が動き出したり、話したりすると、介護職員が足りない現状でますます対応できなくなると非現実と批判する人もいるでしょう。

 

でも、イヴさんが指摘するように、薬漬けとはいいませんが、薬に依存することで、医療費負担が増大するのを防ぎ、その代わりその費用を介護職員の費用に充てる転換こそ求められるのではないでしょうか。それこそ、患者も、家族も、そして介護職員や施設も、行政もすべてがウィン・ウィンとなるかもしれません。

 

人の尊厳は、接し方によって維持されるという、イヴさんの考え方、その具体的なケア技術を学ぶ必要を改めて感じています。

 

一時間を過ぎました。この辺でおしまい。また明日。

 

 


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